将棋ポエム「廃指し」 | 将棋大好き雁木師の新将棋文化創造研究所

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「将棋大好き雁木師の将棋本探究」をリニューアルしたブログです。
主に将棋に関する詩などの作品紹介と、自分の将棋の近況報告を行います。

読者の皆様こんにちは。雁木師でございます。今日は将棋ポエムの作品発表です。早速作品を披露いたします。

 

廃指し

 

何のために

僕は指す

 

何のために

スマホに向かう

 

何のために

アプリを開く

 

理由なんてない

ただ指し続ける

 

勝っても負けても

ひたすら指す

 

結果に眼もくれず

ただ指し続ける

 

意味もなく指し続ける

己の力の限界まで

 

そこに見えるは

強さか弱さか

 

あらゆるものを

失ってまでも

 

今日もひたすら

僕は指す

 

 

解説:今回の作品はいかがだったでしょうか?ここからは作品と将棋用語の解説に入ります。今回の作品は、厳密に言うと将棋用語ではございませんが、ネット将棋における「廃指し」とよばれる現象を作品にしてみました。詳しくは用語解説で述べますが、廃指しは棋力向上においてはあまりよくない行為とされています。「廃」という言葉が使われている以上、あまりいい意味で使われていないのは分かりますが、この用語の明確な意味を知っている方は多くないのかもしれません。

さて、今回は私の経験談を基にこの作品を書いてみました。というよりも、今も経験していることなのかもしれません。「しれない」と断定できないのは、本人に自覚はなくとも他人から見たら「指しすぎ」に見えるくらい対局数をこなしているからです。

 

では作品の解説に入ります。序盤の「何のために~」の3連で続けたことは、続く

「理由なんてない

ただ指し続ける」

という答えとなる文章を導き出すために書いたという意図です。

中盤の文章は「廃指しの流儀」ではありませんが、私の廃指しの心境をそのまま文章にしました。なぜ廃指しをするのか答えを見つけることができない(というより探さない?)まま指し続ける心理を文章にしたのですが、こうしてみると我ながら結構イタイことを言ってるなと感じます。もしかすると私が将棋を指す理由は、将棋が強くなりたいというより将棋を指す自分に酔いたいと思っているのかと錯覚するのかとも思ったり…。

さて、終盤の文章は廃指しを続けることで見えた「未来」と「現実」を表現してみました。「未来」の部分は

「そこに見えるは

強さか弱さか」

分かりやすく言えば、純粋な勝敗やウォーズでいうところの達成率といった目先の「未来」です。「現実」の部分は

「あらゆるものを

失ってまでも」

ここでいう「あらゆるもの」は将棋に限らず自分のあらゆるものすべてを意味します。親友・彼女・家族といった、人間にまつわる事柄、仕事・社会的地位・人間関係などといった社会にまつわる事柄、お金・家・モノなどといった経済的観点にまつわる事柄…。廃指しをやった結果、様々なものを失ったという哀しい結末を表現しています。

私は実際に廃指しを極めた結果、一時期「人間」を失いました。人間の持つ力、体力、気力…人間にまつわるあらゆるものを失い、生きる力を無くしたこともありました。ただそれでも廃指しを止めることができず、最後の文章

「今日もひたすら

僕は指す」

へとつながります。廃指しを止める勇気、判断力、想像力…すべてを削がれてもなお指し続ける。将棋人としての「強さ」と人間としての「弱さ」を同居させた文章の構成です。

私は趣味に没頭していると一種の「ゾーン」に入ることがあります。それは将棋に限らず、絵の構想を考えるときも同じです。「ゾーンに入る」ということは周囲を見失う危険性もはらんでいます。藤井聡太竜王名人も少年時代に、帰り道に詰将棋を考えてたら側溝にはまったというエピソードが知られていますが、考えが一点に集中すると周囲の状況に気づかなくなるケースはよくあります。よく趣味をやっていると「時が経つのを忘れる」などと表現しますが、まさに「ゾーン」に入る状況なんでしょうね。いずれにしても、廃指しをやっていると何もかもを忘れて盤面に一点集中することになるのでしょうか。

 

なお、この作品の形式は口語自由詩。技法としては

「意味もなく指し続ける

己の力の限界まで」

の部分に倒置法。冒頭の「何のために」の3連はリフレイン(反復法)を用いています。

 

