平成の終わりに捧げる年号の大真実 | 螢源氏の言霊

平成の終わりに捧げる年号の大真実








2019年をもって、天皇陛下がご譲位あそばすこととなり、今の元号である「平成」が終わるそうだ。


明治以来、天皇は死ぬまで天皇をやめられないというキツすぎる決まりだったが、昨年8月の「おことば」以来、それが覆った。





つまり、天皇陛下が引退して、約200年ぶりに「上皇」となる訳だが、自分の生きている世にまさかそんな一大事が起きるとは・・・。


歴史好きとして、上皇の復活が見られることは極めて幸運なことかもしれない。



ちなみに、メディア等では「生前退位」という言葉が用いられているが、歴史的経緯や実質面からしても「譲位」がふさわしい。


そして平成生まれの身としては、平成が昭和と同じような前時代のくくりになるというのが、なんとも感慨深いものがある。





しかし、いちいち平成〇〇年は西暦〇〇年や、昭和〇〇年〜平成〇〇年までは〇〇年間など、そういった計算が非常に面倒くさい。


また、平成っ子にとっては「昭和〇〇年生」と言われても何年前なのか全くピンとこないし、西暦に換算しないとわからない。



そもそも、今が平成何年かと聞かれてもすぐに答えられない(笑)


また、今回の改元を受けて、システムの対応が必要になるなるので、プログラマーの人たちは非常に大変なことになるらしい。





「元号廃止しませんか?」という声もあるが、それをしてしまえば日本と天皇の価値を大きく損なってしまうことになるので論外だ。


実際、元号廃止論は多いが、煩雑という理由で日本の宝をなくしてしまうのは極端すぎる。



そこで私が提案したいのは、



元号の俗用廃止である。



すなわち、元号は残すけど、一般的に使うのはやめにして公用だけに留めて、基本的に西暦をメインに使おう、という意見である。



ちなみにここでいう「俗用」とは、世間一般のだけでなく、政府の公文書における使用も指すため、官用も含む。


「公用」とは、主に皇室における使用を指す。





元号は伝統だから使用すべきというのならば、公文書において、皇紀(神武天皇即位紀元)も併用しなければいけないということになる。


戦後、皇紀は俗用されなくなったが、いまどきそれを復活させようというのは右翼ぐらいだ。



西暦2017年
皇紀2677年
平成29年



元号だけ贔屓して、皇紀を放ったらかしにするというのはおかしいし、元号を俗用し続けるのならば、皇紀も俗用するのが筋ではないか。


しかし、いちいち三つの紀年法を併用するのはあまりに厄介なので、わかりやすく世界基準になっている西暦を俗用するのが良いだろう。





要するに、私が言いたいことは「元号を皇紀と同じ扱いにしよう」ということである。


元号は、皇室や神道関係、また伝統を重んじる使いたい人だけ使えばいい。


いわば、元号の〝雅用〟限定である。





もちろん、日本のアイデンティティ確保のため元号そのものは廃止しない。


決して元号を軽んじている訳ではなく、むしろ元号の俗用を忌避するのは、一種の敬意として捉えることもできないこともない(笑)



