生物として、ヒトはアフリカで自然の一部として生まれ、そこから自然から分離独立してヒトは自然とは違うもっと偉大な存在なんだと宗教(信仰)を持ってアフリカを飛び出し、ヒト対ヒトの生存競争のため、社会という概念を持って、部族闘争を繰り返した。そこから抜け出そうとして辺境の島にたどり着いたのが日本人だと思う。


そういう歴史は日本人のDNAにあるように思う。

一番の底には、自然に対する畏敬がある。その上には、信仰がある。さらにその上には、社会への尊重がある。そして、それらを振り払った刹那的感情に日本人は自己のアイデンティティを感じている。

自然、宗教、社会とは無縁のものこそが自己のアイデンティティと思う。

つまり、好きなアイドル、アニメ、グルメなどを愛する自分が自分らしいと感じているように見える。

ただ、問題なのは、そのアイデンティティは目まぐるしく変化し、見失ってしまいがちであることだ。


そういう表層的な変化しやすい刹那的なものに自己を見出している日本人は、自己の幸せが何であるかを知らない。

お金があれば幸せになれると勘違いしている日本人も多い。

例を挙げると、1990年頃のバブル景気の時代である。この時代、別に日本人は幸せであった訳ではなかったと思う。

しかし、この頃の日本人は、今の日本人が不幸と感じる要素を感じていなかったのだ。つまり、お金がないとか、両親が離婚とか、家が貧乏だとか、自己の就職難とか、学校でのいじめとか、高齢化社会とかそういう現在の不幸が表面的に見えていなかった時代であったというだけである。

経済が上向けば、これの不幸がなくなる訳ではないことは明白なのに、まるで経済が上向けばそれらの課題が解決するような気さえしている。


もちろん、そういう訳ではない。

やはり、生物的に日本人が幸せを感じるには、

1、自然を保全する。

2、信じるものを持つ。(家族愛や愛国心のようなものも可)

3、社会に満足する。(社会制度や自己の生活の保障)

こういうことがベースとなるように思う。(世界共通なんでしょうが。)


冒頭に記述したように、順序を考えれば、「3、社会に満足する」ことは日本人の幸せ感情に最も訴えるように思う。


具体的な手段として、憲法改正の議論やカーボンニュートラルの戦略は、「生物としての日本人を幸せにする」ものになるような気がする。