※参考文献はこちらから

 

 

 

ではここからは用語解説です。今回は「廃指し」についてです。廃指しは前述したように将棋用語ではございません。もともとはSNSで生まれた言葉とも言われています。実際にXで「廃指し」と検索したところ、たくさんポストが上がっていました。「廃指し」の正確な語源は不明ですが、一説によればゲームの「廃人プレイ」を将棋に適用したとあります。

廃指しの意味は、感想戦などで対局内容を精査せずにひたすら将棋を指すこと。対局数は増えますが、精査をしないので棋力向上のためにはおススメできない行為と言えます。

 

※参考文献はこちらから

 

 

しかし、棋力向上にはよくない行為とされる廃指しをどうしてやってしまうのか…。これは将棋ウォーズの場合ですが、Xの投稿を私なりに分析したところ、2つのアプローチから廃指しに向かうことが考えられます。

 

廃指しができる環境

廃指しができる要因の1つに「課金」があります。と言いますのも、将棋ウォーズでは課金をしなくても対局することは可能ですが、1日3回までと対局回数が制限されています。問題はこの「1日3回」の制限をどうとらえるか。少ないと思うか十分と思うか、それとも多いと思うか…。私がウォーズを始めた当時は「少ない」と思っており、もっと指したくて課金を始めました。確か課金を始めた当時は人生何回目かの就活中だったので、課金の代金はスマホの料金と一緒に引き落としたと記憶しております。自分の貯金から引き落としていましたが、課金額もお手頃だったので「これで指し放題なら安いもの」と考えていました。

 

Xの投稿の中には

「廃指し防止のために指し放題プランを解約した」

「アプリを入れていると廃指ししてしまうのでアンインストールした」

という旨のポストもあり、あえてウォーズから離れる「冷却期間」を設けて廃指しを止めたという過程も1つの選択肢にあるということが分かりました。課金をしないということで、あえて対局数の制限を設けて一局一局を丁寧に指すことを心がける姿勢は見習いたいところです。しかし、廃指しの沼にどっぷりつかった私は「実戦不足が怖い」と自分に言い訳しながら指しまくる今日この頃…。

 

もちろん、経済的な余裕だけでなく時間的な余裕もポイントの1つです。廃指しをした方の中には

「年末年始のあいだに廃指しした」

という旨のポストもあり、時間に余裕がある時についつい指したくなって、気づいたら廃指しなんてこともあるそうです。

また私もそうですが、仕事の休憩中などの「スキマ時間」についついウォーズを開いて気づいたら対局なんてこともあります。そうなるとどうしても「短時間でたくさん指したい」という意思が働き、対局過多に陥るという兆候にあるといえます。

 

以上をまとめると「課金×時間的余裕=対局過多」の傾向があり、対局が簡単にできる環境ゆえに廃指しが起きやすい環境ができることになります。ただし、環境はあくまで廃指しの土壌であり、うまく抑制できる人は振り返りに必要な機能(棋神解析など)をうまく使うなどしてバランスを保っていると言えます。そこで次のアプローチです。

 

 

廃指しをしたくなる動機

なぜ廃指しをするのか。考えられるパターンは色々ありますが

・負けて落ちた達成率を取り戻すため

・欲しいアバターやエフェクトがあったため

といったパターンが多いようです。

 

まず、負けて落ちた達成率を取り戻すためというパターン。廃指しという現象はウォーズに限らず、様々なネット将棋の舞台でも使われる言葉です。将棋倶楽部24の場合は廃指しが原因で「レートを溶かす」という表現で、廃指しの結末を伝えていることもあります。私の場合、24でもウォーズでも負けた分を取り返したくて対局を重ねてしまう傾向にあります。

 

こうした「直近の負けを取り返したい」という心理、ギャンブルをされた方なら理解できるかもしれません。最近はYouTubeで「ギャンブル依存症の末路」みたいな動画を視聴することがありますが、こうした「負けを取り返したい」という心理は「プロスペクト理論」と呼ばれ、負けたときによく聞かれる「負けたままでは終われない」という心理は感応度逓減性(かんのうどていげんせい)が働くと言われています。私は心理学の専門家ではないのでここでの説明は割愛しますが、ゲームでもギャンブルでも負け続けると感覚がマヒするのは同じです。

※プロスペクト理論についての詳しい解説は下記リンク記事をご参照ください。

 

