窓から見える木々の緑が眩しさを増した春の夕暮れに幸男さんは言った。
「まあうまくいかんのが世の中ちゅうのだが、昔から進歩がねえなあ。高齢者が増えているから、高齢者に対する社会保障も増えるわな。それが社会的に問題とか…。でも、そうじゃねえよな。そもそも人間は一人の人間の世話もできない、社会で一人の面倒を見るのはずっとずっと変わらんわな。当たり前んことじゃわな。」
◆高齢者介護の再考
ヒトは一人の人間の面倒も見ることはできない。
一人の老人の介護もできなくて当然だ。それを前提としなければならない。一人の母親が一人の赤ちゃんを育てるのも大変なことというのがヒトだ。よって、一人の人間は多くのヒトによって介護されるのが原則である。
だから、一人のヒトで一人以上の人間を介護しなくてはならないケースでは、対策を講じる必要がある。高齢者に金銭を贈るのがいいのか、介護者に金銭を贈るのがいいのか、あるいはどういう金銭の使い方が効果的か検討する必要がある。
また、介護を考慮した街づくりも必要である。車のない社会、車を必要としない街、住居、安全監視システム等。
また、介護を考慮した社会システムも必要である。大家族の優遇税制、早婚優遇制度、若年層を早期に大人に育て上げる教育等。これらは中長期には必須であろう。
死後も幸せである必要はない。しかし、生きている間は、誰もが幸せを求める「あきらめない」社会でなければならない。政治の選択は、幸せを求める社会に沿うものでなければ意味がない。発展した社会が、一人のヒトの幸せを育てるのだ。
私達は、「一人の人間の幸せとは何か」、「幸せを育てるにはどうすればいいのか」、「そのために社会はどう発展すればいいのか」ということを考えて、社会的な選択をしなければならない。
5ー階段の良いところは、いつまでもとどまっていられるところだ。といって、横になるのは無理だ。そういうケジメがあるところも好きだ。
ちょっと食べ過ぎ…、リリーは漏らす。答えは言い出せないが、私は彼女には答えがあるような気がしていた。
「認知症ケア等社会的な対策は進むだろうし、介護技術も進歩するだろうけど。社会全体の高齢化のスピードが速すぎて対応できないかもね。
まあ捨て去るわけにもいかず、高齢化社会の費用が財政を圧迫するけど、そんなことはどうでもいいのよ。でも、本当に問題なのは、高齢者が「もう長く生きたくもない」と思う国になっちゃうことよね。その時、日本人の心は荒んで、社会も荒んでいくわよね。」
51ー面でなければ階段にはなれない。線では無理だ。点でも無理だ。二次元の階段という概念はとっても窮屈である。自分が点になるしかない。
78ー階段を昇ったり降りたり意味なくしている動物のことをペットと呼びたい。
図.8 高齢者介護の形
現在
→本来の姿
老老介護
→地域包括介護
配偶者(家族)1人で高齢者1人 →地域 大人数で高齢者1人
図.9 高齢者の安全確保
現在
→本来の姿
認知症患者
→地域包括ケア
交通事故などの危険あり
→危険要因の除去
保護や監視が必要
→自動監視、ID管理