先日、久々のブログ更新で茎ワカメの話を書きましたが、読んで下さった方からたくさんの温かい言葉をいただきました。



ふつう、ものづくりは平和な時に行われるのが一番です。


しかし、人を励ましたり元気づけるためにあえて立ち上がる加工という姿があるのだと一関市の千葉美恵子さんの姿をみて思いました。


今回は「加工ネット」のことを書きます。


「加工ネット」(社)農山漁村文化協会の「現代農業」の読者の集いの場として設けられている加工講座に参加した有志によって発足した組織で、全国各地に延べ約150余名の方が参加しています。


毎年「加工ネット」では春に地方研修で全国各地の加工の取り組みを視察しています。

いまさら震災以前の事を振り返って話すのもどうかと思いますが、平成23年春は422日から東北研修を予定していました。


そして事務局では震災の前日まで交通手段や訪問先の調整などを行っていました。当初の計画では前回登場した一関市の「茎わかめと椎茸の佃煮」の千葉さんの加工所への訪問を中心に、宮城県亘理郡のエリアの農産加工の取り組みなども見て学ぼうという話になっていました。


今回の震災は「加工ネット」の仲間達の生活・農業・加工の暮らしの場を様々な形で奪いました。


メンバーの多くは農家ですが、農家の母屋、納屋、加工施設が崩れたり、ガス・電気・水がストップして生産品・保管品がダメになったり、取引をしていた農家が被災したり、いろいろあります。




中でも、古くからのメンバーで東北地方の農家からの小さな加工依頼にも丁寧に応え良質なジュースを受託加工しておられた宮城県内唯一のワイナリー「桔梗長兵衛商店」さんは海岸に近かった場所にご自宅と加工所があったため、津波の被害を直接に受けることとなり、当主の桔梗幸博さんは残念ながら亡くなりました。大変悲しい出来事でした。




まだ「加工ネットの組織が発足していない頃から桔梗社長とは面識があり、長野の栂池で開催される加工講座にもお出ででした。とても面倒見の良い社長さんで、朗々とした声の持ち主で、一緒に居てこちらの気分が明るくなる方でした。



原発の避難対象エリアにお住いだった方々で、震災後の安否確認がとれない方もいらっしゃいます。避難生活をなさって無事であることを祈るばかりです。




地震発生直後から、そうした被災地の「加工ネット」メンバーの安否情報と被害状況を調べて下さったのは事務局の河村久美さん((社)農山漁村文化協会)とメンバーの先輩である野口忠司さん(千葉県我孫子市の農家「花囲夢」主宰)。


首都圏も余震が頻発していた中で、震災の被災地の方々に向けて安否確認を迅速に進めて、全国のメンバーに逐次情報を伝えて下さいました。



例えば震災の前日や当日の午前中に、先の被災したワイナリー(桔梗長兵衛商店さん)に果物を持ち込んでジュースの加工製造を依頼していたメンバーがいたということも後々に分かりましたが、依頼した方も被災して無事が確認されましたが、ワイナリーの惨状を知って言葉もありません・・・。



それぞれのみんなの平和な日が突然崩されてしまったのだと、あらためて思います。




そんな被災状況が明らかになる中、加工ネット」で我々の大先生である小池芳子先生のところ(小池手作り農産加工所)では、震災後に長野県から被災地に送るペットボトル飲料水のボトリング加工にフル稼働体制でかかっておられました。


そして、「加工ネット」では、被災地に住む(あるいは近くにいる)メンバーで加工を再開したいという想いを支えて応援しようという呼びかけも行っています。



例えば、宮城県亘理町にお住いのメンバーは、津波の被害で田んぼもイチゴのハウスも塩水と泥につかり農業再開の見通しができない中、唯一プレハブの加工施設だけが稼働できるようになりました。

そこで加工だけでも再開し作ったものを近所の皆さんに提供したいと意思表明されました。

もち米があれば、草餅かきもちおこわが作れます。


その肝心な原料となるもち米が海水に浸かってダメになってしまいましたので、メンバーから餅米を無償で分けてあげますよ、といった温かい申し出も早速出ました。




私の所では、九州内の知り合いの農家が果物を送ってきて、ジャムにして被災した方の食卓を支えたいと加工を依頼して下さる応援物資の加工が続いて、一部はGW過ぎまでもそうした加工を行いました。


被災地では不便な避難生活を余儀なくされている方が大勢いらっしゃいます。


食卓の明るさを再び取り戻すには随分時間がかかるかもしれません。それでも、地元の中でこうした活動を求めている方が徐々に出てきたことは幸いではないでしょうか。


私たち「加工ネット」のメンバーは今後もそうした方々の気持ちを支えて、応援し励ましていければとと思うのです。