 

もちろん、将棋などのゲームとパチンコなどのギャンブルを同類項に扱うのはあまりよくありませんが、負けたままでは終われない心理に陥るのは共通していると思います。ふがいない対局を指して負けたとき、ついついもう一局と思ったりすることはあると思いますが、まさにプロスペクト理論が働いていると言えます。

 

次に、もう1つのパターンである「アバター」について見ていきます。今回Xにて廃指しのポストを検索したところ

「ほしいアバターがあって廃指しした」

という旨の言葉とともに、欲しいアバターの画像が投稿されていたポストがありました。過去には日本将棋連盟のコラム記事にて、ウォーズの魅力の1つに「アバター」を取り上げております。

 

ウォーズにおいて、アバターを入手するには条件が必要なものもあります。ウォーズでは、毎回のように「勝ち抜き戦」などの大会イベントを開催しており、そこで一定の成績(何位以内や連勝・勝ち数など)を収めた場合に「報酬」としてアバターを獲得することができるという仕組みです。欲しいアバターが「期間限定」で「一定の成績」を収めないと「報酬」がもらえない…。こういう話を聞くと人間はどんな心理になるでしょうか?

 

実は面白いnote記事を発見しました。

 

 

この記事を書かれた方は心理士をされており、子どもたちがなぜゲーム課金に手をつけるかという心理を解説されています。その中の1つに「おしゃれとコレクション」の要因が書かれていました。

将棋ウォーズにおいても、コレクションの要素を持っているとされています。アバターもその一つでたくさん持っていると嬉しくなってついつい自慢したくなるという方もいるではないでしょうか。また、期間限定条件付き報酬アバターに好きな棋士やお好みのイラストが描かれていると「ついつい廃指しがやめられなくなる」という方もいるかと思います。ちなみに私が現在持っているアバターは343種類。多いのか少ないのかよくわかりませんが、アバター目的で廃指しになった記憶はありません。

 

 

そして、将棋ウォーズを楽しむうえで欠かせない存在の1つに「エフェクト」があります。戦法の形や囲いの形を完成させたときにボイスを発しながらイラストが出ますよね。あれがエフェクトと呼ばれるものです。マイページのコレクションの欄では、自分が発生させたエフェクトの数を確認することができます。ジャンルは「囲い」「戦法」「手筋」「特殊」の4種類。で、実際にエフェクトを開くと、エフェクト発生したときの成績や勝率、段級位などが掲載されています。

私の場合、最も得意と評価されている戦法の右玉は段級位は三段前後、勝率は.580前後という評価が出ています。このように、エフェクトだけでなくその戦いでの成績も掲載されているので、得意戦法でどれだけ勝っているのかやレア戦法の勝率はどんなものかといったことも把握することができます。

私は戦法エフェクトの段級位にこだわる傾向があり、得意の戦法で段級位が落ちるのだけは避けたい心理が働くことがあります。一時期は「自分は絶対右玉で負けるわけにはいかない」と考えていたこともありました。得意戦法で負けたときのショックはウォーズでもリアル将棋でも同じですよね。大切なことは、得意戦法でなぜ負けたのかを振り返ることなのかもしれません。

 

以上のことをまとめると、ウォーズで廃指しをする理由は大きくは

・達成率を取り返す

・欲しいアバターや戦法エフェクトが気になる

ということです。ただし、今回述べたことは私の経験談も含まれているのでこれが答えであるとは限りません。読者の皆様で、将棋ウォーズにハマった経験のある方、そして廃指しの経験をした方の声もお待ちしております。コメント欄で書いていただいてもよし、XにもアップしますのでXのリプや引用ポストでご投稿いただいてもOKです。また、作品のご意見やご感想などもお待ちしております。

 

 

連動企画「廃指しで得たもの失ったもの

ここからはより詳しく、私が実際に廃指しを経験して感じたことをお話します。まずは先日のアンケートの実施企画の結果を発表します。

 

 

 

改めて投票にご協力とポストを閲覧してくださった皆様、本当にありがとうございました。中には前述記事のコメント欄に

「初めて聞いた」

という方もいらっしゃいましたので、改めてSNSでは知られていても将棋界での認知度はそんなに高くない言葉であることが分かりました。また、廃指しの明確な定義が分かりにくいのも投票数が伸びなかった要因なのかと思います。

 