それともう一つ提案したいのが、



一世一元の制の廃止である。



つまり、天皇の在位中は改元しないという制度(一世一元の制の廃止、元号法)を廃止して、頻繁に改元しまくろうという案だ。


明治以降、改元は天皇の代替わりする時に限るという決まりになったが、それより昔は災害や吉兆などの理由で頻繁に改元していた。





疫病が流行ったとか、地震や戦が起きたとか、綺麗な雲が見えたとか、珍しい亀が見つかったとか…、そういったことが改元理由だった。


改元することによって、国民の気分を変えようという思惑があったのだろう。



元号を俗用しない以上、改元しまくっても特に社会的な混乱は無いだろうし、改元することを皇室の恒例行事のようにすれば良い。


今のように、天皇の代替わりがないかぎりは、ずっと同じ元号を使用していたとして、途中で大不況や震災などが起きたとしよう。





そしたら、あたかもその元号は、とても不吉なもののような気がするし、その元号が続く限り不吉から逃れられないような心理も働く。


また、そもそも私は昭和生まれは〇〇だとか、平成生まれは〇〇だとか、そんな元号に基づく世代分けみたいなものはアホらしいと思う。



同じ昭和生まれでも、戦前と戦後ではまったく気質が違うし、元号による世代分けのせいで、どうでもいい偏見があることも否めない。


それに、天皇の代替わりがなければ、日本人の気質や価値観が一新ができないという風潮も、旧態依然を引きずる要因になっている。



もしも一世一元の制がなければ、私が生まれた1995年には、阪神・淡路大震災があったので確実に改元されていただろう。


昭和時代なら、2.26事件や支那事変や終戦、最近のことなら東日本大震災なども改元理由になっていたかもしれない。





改元は、時の天皇にお任せして、ベストな折で日本人の気分を一新させてほしい。


元号の俗用はせずとも、官報や報道で改元した由を公に知らせれば、国民の意識は変わる。



そしてもちろん、天皇の代替わりも改元の理由として尊重し、より天皇の気持ちが国民に反映されるようになれば良いと思う。


皇太子殿下へのご譲位が済めば、天皇陛下にはやがて「平成天皇」という追号が送られ、今は「平成時代」という時代区分になる。





明治時代→大正時代→昭和時代→平成時代と、明治以降は元号そのものが時代区分だったが、いずれ「東京時代」と総称されるだろう。


飛鳥時代から江戸時代までは、政権所在地名が時代名となってきたのに、明治から急に元号が時代名になるのはおかしい。



そして、最後に提案したいのが、



皇紀の修正である。



先ほど、西暦を俗用するのが良いと述べたが、統一性と日本の独自性を優先するなら、皇紀を俗・公・官を問わず使用するのが理想的だ。


皇紀とは、初代である神武天皇が即位してから〇〇年という意味であり、今年は2677年だ。



初代天皇の即位=日本の建国を意味し、それは紀元前660年のことだったと明治政府が定め、それ以来、その数字が定着した。





しかし、結論から言うと、それはありえない。


なぜなら、あまりに昔すぎるし、天皇の在位や年齢に矛盾が生まれるし、そもそも神武天皇の即位年は聖徳太子が勝手に決めたものだ。



建国記念日と、辛酉(かのととり)に隠された意味



では実際のところ、いつ神武天皇が即位したかというと・・・。


私は、西暦181年説を推したい。



在位や年齢の矛盾を修正し、当時の中国王朝の歴史書などを考慮した結果である。


つまり本当なら、今年は皇紀1836年だということであり、それが日本が建国されてから経過した年月そのものと考えて良い。





そもそも紀元前660年というのは縄文時代で、現実的に考えても無茶がある。


そんなアホみたいな年代を鵜呑みにするから、「神武天皇は存在しなかった」という馬鹿げた学説が主流となってしまったのだ。



それこそ、歴史学者のほとんどが左翼になってしまった所以でもある。


初代社長のいない会社はないように、初代天皇である神武天皇も実在の人物であり、ただただ即位年代が間違っていただけだ。



年号は「祝い(181)ましょう、日本の建国」とでも語呂合わせをして覚えれば良い(笑)


日本書紀には、神武天皇は「辛酉しんゆう」の年に即位したとあるが、同じ辛酉の年でもあり得るのは西暦181年なので、皇紀の始年をこれに修正しよう。





いずれにせよ、日本は世界一古い国家である、ということには間違いない。


しかし厳密にいえば、神武天皇が初代であり、日本建国の父というのは間違いなのだ。



これは過去に述べているように、私が支持するある説だが、実は初代天皇はニギハヤヒという人物であり、彼が日本建国の父である。





本当は神武天皇は二代目ということになるが、そこらへんはややこしいので、こうしよう。



第0代 ニギハヤヒ(初代天皇)
第1代 イワレヒコ(神武天皇)



神武天皇西暦181年即位説は、この史観から検討したものでもあるが、またそれとは別に八木荘司やぎそうじ氏の説も含んである。


JOG(381) 大和の国と邪馬台国



これが実際の皇統譜(古代皇室の系図)




この史観に関する過去の記事



【京都サミット2016】②八つの坂と日本神話の真実と現代のスサノオ

物好きたちの夏と支配からの独立2 〜鬼の祭祀者〜

史上初の神主・オオタタネコの本名と古代日本人の性生活

【京都サミット2017】②神なる第六天魔王の化身と厳霊の宿り



神武天皇は初代じゃないという極左的な発言をしたかと思えば、天皇が世界を統治すべきだという極右的なことを言っていたり・・・。


これは、右翼も左翼もビックリ仰天するほどに過激な思想かもしれない(笑)



ちなみに、一般的な時代区分に対しても反論、というか新しい提案があるので、それについて次回の記事で解説したいと思う。