《現在の徳川園 池泉回遊式日本庭園 龍仙湖》

昭和6年(1931年)

第十九代当主義親から邸宅と庭園の寄附を受けた名古屋市が、改修整備を行い、翌年『徳川園』として一般公開しました。

しかしながら第二次世界大戦の大空襲によって、ほとんどの建物や樹林などが消失してしまいました。

昭和60年、地元経済界と全国規模に広がった募金運動により、「徳川美術館」の大規模増改築が施され、平成13年(2001年)から日本庭園の再整備が始まり、平成16年(2004年)に『徳川園』として開園しました。



《お散歩時間の達人〜名古屋を楽しむ》

【徳川園 日本庭園】

名古屋市東区徳川町の一角に、
一際目を惹く黒塗りの
立派な門があります。

『徳川園』です。

徳川御三家筆頭、
尾張徳川家第二代藩主光友が、
元禄8年(1695年)に
自らの隠居所として
大曽根邸を造営したことを
起源としています。



《徳川園 黒門(登録有形文化財)》

明治33年(1900年)に完成した尾張徳川家の邸宅の遺構で、総欅造りの三間薬医門です。連続する脇長屋と塀を含めて、昭和20年(1945年)の大空襲による焼失の被害を免れた数少ない遺産であり、武家屋敷の面影を伝える貴重な建造物群です。



『徳川園』は、矢田川の河岸段丘を生かした高低差のある地形、既存の照葉樹の森、立体的に迫る大きな岩組が特徴で、変化に富んだ景観を劇的に展開する構成となっています。



《虎の尾》

この清らかな流れは『虎の尾』と呼ばれています。

深山幽谷の山水画を思わせる渓谷美を表現しています。

初夏には新緑、秋には紅葉が美しく彩ります。

もみじの木々を縫って「龍仙湖」へと注ぐ形状は虎の尾のようで、「虎の尾を踏んではならぬ」ことから「清らかな川に足を踏み入れてはいけない」ことを連想させます。



《龍仙湖の対岸に茶室「瑞龍亭」を望む》



《龍門の瀧》

龍門瀑ともいわれ、鯉が滝を登って竜となったという登竜門伝説に基づく滝の一形式です。尾張家江戸下屋敷跡地にあった滝の石を使用し、今回、徳川園に再現したそうです。



《山紫陽花》

派手さはないものの自然な美しさに惹かれます💓



《観仙楼》

龍仙湖に面する二層の建物で、庭園の眺望が素晴らしいです✨