色々と日本人が人権意識が足りないという事例がありますね。

また、中国では、人権がないがしろになっていると指摘される方もいますね。

そもそも、人権というのはその意識の発生過程からすると、

日本人こそが人権の意識がない国民と考えていいように思います。


人権とは宗教の信仰において発生する意識のように思います。



まず、自然と人間が共存している社会では、人権は存在しませんよね。

次に、宗教が発生した社会では、

「人間は他の生き物や自然より高等な存在である」という「高等生物としての自己認識」があり、

また、併せて、宗教の信仰で、「神の下で神以外の人間はほぼ同程度なんだ」という「ざっくりした平等意識」があると、

その二つにより、人間が人権を意識する要素と言えると思うのです。


日本人には、そういう認識や意識はあまりない。



日本人には自然との向き合い方を意識する方は非常に少ないです。

生き物を殺傷したり、植物を伐採するのはアンダーグラウンドで行われています。

一般の日本人にとって生き物はペットで、植物は観葉植物です。

だから、人間は自然に対する自己の位置付けができていないです。

自分にとって、海とは、川とは、森とは、生き物とはしっかりとした位置付けがあっての人間という存在です。

また、一般の日本人には信仰がありません。現人神の天皇の下、団結して、主人に支える。何も考えずに。

平等意識はないです。マウントは取りたがるようですが。


よって、日本人には人権というものはピンときていません。

おそらく、中国人よりも。

中国人には、自然に対する意識があり、共産党の下での階級意識と平等意識もあるからです。



将来、もし、日本人に人権意識が必要だとすれば、

倫理観として、「人間とは何か?」「平等とは何か?」というような認識が

日本人皆が認識できるように提示されている必要があるように思います。

それは、倫理教育の継続かもしれないし、保育や教育や労働や介護の仕組みかもしれません。

そのようなもので、人権とは何かということが高齢者から子供まで認識が一致している必要があるのでしょう。