コラボ企画☆北条時頼自作の像 | 富山市八尾山田商工会 わいわい やつお やまだ

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おわら風の盆の八尾(やつお)と柿酢やりんご、大根で有名な山田の地元情報をお届けします。

毎週水曜日は

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さんとのコラボ企画☆

今週のテーマは

【看板・石碑】

ということで、山田地区は鎌倉

北条時頼自作の像

を取材してきました。

【富山市八尾山田商工会】わいわい やつお やまだ-全景
これが北条時頼の自作の像ひらめき電球


由来は

鎌倉幕府5代執権の時頼が

若干30歳にして時宗に執権の座を譲る

その後、出家し

最明寺入道

と名乗り、変装しながら

全国行脚に出立DASH!

右矢印執権…懐かしい響きあせる

その際、この地を訪れ、

景色が鎌倉(相模)に似ている

とのことから、この地も

鎌倉

と命名。

右矢印かっこいいですねぇ叫び

ついに当地を離れる際、

時頼の人柄を慕い、

名残惜しがる村民に

自らの姿を彫った地蔵を

この地に残したと言われている。

【富山市八尾山田商工会】わいわい やつお やまだ-北条時頼
大木をくりぬいた中に地蔵が


右矢印なんと美しい話なんでしょうかぁラブラブ!

このような言い伝えは、

ずっと語り続けていきたいですね☆ニコニコ


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【編集後記】

さて、この美談に対して
「本当に時頼が来たの?」
という疑問符もあるようです。

実は、様々な文献でも
全国行脚したのは時頼ではなかった
とこはほぼ明らかになっており、最明寺入道と名乗った別人がいた可能性が高いとのこと。

では誰が来たのか?!

という話題になりますが、
1家来を連れてきたこと
2相模は鎌倉の地形、地名に詳しかったこと
などから推測すると、
時頼を慕い、同じくして出家した家臣たち
最明寺入道
を名のり、地域安泰のために巡回したのではないかという説があります。
「人格者」時頼をあえて名乗り、人々の声を聞き、適切なアドバイスを行うことで、人心の安定を図ったのではないかと推測されます。

折しも商工会では、巡回指導が提唱されてます。
直接声を聞き歩くことで人を知り、人の心を掴む
という時頼の政策を見習わないといけないと感じました。