´24 京の桜めぐり その29 上品蓮台寺の桜 | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(4月6日のこと)です

昨日は疲れて寝ていたのと、起きて投稿するとき駒札の文字起こししてないのに気がつき、時間も無いから休むことにしました😅


朝、上賀茂神社へ向かうとき、平野神社の桜が咲いてるようなので、帰りに寄ってみよかということになり、そちらへ向かいます

千本通りを上がっていたら、道沿いに桜が見えたので、そう言えばここも桜が見事だとか聞いたなと寄ってみることにしました

上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)

近くのコインパーキングに停めて、歩いて行きます
駐車場があるか分からなかったんですよね😅

山門近くにある石碑

山門

駒札
上品蓮台寺
  蓮華金宝山九品三昧院(れんげこんぽうざんくぼんざんまいいん)と号する真言宗智山の寺院である。
  古くは
聖徳太子の創建と伝えられ、当初は香隆寺(こうりゅうじ)と称したが、天徳4年(960) 宇多法皇の勅願により、寛空僧正(かんくうそうじょう)が再建し、寺号を上品蓮台寺と改めたといわれている。当時は、広大な寺域に伽藍が建ち並ぶ壮大なものであったが、応仁の兵火により焼失した。 
  文禄年間(1592〜96)に性盛上人(しょうせいしょうにん)が復興し、この付近の蓮台野一帯に十二の子院を建立したことから「十二坊」の名で知られるようになった。
  本堂には、
村上天皇より賜った上品蓮台寺の 勅額を揚げ、その内部に、本尊の延命地蔵菩薩 を祀っている。 
  寺宝として、下段に経文を、上段に経文の内 容を説明した絵画を描いた貴重な経典として名高い絵因果経(えいんかきょう・国宝)をはじめ、文殊菩画像、 六地蔵画像(ともに重要文化財)など、多くの文化財を所蔵している。 境内には、平安時代を代表する仏師・定朝の墓があり、春には枝垂桜が見事に咲き誇る。
  京都市
(原文のまま)

もう1つ駒札
日本佛師開山常朝法印「定朝」の墓
  平安時代の後期に活躍した仏師「定朝」の墓
  定朝が活躍したの寛仁4年(1020)頃から天喜5年(1057)までの40年間である。
  定朝は、仏師としてはじめて治安2年(1022)に「法橋上人位」についた。さらに永承3年(1048)には、奈良の「興福寺」の修復がなされた際の造仏により「法眼和尚位」にのぼり、「僧綱」(高僧またはその地位を指す位)にまで昇進した最初の仏師であり、これにより仏師の社会的地位や名誉が公認されるという革新的な役割を果たした。
  「上品蓮台寺」で出家得度した定朝は、名を「康城」と改め、そののち十二坊あったといわれる塔頭の一つ「照明院」を建立した。そして、宇治の平等院の阿弥陀如来像を完成した4年後の、天喜5年(1057)11月1日(霜月朔日)に京都で没し、遺体は上品蓮台寺に埋葬された。
  この墓碑銘には、「常朝」と刻まれているが、これは、朝廷からの諡号(おくり名)によったためである。
  いまも、命日には、「京都佛像彫刻家協会」「京都仏具協同組合」によって、毎年、厳かに法要が営まれている。
  九百五十回大遠忌  平成19年11月1日(2007)
    記  京都佛像彫刻家協会
(原文のまま)

山門を振り返る

入ったとこにあったしだれ桜は既に終わっていたようでした😅

山門くぐって左側の景色

そちらへ行くと観音堂?🤔

手前には弘法大師がおられました指差し


観音堂?の先
こんな感じで割りと桜がありますひらめき

その先には鐘楼

鐘楼のアップ

桜のアップ


鐘楼の反対側に本堂?


桜のアップ



この辺りから動画も撮ってみました


山門方向を振り返る

山門から右へ行くと、庫裏があります
そちら側の参道

観音堂側を眺める


こちら側も桜が多かったですニコニコ


その先に神社



その辺りから来た方向を振り返る

こちらも本で、桜のことに触れられたものがあったので気にはなっていたんです
で、たまたま通りがったので、行ってみたらけっこう桜が多く、人は少なく楽しむことが出来ました♪😊

次回はこの日急遽行ってみることにした平野神社でしたが、さすが桜の平野神社と思わされるものでした
ということで、次回は平野神社のことになります😁
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