柳屋跡 蘆花・独歩ゆかりの地~蘆花編~ | 湘南雑筆堂~本と美味いもん日記~

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湘南(?)に暮らし30年近く経ちます。30年も住んでいると、いろんな発見をするもんです。 
 そんなちょっとした湘南の発見を自分の読んだ本に絡めて皆様にお伝えできればなと思います。
 

 

逗子柳屋跡 蘆花・独歩ゆかりの地

独歩編の後は徳富蘆花編です。

 


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徳富 蘆花(1868~1927年)

柳屋を訪れたのは

明治30年(1897年)のことです。

 

当時の蘆花は、まだ下積み時代から抜け出せず、

経済的にも兄の蘇峰の世話になっていた頃、

逗子にあった柳屋で間借りする生活していました。

 

当時から避暑地として利用されていた逗子 船

常の間借りの生活者は

夏場には特に肩身の狭い思いをしたそうです。

と言うのも元来は無欲な田舎の人も

夏場は大自然波を資本として

多くの客が訪れてお金儲け¥ができたから。

風光明媚な地を多くの方が訪れるのは

今も昔も変わりませんね。

 

ある夏、未亡人が男の子を連れて

療養のために逗子を訪れたけれども

身を寄せる場所がなく困り果てていました。

それを見兼ねた蘆花は妻と相談して

自分らが間借りしていた柳屋

八畳二室のうちの一室をその未亡人

御用立てることにしました。

 

のことで、部屋の仕切りも簾一枚。

あけすけな生活も避暑地ならでは、

風の通りのよければ心も通い

いつしか蘆花夫婦

その未亡人らと様々な話を交わすようになったそうです。

 

話の中でわかったのが、

未亡人の夫は

日清戦争に第2軍司令官として出征した

大山巌大将の副官福家中佐

自分自身の身の上話がいつしか、

福家未亡人が懇意にしていた

 

大山大将のお家事情に発展!!

 

大山大将の娘・信子は17歳の時に

三島弥太郎子爵と結婚するも

信子が肺を患い離縁することになったこと、

 

夫の弥太郎君は悲しんだこと、

一生の名残に信子さんと弥太郎君が

ともに京阪を訪れたこと、

三島家からの葬式の花を突っ返したこと、

 

などの話を蘆花は柱に

寄りかかりながら耳を傾けていたそうです。

 

福家未亡人

 

「もうもう二度と女なんかに生まれはしない」

 

信子臨終の際に言い残して亡くなったことを

蘆花は聞いたとき

 

「自分の脊髄をあるものが雷の如く走った雷

と言っております。

 

そうなんです。

蘆花は、たまたま部屋を貸した

福家未亡人から聞いた大山大将の娘の話

元にして明治を代表する悲恋物語

 
不如帰―小説 (岩波文芸書初版本復刻シリーズ)/徳富 蘆花
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を作り上げたのです!!
 

なんと、この『不如帰』大ヒットニコニコ!!

今までは兄から経済的援助を受けて生活していましたが、

印税収入で経済的独立も果たせました。

 

その後、自然の様子を描いた随筆

自然と人生 (岩波文庫)/徳富 蘆花
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を執筆、その中に収められた

「湘南雑筆」は広く国民に親しまれ

湘南の名を全国区にする契機になった

言われてわれています

 

自分のブログタイトルも

蘆花湘南雑筆」から拝借させていただいております。

 

逗子海岸国道134号線沿い鎌倉方面に行き

カーブに差し掛かる辺りに

『不如帰』の舞台となった浪子不動、

 


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道路下の磯に

兄・蘇峰による不如帰の碑が建っています。

 


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徳富蘆花『不如帰』を読んでから

その舞台を巡るのも楽しいかもしれませんね。

 





●湘南雑筆堂~徳富蘆花関連記事~

 ・浪子不動

 ・逗子であの映画のロケが・・・ PART1

                       PART2  

                       PART3  

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