ではここからは、私の廃指しの体験を語りたいと思います。私が廃指しに陥った時期はおそらく一度ではありません。断定的に言えない理由としては、前述したように廃指しの定義が不明な要素があるからです。

 

以前、旧ブログを始めたころに私の大学時代のお話をしました。

 

 

最初に廃指しを経験したのは大学3年くらいの秋頃だったと思います。当時の私の将棋のメインの勉強法は将棋倶楽部24でひたすら実戦を重ねること。ただし、現在のように分析機能が存在せず、ひたすら夜~深夜にかけて指しまくるという生活でした。しかも当時は深夜ラジオを聴きながらの対局だったので、当然棋力が伸びることはありませんでした。余談ですが、当時の学生時代に好きだった深夜ラジオはニッポン放送「オールナイトニッポン」~文化放送「走れ!歌謡曲(現在は終了)」の流れ。好きなパーソナリティは「オールナイトニッポン」ではmiwaさん。「走れ!歌謡曲」では小林奈々絵さんでした。特に小林奈々絵さんは石川県のご出身ということもあり、富山出身の私にとっては同じ北陸人の心の拠り所みたいな存在。かつてはカレンダーの画像をスマホの待ち受けにしていたこともありました(今となっては恥ずかしいですね)。

さて、当時の心境としては一刻も早くレートの向上と棋力回復をというものでした。しかし、次第に前述した「夜更かしをしながら将棋を指している自分に酔った」状態に陥り、強くなるより将棋を指す自分自身に「酔う」感覚でした。

就活が始まってからは「心の安定剤」みたいな感覚で将棋を指すようになります。面接や筆記試験などのプレッシャーから解放されると、深夜にラジオを聴きながら24で浴びるほどに将棋を指す。それはそれで苦しい時もありますが、やはり楽しさがウエイトを占めるようになります。

やがて就活が終わり、社会人としてこれからという時期に私は社会の苦しみを味わいます。私は就職を機に1人暮らしを始めました。実は学生時代は男子寮で生活しており、自炊の経験はほとんどありません。それが社会人になって「経験不足」となって露呈した形に。仕事も住宅リフォームの営業でしたが、成績をあげることもできず、先輩や同期からは叱咤激励を浴びる日々。「赤字社員」の烙印を押されるくらいならと私は無断欠勤を敢行し、自殺を図ろうとしました。幸いにも未遂に終わりましたが、結局会社を入社1ヶ月で退職することになりました。

今思えば、学生時代の将棋倶楽部24における廃指しで「得たもの」は実は「自己陶酔」と「勝利の快楽」しかなく、反対に「失ったもの」は「社会人に必須なあらゆる経験」だったということです。後にその会社は悪い意味で全国区に報道されることになりましたが、もし私が廃指しに陥らなければ会社にどれだけ貢献して、どれだけ稼げたのだろうか、いや、こんな会社に入社せずに世間で評価される会社に入れたのかと思うこともあります。

 

こうして、廃指しで「失ったもの」はやがて私の人生に大きな副産物を生み出すこととなります。

富山に帰った私は再就職に無事成功し、書店員として働く日々を送りました。書店員は言うまでもなくサービス業。当然土日祝日はいつも出勤で、将棋大会に出たいからという理由で日曜日を休むことは社員の私には無理がありました。当時私が働いていた書店の営業時間は9:00~24:00まで。私は職場のシフトでいう「遅番」を任されることが多く、15:00~24:00まで勤務する日が多かったです。

当時を振り返ると、この時期も将棋倶楽部24を指していましたが、大学時代のようにのめりこむというよりは「嗜む」という感覚。ストレスと不規則なシフト・生活ゆえに、将棋に触れる時間も自然に減ったので棋力も気力も確実に落ちていました。当然ながら将棋のことを考えている暇なんてほとんどなく、休日も仕事のことが頭から離れられませんでした。

やがて会社都合で3店舗を掛け持ちで勤務するようになり、私のストレスは増幅。「目が死んでいる」などと当時の社長から言われた私は「あなたの眼も死んでいる」などと反論したい気持ちをぐっとこらえて仕事をしてきました。しかし、成績不振やお客様からの問い合わせにクレーム処理、上司からの叱責など、様々な要素が絡んで私の心身は限界に達し、再び自殺を試みることになります。幸いこの時も未遂で終わりましたが、社会人になってから2年と数カ月の間に2度自殺を試みるのはさすがに異常ということで、精神科の診察を受けることになります。

