
「謙虚」(引用:明鏡国語辞典、以下同様)
へりくだって控えめなさま。おごりたかぶらず素直なさま。「過ちを―に認める」
心理をやっていると、その人が謙虚であるか、また自分自身謙虚に相手に接せているかが気になるものであります。 大学で臨床心理を学んでいて、「常に謙虚でいたいか」を問う心理テストがありました。「謙虚」という言葉を聞いたことのある方なら、誰でもそうありたいと思うでしょう。しかし、「謙虚」の意味を辞書で引くなり、
「『へりくだる』なんてばかばかしい。」
なんて言った人がいたものでした。
「へりくだる」
他をうやまって自分を卑下する。謙遜する。
この「自分を卑下する」というところに、どうも納得のいかない方がいるみたいです。実は私もその一人でした。
上の問題を片付ける前に、もう一つの問題を紹介します。
謙虚の本当の意味を知っていますか?実際、この単語、辞書の「謙虚」の字面だけ追っていても理解したことにならないことが多いということが、非常に問題なんです。
<私が勝手に解釈してですが>
一番上に書いた『へりくだって控えめなさま』は、少しマイナスのイメージです。一方、『おごりたかぶらず素直なさま』は、どちらかというとプラスのイメージです。『へりくだる』や『控えめ』がなぜマイナスのイメージとなるのか、それは、本来の日本にあった儒教的または仏教的な背景から『美』とされてきた『一歩下がる精神』が、先進してきた欧米の(キリスト教的背景だとは必ずしも思いませんが)『自由的』思考のおかげで、忘れ去られかけているのです。今となっては、なぜ『一歩下がる精神』が『美』とされてきたのかも疑ってしまう時代。でも、この『一歩下がること』=『謙虚』、これこそが現代の日本人に一番取り戻してほしいものであり、改めて意味を知って欲しいものなのです 。《私は、ここに書いてある意味の「へりくだる」は、あえて『謙虚』の意味と捉えない方が円滑にいくと思います。》
Q.『一歩下がる』とは、自分を卑下すること?
これは、実際にあなたがいるところから一歩下がってみればわかります。今までの景色より広範囲が見えてきたでしょう?こうして、一歩下がり、自分の視野を広げることで、新たな可能性を見出したり、自信に満ちたりします。よく聞く「自分に自信のある人ほど、謙虚になれる」とは、このことなのです。謙虚とは、『思いやり』の裏側にあるものであり、 決してなくしてはならないものなのです。
逆に捉える人は、「謙虚=自らを卑下すること」と思い、「どうせ自分なんか…」と言うと思います。これが、私が恐れている『謙虚』の罠なのです(「へりくだる」の意味を『謙虚』の意味と捉えないのはこの理由です)。自らを卑下する人は、謙虚どころかむしろ傲慢なのです。
なぜ『傲慢』とまで言えるのか。それは、「どうせ自分なんか…」という人は、「そんなことないよ」という慰めの言葉を待っていることが多いからです。実際私も、こうも自分を否定する人には疲れてしまうことがあります。たとえこういう目的がないとしても、無意識のうちに他人の心を操作して、自分を認めてくれるように仕向けてしまっているのです。これは、攻撃されぬように先回りして自ら言ってしまえば怖くないという「防御」でしかありません。つまり、これは優しさでもなんでもない、ただの『臆病』であると言えます。
『おごりたかぶらず…』とあるところから、『謙虚』とは『臆病』の反対、つまり『自分に自信を持つ』ということに等しいでしょう。
Q.謙虚であると、何がいいのか。
私は、謙虚の本来の意味は『他人を信じる』ということだと考えます。上に挙げた例の通り、 “はき違えた”謙虚さで、相手を信じられない『臆病』な人は、誰からも愛してもらえません。 「自分を愛することは他人を愛すること」 (『愛するということ』エーリッヒ・フロム)など、多くの書籍に記されている通りでありますが、人間の感情とは、反射なのです。これは、臨床心理学においても一定の証明がなされているものであります。私がメッセージボードに記したとおり、ヒトは嘘をつく習慣を身につけることで『表面上の強さ』と引き換えに『簡単に人を信じることのできないもろさ』をもらってしまいました。そんな世の中でも『他人を信じられる』という『人が本来持つべき強さ』が、本当の『謙虚』なのではないでしょうか。
(似ている記事・参考:http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/05/2.html)


今日も、気まぐれに、渚は波の間に希望と言霊をかきつくる。。。