『早春スケッチブック』山田太一 | 湘南雑筆堂~本と美味いもん日記~

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湘南(?)に暮らし30年近く経ちます。30年も住んでいると、いろんな発見をするもんです。 
 そんなちょっとした湘南の発見を自分の読んだ本に絡めて皆様にお伝えできればなと思います。
 

たまには、本のことも。
職場の仲間と飲んでいる時に、テレビドラマの話から山田太一の話へ。
自分は『ふぞろいの林檎たち』を推したが、「『早春スケッチブック』ってのもいいよ」と言って、飲んだ翌日に職場に持ってきてくれた。



舞台は横浜の希望ヶ丘。

一見しあわせそうに見える、夫婦に子ども二人の4人家族の望月家。

中1の良子は、地元の信用金庫に勤める省一(河原崎長一郎)の前妻との間の子。有名大学を目指す高3の息子・和彦(鶴見辰吾)は母・都(岩下志麻)が昔の男との間に作った子(結婚はせず)という、実は複雑な4人家族。そんな家族の前に、突然都の昔の男・和彦の実の父親、竜彦(山崎努)が現れ、平々凡々と暮らしてきた家族を揺さぶり始める。

借りた本は小説ではなく脚本。出演者を頭に入れてから読み始め、映像をイメージしながら読んだ。

竜彦はカメラマンで自由奔放に生きてきたが、癌を患い、治療を諦め一人で暮らす。そこに和彦がひょんなことから足を運び、実の父との対話が始まる。竜彦は平凡なサラリーマンの省一を侮辱する発言をするなどし、和彦を刺激する。和彦は竜彦の言葉に反発を覚えながらも、惹かれていき有名大学を出て、いい就職先に就くことに疑問を持ち始める。
和彦の変化に気付いた都は竜彦が近づいていることを悟り、関わりを断とうと竜彦の家に乗り込むのだが……

竜彦は死の恐怖に怯える中、都ら家族へ、ともすると暴言ともとれる言葉を浴びせ、生きることの意味を問いかけて行く。

サラリーマンの自分としては完全に省一である河原崎長一郎目線。突然現れて好き勝手やって来た男が何を言ってるって、まぁ、そこには自由奔放に生きてきた男の魅力へ嫉妬してるのかも。

竜彦である山崎努も無茶苦茶言っているだけではない。

「ありきたりの何が悪い?無数のありきたらに耐えなければ子供なんて育てられない」

なんて、和彦を諭したりもしている場面もある。

山崎努は家庭を持ち平々凡々に暮らしている人がどこかでしょうがないと思っていることへ「それでいいのか」と、ことあるごとに投げ掛けてくる。

著者はあとがきで、人生の悲哀を「しみじみ」語るドラマはいくつもあるけど、平々凡々だが懸命に生きている人に対して罵声を浴びせる人物が登場するドラマは皆無、今の日本の生活者の多くは、そういう罵声をあまりにも自分にむけなさすぎる。「自分自身をもはや軽蔑することのできないような、最も軽蔑すべき人間の時代が来るだろう」このニーチェの言葉が、このドラマの糸口となっていると述べている。罵声だけでは単なる不快なドラマになってしまうが、その罵声に生命を吹き込める俳優ってことで山崎努が選ばれたらしい。確かに脚本を読んでいても山崎努が演じている姿が容易に目に浮かんだ。

「自分自身を軽蔑する」って、どうなんだろう??軽蔑って言うと言葉がキツいけど、「内省する」とかなら理解できないでもないな。

最後に、この脚本を読んでいると、ありきたりなサラリーマン河原崎長一郎の気持ちが痛いほどわかる。

「家族を守る責任というのは岩のように重いんだ!意気地なしの俺にはとてもできない」
(『荒野の七人』で農作業しながら泥にまみれて働いている親をカッコ悪いと言う少年に向け、チャールズ・ブロンソンが返した言葉)
って言ってあげたくなりました。

「ありきたり」、大事にしたい。