下された診断は「抑うつ状態」でした。その時、当時の担当の先生はこんなことを指摘しました。

「経験不足は否めない」

 

きっと社会に出るうえで必要な経験・知識を学ぶチャンスを廃指しで潰していたのかなと今になって思うことがあります。もちろん、すべての原因が廃指しとは限りません。自分の生い立ち、家族、人間関係、そして特性など要因はもっとあります。ただ、その要因の1つとして、廃指しの影響力がわずかにあったのかどうかという点は考えていて感じました。

書店員を辞めた私は、その後も2度自殺未遂を起こしました。北陸の自殺スポットとしても知られる福井県の東尋坊にも2度行きました。仕事で嫌なことを感じたり、叱責を受けると自分を否定された気持ちになり、生きる価値を見出せえずに死にたくなる…。これは「希死念慮(きしねんりょ)」と呼ばれる症状だそうです。後に私は発達障害と診断され、完全な社会復帰まで2年ほどかかりました。

幸いにも、入院(閉鎖病棟)と退院後のグループワークや障害に関するプログラム、就労支援を経て今の介護施設での清掃の仕事に就くことができました。とはいえ、またストレスからか現実逃避からか将棋ウォーズで対局過多に陥ることがあります。ただし、大学時代の24での廃指しとは違い、負けが込んだら素直に

今日はここまでにしてまた明日頑張ろう

と思うようになり、がっつりとした廃指しまでいくことは減っています。そのあたりは管理できているのかなとは思いますが、やがては自己抑制ができるルール作りも必要かもしれません。

 

さて、話がかなり重い方向にそれてしまったので、廃指しで「失ったもの」の副産物に戻ります。副産物としてはこんな感じでしょうか。

・物事を短期視点で見がちになる

・周囲を見て判断する力を失う

・あらゆる結果に一喜一憂する

 

私の場合、書店員時代に「短期で結果を求める傾向がある」と指摘されたことがあり、諌められたことがありました。どうやら無意識に、より早く即効性の結果を求める癖が染みついたようです。

 

 

ここまで廃指しで「失ったもの」に焦点を当てて語ってきました。しかし、廃指しが純粋に「百害あって一利なし」というわけではありません。廃指しに関するポストにこんな旨の投稿がありました。

「廃指し=トライアンドエラーを繰り返すから経験値が高いイメージ」

「廃指しは定跡手順の暗記に向いている」

 

詳しく見てみると、廃指しをするということは純粋に実戦の量をこなす=感覚を養うことができるというイメージを持っている方もいるそうです。ネットでもリアルでも、実戦を止めているスパンが長くなると感覚を失うのではないかという恐怖が出てくるかと思います。感覚を研ぎ澄ます、維持するために廃指しとはいかなくとも対局数をこなすのは有効手段の1つと言えるでしょう。

 

以上のことをまとめると、私が廃指しで得たものは

・定跡が短時間で指しこなせた

・純粋に経験値が上がった

ということです。ただし、その分だけある程度の「人間力」を失う代償もあるのでなるべくなら廃指しはほどほどにしたいものです。

 

では最後に、廃指しに関する記事でメンタルに特化したものがあります。下記リンクから詳しく見れますので、興味のある方はぜひ読んでいただければと思います。

 

 

将棋に限らず、精神の不調はパフォーマンスにも影響を与えます。もちろん肉体の不調も同様で、先日渡辺明九段が形勢がこれからという状況の時に足の不調で投了されたことも記憶に新しいところです。心身の不調時に将棋で廃指しを行っても結果が出ないのはある意味では当たり前の現象です。

 

私も今回この記事を書いてみて、改めて将棋との向き合い方、ウォーズとの向き合い方を考える必要があると感じました。負けを取り返したい人間の性は分かりますが、大切なのは自分自身と向き合っているか。そして、廃指しの代償として何を失ったのかを改めて考えさせられた次第です。確かに将棋で勝ち続けるのは楽しいですが、いつまでも勝ち続けられるわけではありません。負けを取り返すことに固執して、あらゆるものを失うことのないよう、皆様の充実した将棋ライフを改めて願っております。

 

さて、長々と話してきましたが今日はここまでとさせていただきます。本日も長文となりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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