日時: 7月14日(日)  14:00より
会場: 東京文化会館
指揮: 大野和士
演出: アレックス・オリエ
管弦楽: バルセロナ交響楽団
合唱: 新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部、びわ湖ホール声楽アンサンブル
児童合唱: TOKYO FM少年合唱団

トゥーランドット: イレーネ・テオリン
カラフ: テオドール・イリンカイ
リュー: 中村恵理
ティムール: リッカルド・ザネッラート
アルトゥム皇帝: 持木弘
ピン: 桝貴志
パン: 与儀巧
ポン: 村上敏明
官吏: 豊嶋祐壹


「オペラ夏の祭典 2019-20 Japan ⇔ Tokyo ⇔ World」、東京文化会館と新国立劇場による共同制作。
2020年開催の東京オリンピック・パラリンピック開催を見据えたイベントのひとつです。
バルセロナを拠点に国際的に活躍し、バルセロナ・オリンピック開会式の演出を担当したことでも知られるパフォーマンス集団「ラ・フーラ・デルス・バウス」の芸術監督アレックス・オリエが手がける演出。

プッチーニが未完のまま遺したオペラ、エキゾティズム溢れる音楽でスケールが大きな作品です。


大野和士が指揮するバルセロナ交響楽団は、緩急自在、迫力たっぷりのクリアな音色。
雄弁で緊張感がありドラマチック、充実しています。

イレーネ・テオリンのトゥーランドットは、透明感があり凛とした芯のあるシャープな美声、気高いお姫様。
迫力のあるオーケストラをも突き抜ける難易度の高い高音域を披露、抜群の歌唱力です。

中村理恵のリューは、瑞々しく清澄な美声、純真で健気な少女です。
情感たっぷり切々として哀愁漂い、見事な迫真の歌唱と演技に、胸が熱くなり涙を誘います。
このオペラにおいて、最も感情移入して共感できる人物ですね。

テオドール・イリンカイのカラフ、深く潤いと艶のある美声、充実した力強い歌唱力です。

リッカルド・ザネッラートのティムールは、風格のある端正な低音美声、充実の歌唱です。
リューの死を悼む哀しみの表現が胸を打ちます。
(息子カラフの手を振り払い、何処へともなく去りゆく…演出・演技がよい。)

持木弘のアルトゥム皇帝は、威厳のある声と歌唱。
ピン、パン、ポンによるアンサンブルも充実しています。

合唱は3つの団体が並んでいますが、パワフルで荘厳な響き、重層的で見事です。

管弦楽・歌唱・合唱それぞれがレベルが高く、満足度の高い公演です。


さて、アレックス・オリエによる演出、賛否両論あるようですが、私にとっては”あり”!!
充分に納得できる、腑に落ちるものです。
プッチーニの筆によるのは”リューの死の葬送”まで、以降は弟子のフランコ・アルファーノによる補筆ですが、
(女奴隷の死など取るに足らないもの…というような)
最後の大団円にはいつも唐突感と違和感を感じているので…。(^^;;(^^;;

リューを通して、トゥーランドットは”愛”を知り、心の氷を溶かし変化する「愛の物語」というのが定着したテーマ。

この舞台では、最も重要なテーマは「権力」。
国を追われた王子カラフはトゥーランドットの持つ”権力”に惹かれ、トゥーランドットと結婚することで再び”権力”を手に入れる欲望を持っているということ。
このカラフの”権力欲求”については、演出や演技ではよく分からなかったのですが…(^^ゞ、
幕切れ、トゥーランドットとカラフの結婚を祝う大合唱、「皇帝陛下万歳!」は、
(この場には姿を現さないアルトゥム皇帝やトゥーランドットではなく)
カラフへ向けられたものだという記事を鑑賞後に見て、「なるほど!」と納得しました。

もう一つのテーマは、トゥーランドットが抱く「トラウマ」。
祖母が異国の男に激しく乱暴されたということが、冒頭、音楽が始まる前にマイムで表されています。
そのため、トゥーランドットは苦痛を抱き続けて、愛することができず、異国の男性を処刑するという”復讐”の欲求を持ち続けています。
リューの自己犠牲・献身的な愛を、(おそらくカラフ以上に)トゥーランドットは深刻に受け止めています。
鎧を付けているかのような冷酷な強い王女ですが、実は傷つき易さ・脆さを併せ持っているのでしょう。
“愛”を知った上で、それでも尚それを拒む、カラフとの結婚を祝福される中で、(リューがそうしたように)首に刃を突き立て自害、暗転。衝撃的!!(@_@)(@_@)

リューは愛する人を守るために自害して、トゥーランドットは”愛”を拒むために自害する…
カラフの傲慢さ・身勝手さがより際立つ演出です。


無数の階段がある逆ピラミッドの舞台美術。
そして、多数の生首が外壁に掛かっています。(>_<)
(インドの階段井戸がモデルなのだとか。)
底辺の雑多な中に民衆がいる社会構造、社会の閉塞感・不条理を感じさせます。
トゥーランドットとアルトゥム皇帝はゴンドラに乗って上から登場、頂点に君臨する皇族の神秘性を象徴しているのでしょう。

衣装について、放浪するカラフやティムール、民衆は深いグレーや褐色を基調とした衣装、宮廷の貴族達や廷臣達は白色の衣装。
トゥーランドットとアルトゥム皇帝は高彩度の光り輝くような白色、圧倒的な権力・ヒエラルキーの頂点に君臨する存在であることを表しているのでしょう。
トゥーランドットの第3幕の衣装、袖と裾は鮮やかな白色ですが、身ごろはグラデーションで黒色となっています。
(ゴンドラの上ではなく、地上に降りてきています。)
モノトーンの舞台において、リューの濃いピンクの衣装(ボロですが(^^ゞ)が目を惹きます。
閉塞感・絶望感が漂う中、ある種の清涼剤、ひとつの良心の象徴のようです。

ピン、パン、ポンは、第1幕では浮浪者、第2幕では工事現場の作業員、第3幕では廷臣という風情。
どのような意図があるのでしょう。。。
(第2幕、3人のアンサンブルの時、原発の除染作業をしているかのような人がいるのは…(ーー;; (ーー;;)

トゥーランドッのト登場場面以外、全体的に照明が薄暗いのが少々残念。
意図は分かるのですが、遠目からはとても見辛い。(^^;;(^^;;


この舞台での「衝撃的な結末」自体は、私は支持派なのですが…
「プッチーニの他のほとんどの作品が悲劇であるにもかかわらず、この作品がハッピーエンドで終わるはずがない」という制作側の考えについては、「…???」
悲劇ばかりを書いてきたヴェルディの遺作は喜劇『ファルスタッフ』なのですから。。。
とはいえ、やはりこれだけ血が流れているのですから、ハッピーエンドはやはり不自然ですよね。
(舞台上ではペルシア王子とリューですが、物語上では数知れず…(>o<))
プッチーニは本当はどうしたかったのか、とてもとても興味があります。
(現在の定番ではないと、個人的には思っています。(^^ゞ)



本当は日程的にも新国立劇場で観たかったのですが…
アトレ会員にもかかわらず、単券では希望日の希望ランクをゲットできず、東京文化会館での鑑賞となりました。(T_T)
(セット券ではないので、いつもあまり良い席をゲットできず…(^^;;(^^;;、
毎年、鑑賞回数も少ないことだし、会員を続けるかどうか迷っている今日この頃です。)


    

写真左:第2幕
写真中:第3幕
写真右:第3幕