千葉のマイナーな観光スポット(ただし建築物限定)(4) | 柵飯事2~shigaramimamagoto ~

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 お家騒動によって千葉氏が滅亡後、江戸期には特に大きく栄えなかったとされる千葉市中央区辺り。半農半漁の田舎が、廃藩置県後に佐倉と木更津の中間地という消去法的理由で県庁所在地となり、かつ、首都近郊で海が近かつ起伏が少なく広い土地があったことで軍都の機能が付加され、多くの人が集まったとされています。県庁所在地の中でも札幌、宮崎とともに歴史的バックグラウンドが乏しい、近代に急に栄えた街です。
 千葉市は軍都であったことから中心部は空襲の標的となり、かつ、元来、特段古い建造物が少なかったところ、歴史的建造物がほとんど残っていません。しかし、わずかながらですが戦前のものが残存しています。
 

 千葉市美術館に内包される形で保存されている旧川崎銀行千葉支店です。頑丈な作りで戦災から逃れた96年前の千葉市指定有形文化財です。川崎財閥系の建造物は結構各地に残っていて、文化財として保護されいるか、企業が社屋とするなど有効活用しています。
 川崎財閥系の建造物で、唯一、以前にこのブログでご紹介した旧川崎銀行水戸支店は今でも放置状態なのが気になります。
 

 そこから徒歩10分程度、県庁近くの日本基督教団千葉教会が保有する木造の教会堂です。お願いすれば内部も見られるようですが、一般開放はされておらず、大通りから全容も見えません。この日は応答なしでしたので、隣のビルに入っているお店の方に断って見てきました。約130年以上前の竣工とされ、被災地にありながら奇跡的に戦火から逃れた千葉県指定有形文化財です。
 

 市街地から外れたJR浜野駅から徒歩10分程度にある旧生浜町役場になります。千葉市指定有形文化財です。ここらあたりが下総国の南限でしょうかね。約90年前の木造建築で、和洋折衷のシンプルな外観は、当時の田舎町の景色にマッチしていたことでしょう。地方に行けばこうした建築物はそこそこあろうかと思いますが、東京湾岸沿いでは戦災を免れた希少な存在と思われます。

 ちなみに、この写真は、ここから車で10分程度のところにある旧椎名村役場で、旧生浜町役場と同い年で雰囲気もかなり似ています。こちらは区役所の連絡所として現役で、増築や窓枠をサッシに変更などしているためか、文化財としての指定は受けていません。
 両町役場を挟んだ一帯は戦国時代において重要な拠点でしたが、今となっては史跡は土塁がごくわずかに残るのみで、田園と宅地開発がせめぎ合う景観です。
 
 さて、陸軍の遺構は千葉公園内に部分的にあるのですが、現存する建築物となると隣接する稲毛区にあります。

 千葉経済大学の敷地内にある 旧鉄道連隊材料廠煉瓦建築物です。千葉市の中心地近くは陸軍の鉄道連隊の拠点となっていました。保存状態は今一ですが、当時の雰囲気を知ることができる建造物で、千葉県指定有形文化財となっています。
 

 そこから徒歩10分のところには気球連隊の施設もありました。終戦直前には風船爆弾作戦によってアメリカ本土を攻撃していましたが大きな戦果は挙げられなかったそうです。
 上の写真の施設は気球を格納する施設で倉庫として使用されていましたが、残念ながら老朽化のために3年前に解体され、すでに跡地はマンションとなっています。下の写真はその屋根を支えていた鉄骨の構造体の一部が千葉公園内にモニュメントとして設置されているものです。
 
 県庁所在地の都市としては発展の歴史は非常に浅いながらも、興味深い近代の建物が残っていました。