前回からの続き(8月18日のこと)です
壬生から車で移動して、岡崎へ来ました
コインパーキングに車を置き、まずは洛陽十二支妙見めぐりのお寺を目指します
岡崎通りを、冷泉通りを東に行って、一筋目を右折したところの左手にあります
満願寺
山門くぐった左手に駒札がありました
京都市指定有形文化財
満願寺 六棟
本堂、鐘楼、手水舎、表門、文子天満宮本殿、文子天満宮拝殿
満願寺は示現山と号する日蓮宗の寺院で、もとは西ノ京にあって、天慶3年(940)に北野朝日寺の最珍を開山として創建されたと伝える。当初は真言宗に属し、北野天満宮の御旅所であった北野七保社ともなっていた。その後、元禄10年(1697)に日蓮宗へ改宗するとともに、元禄15年に現在地へ移転してきた。
本堂は移転後まもなく元禄15年から宝永元年(1704)にかけて造営されたもので、京都市内に残る日蓮宗の一般寺院本堂のなかでは古い方に属する。建築的には、桁行三間・梁行一間の身舎(もや)の四周に一間幅の裳階(もこし)をまわして背面に内陣部を突出し、さらにその後方に土蔵造の奥陣を付設した複合建築で、変化に富んだ外観をみせている。また、その内部の力強い空間構成には近世的特色がみられ、日蓮宗本堂の近世遺構の一例として貴重である。
境内にはこのほか、当寺が現在地へ移転してきたときのものとして鐘楼、手水舎、表門、文子天満宮本殿・拝殿などが残っており、位置が一部変化しているものの、江戸時代中期における日蓮宗の一般寺院の寺観をよく伝えている。
平成7年3月30日 指定
京都市
(原文のまま)
補足(洛陽十二支妙見めぐりの朱印帳より)
創立以来独立本山であったが、明治5(1872)に身延末となる
妙見さまは、当初法勝寺旧跡にあった本光寺に祀られいたが、安永3(1774)年の大火により本光寺が焼失したため当山に移される
その先に大きな本堂があります
で、玄関に行くと、この日は法事か何かで対応が出来ないと貼り出されてました
アポせず行ったから仕方ないんですけどね💦
ということで、こちらはまた行くことになりそです😅
ここからは岡崎周辺の散策となります
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