2017年11月30日

術後2日目

 

 

相変わらず身体に痛みはなく、昨日から開始した歩行訓練も順調に進んでいる。

 

しかし、さすがに点滴だけではエネルギーが持たない。

 

ガス欠寸前だ。

 

 

有り難いことに今日から食事が再開される。

 

五分がゆとはいえ、ごはんには違いない。

 

だが、食べるということは、食べたものが「出る」ということだ。

 

「それがどうした」という至極当たり前の話なのだが、今の私には通用しない。

 

寝ている間に「人工肛門」になってしまっていたからだ。

 

有り難いことに本物の「肛門」も残っているが、当分は出番がない。

 

残念ながら、「おへその横」に設えられた「仮の肛門」には本物みたいに「括約筋」などという気の利いたものは付いていない。

 

 

出したいときに出す。

 

 

それが「仮の肛門様」のポリシーなのだ。

 

その「仮の肛門様」の傍若無人な振る舞いから身を守るために必要なのが、人工肛門用排泄袋(ストーマパウチ)となる。

 

一般的(医療関係者も含めて)にはこの人工肛門用排泄袋のことも「ストーマ(またはストマ)」と呼んでいる。

 

ちなみに「ストーマ」とはギリシャ語で「口」のことである。

 

 

閑話休題。

 

 

昼食後1時間ほど経った頃、ストーマ認定看護師の長山さんがプラスチックのケースを片手に部屋にやってきた。

 

彼女からは入院初日に人工肛門のレクチャーを受けているのですでに面識がある。

 

「とりあえず、サイズ測りましょか」

 

と、相変わらずのぶっきらぼうな口調で言いながら、頑丈に止められた医療テープとその下にあるガーゼをやや乱暴にめくった。

 

真っ赤な「口」のようなものが顔を出した。

 

実は昨日の検診時に山田医師がガーゼをめくった時にチラッとは見たが、本格的に対面するのは今日が初めてだ。

 

彼女が持ってきたプラケースの中には10種類以上のストマパウチ(排泄袋)と粘着層を剥がすスプレー、泡石けんの入ったボトル、ガーゼ、消毒用パウダー、はさみ、ノギス、ゴミ袋等が仕分けされて並んでいた。

 

そこからまずノギスを取り出し、私の人工肛門の直径や、高さを測り始めた。

 

 

・・・私の場合は回腸(小腸)を切断した両端をお腹から出す、回腸ストーマ「イレオストミーと呼びます」のため、真っ赤な「口」のようなものの正体は「小腸」ということになります。

 

色が赤のは小腸の内側を裏返してお腹の外に出しているからで、外側の色は実際は赤ではありません。

 

私の場合とは別に結腸(大腸)を切断してお腹から出すのを結腸ストーマ「コロストミー」と呼びます。

 

ちなみにこういった話は基本的には病院ではしてくれません。・・・

 

 

 

 

 

サイズ測り終えると、ケースから何種類かのストーマパウチを取り出し、私の人工肛門とにらめっこをした。

 

「よっしゃ、これでいこう」

 

1種類に絞り込んだ長岡さんは、真っ赤な人工肛門のまわりを口調に似合わず、泡石けんでやさしく「なでるように」洗ってくれた。

 

ちなみに、人工肛門そのものには感覚がなく、手で直接触っても痛くもなんともない。

 

石けんをガーゼで拭き上げ、肌表面が乾くまで数分待った後、長山さんが装着を開始した。

 

直径20センチほどの円盤状の厚みのあるシート(裏面に粘着剤が塗布されている)をお腹にピッタリ貼り付ける。

 

私的には人工肛門の大きさに対してストーマパウチのシートの「穴」の大きさが小さいように感じたが、長山さんはシートを斜めにして人工肛門を下からすくい上げるように見事に装着した。

 

「簡単でしょ」

 

 

シート部分を手のひら全体で押さえるようにしながら言った。

 

このシートは手で温めることで接着力が増す。

 

マニュアルでは15分以上じっと押さえておくことになっている。

 

私の手をつかんでシートの上に置いた。

 

「次から自分で出来るよね」

 

いや、できるわけないでしょ。

 

「とりあえず、このまま15分じっとしといてね」

 

一旦出したストマパウチをケースに仕舞うと

 

「また様子見に来るわ」

 

と言い残し部屋を出た。

 

 

「えらいこっちゃ」

 

退院したらすべて自分でやらなければならない。

 

今は袋の中にまだ何も入っていないからいいが、実際の生活ではこの袋の中に「食べたもの」が溜まる。

 

正確に言えば、やや柔らかめの「うんこ」が、それも最初はどちらかといえば「水のようなうんこ」が、

 

毎日毎日、来る日も来る日も溜まる。

 

 

いまさら「肛門様」のありがたさに気づいても手遅れなのだ。

 

ここでは助さんも格さんも助けてはくれない。

 

長山さんには得意の色仕掛けも袖の下も通用しそうもない。

 

マスターするしかないのだ。

 

彼女が「太鼓判」を押してくれるまで。

 

「押してくだせぇ」

 

「まだまだ」

 

「押してくだせぇまし」

 

「もうちょっと」

 

「お願げぇしますだ、お代官様」

 

「しょうがねぇなぁ」

 

結局「太鼓判」が押されたのは2週間後であった。

 

 

明日は実践編デス。

 

 

 

本文(前編)ここまで、後編は明日に続く。

 

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◎他者への祈り

 

言い忘れてましたが、このブログの副題「祈らず、願わず、あてにせず」は言うまでもなく、「自分のためにしてはならない」と言う意味です。

 

おかあさんが子供のために、おじいさんが孫のために、ローマ法王やダライ・ラマ14世が人類のために、お寺のお坊さんが檀家のために、つまり、自分以外の人のために祈るのは「大変良いこと」ですだと思います。

 

理由は、相手の「脳」に伝わらないからです。

当然、祈られた人の脳に「ストレス」は発生しません。

 

ようは脳が「聞いてるか」「聞いていないか」だけの話です。

 

でなければ、法王はとっくの昔に「がん」で死んでるはずです。

 

 

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