大昔、近所のガキ大将と付き合っていると、「あんな子と付き合ってると、ロクな大人になれないよ」と母親に言われ、反発して色々な子と付き合っていた。ゲーセンの友だち、深夜徘徊する友だち、イタズラする友だちなどなど。


付き合う人は誰でもいい。

自分は自分だ。

それが崇高な見識だと思っていたが



そうもいかないらしい。



今更暴力排除???と思っていたが、

それは、前振りだったようで、

オゾン層だとか、フロンだとか、

気候変動だとか、

SDG sだとか、

旧統一だとか、

誰と組むか、どういう国と組むか、

自分は良い子と言えるのか?

そういう優等生であらねばならない?



私たちは、

誰もが認める??良い子としか、

付き合ってはならないようだ。



そう考えるととても息苦しい。

気もするが。



だから、周りを見て生きてくよりは、

自己の倫理観においてしっかり生きてく方が、余程楽ちんかもしれない。



自己の倫理観に基づいて生きるなんて、

どんな仙人か?という時代から、

のんびりとマイペースで生きることを皆が欲してる時代になってきた気がする。



倫理観


宗教も哲学もない日本人には必要なように思います。



ブランドでも、学校でも、地域でもなく、

自分の知性のみを頼りに、

社会のために生きる。

世界のために生きる。

しっかり、ゆっくり。


たぶんそれだ。