2006-04-27 11:34:53

<信じるということ、疑うということ>

テーマ:ブログ

西暦2000年、日本では「裸のサイババ」と題する書籍が出版された。これをきっかけにして、それまで醜聞には無縁と思われていたインドの聖者サイババの奇蹟に関する真贋論争が国内で激化した。もともとサイババ自身は宗教団体の運営を行っていたわけではなかったのだが、この結果、帰依者によって営まれていたボランティア団体からは多くの脱退者を生み出した。神の化身としての権威は地に落ちてしまったわけである。
これより、識者の間ではサイババへの帰依をあからさまに表明するのははばかられる土壌が醸成されたといってよいだろう。

私にとってサイババとの出会いは、「裸のサイババ」出版の数年前にさかのぼる。青山圭秀著「理性のゆらぎ」が最初であった。この本は、科学と信仰が調和する価値観を探る名著であると今でも私は思っている。数冊にまたがる氏の著書において、サイババは紛れもなく神の化身としての権威と威厳を読者の前に携えている。
私は、氏の冷静にして精緻な筆致に心酔し、著書を通して氏の体験したサイババとの邂逅を共有した。読了当時より、私は私自身の心の内に、サイババを住まわせるための座をこしらえ、それは月日とともに決して少なくはない領域へと拡大していった。
そうして数年が過ぎるころ、「裸のサイババ」と遭遇することになったわけである。内容に関する所感は下品の一言につきた。けれども、こうした可能性について追究してみる意義はあるとも考えた。
「裸のサイババ」は告発の書であり、「理性のゆらぎ」は啓発の書である。もとより本の性質が全く異なるので、前者が過分に品性下劣であったとしても仕方のないことなのかもしれない。しかし、同じ人物を扱ったにしてはあまりにも違いすぎるその内容は、一体何に起因するのだろうか。

人間が物事を判断する場合、いかにその判断が客観「的」であっても、真に客観視することはできない。なぜなら、判断するという観測者の存在を受け入れる以上、それは観測者の主観を切り離すことができないからである。従って、「裸のサイババ」も、「理性のゆらぎ」も、ともに著者の主観に負う作品であり、文中で語られる様々な直接的、間接的なエピソードは、結局のところ、読者がその真偽を正しく判断することはできない。であるにも関わらず、我々はそれらの情報から何事かを感じ取り、そこに真偽の判断を下すわけである。
つまり、事実認識には著者と読者双方の感性の介在が不可欠であり、書物は著者を、あるいはその読者の心の何かを映し出す鏡のようなものとしての側面を持つと私は思う。
同じことだが、邪悪な教祖に魅せられる信者は、その信者自身、教祖と等質の邪悪を内にもつのではないだろうか。

私は、もともとサイババの帰依者でありながら、最終的に「裸のサイババ」の語るサイババ像を受け入れたある人物の思考を、ネット上の告発をもとに追体験してみた。
この方はきわめて理性的にサイババ信仰を捨て去るにいたった経緯を説明しており、自身の信仰を覆すにあたっては、相応の苦悩と葛藤があったようだ。
しかしながら、この方が事実関係を検証していく過程においては、ある重大な視点が欠落しているように見受けられた。
それは陰謀論である。
サイババの語る思想や、サイババが行っている事業を快く思わない邪悪な勢力の実在を仮定した場合、サイババに関する醜聞の多くが、そうした勢力の企む陰謀の結実である可能性がある。実際、それらは陰謀にはつきものの情報操作における、ある一定の法則にほぼ過不足なく収まっているからだ。

以前書き込んだ<陰謀の手口>http://ameblo.jp/sho2005universe/archive6-200505.html より、サイババ関連の醜聞については、これらの手法がくまなく踏襲された可能性があると気づかされる。この方法に従えば、個人の名誉や権威を失墜させることなど、たやすいものである。
こうした視点を導入することで、サイババに関連した醜聞のうち、信頼度の低い、不確かな情報をふるい落としていくと、状況から推測して最も信憑性が高いと考えられるのは、コニー・ラッソンという名の元帰依者による告発に限定されてくる。
従って、氏の告発が支持されるのはやむを得ないことであるとしても、このたった一つの証言によって、それ以前に報告された無数の奇蹟と言動が価値を失うのだとすれば、それはそれで奇妙な話である。情報に関する質的量的評価が不当に偏っているといわねばなるまい。

また、国連機関であるユネスコがサイババの醜聞を肯定している事実に関しても、やはり陰謀論をもってこれを懐疑的に捉えることができる。
世界規模の陰謀を追究する過程で、私は国連の抱える腐敗と汚職に関する情報を得、一般的に思われているような権威が、すでにこの機関にはないことを知っている。ユネスコ自体、邪悪な陰謀に加担する腐敗組織と成り果てている可能性が高いのだ。
そもそも、「裸のサイババ」という書籍そのものに対する不信感をあらわにする方は、サイババ肯定論者はもとより、否定論者においても少なくない。それは、書籍の内容もさることながら、巻頭で用いられたサイババのトリックを告発する証拠写真が、合成写真としてのいかがわしさを具備していることに由来する。
私自身、当初からそれらが作為的な写真であることに気づいていたのだが、現在はサイババ支援サイトhttp://www.sathyasai.or.jp/ で詳細にその偽造のしるしが告発されている。

一体、人は何によって信仰を得、何によってこれを捨て去るのだろう。サイババの醜聞が多数にのぼるとしても、サイババが行ったとされる奇蹟の類と思慮深い言動はそれこそ無数に存在し、証人、証言の数においても後者は前者を圧倒しており、両者における信頼度の質的量的評価は、明らかに帰依者にとって分があるようにみえる。前者には、時間的優位、即ち、より最近の情報であるというアドバンテージがあるだけではないだろうか。
しかし、こうした醜聞に遭遇しても、全くその信仰が揺らがないというのであれば、それはそれで狂信に陥る危険がつきまとうと私は思う。

なだいなだ氏は、その著書「神、この人間的なもの」で、我々が何かを信じるのは、そう信じることで安心感を得、不安から逃れるためだと結んでいるのだが、私はそれは少し違うのではないかと思う。確かに、人は己の不安を解消するために神を信じる、あるいは科学を信じるという側面はあるかもしれない。だが、それはそもそも、人間はその心が神に向かわなければ失うことへの恐怖を拭い去ることができぬようプログラムされた存在であるということの証でもあるのではないだろうか。つまり、人間は最後には神を想うようにできている生き物、即ち神をその心の裡に育み、これを表現するよう宿命付けられている生き物であるということだ。どんな唯物論者であっても、今はの際で己の魂の行く末と神を想わぬ者などいないのではないだろうか。
それゆえ、何かの信仰を捨てるということは、大変な不安を抱え込むということでもあり、理性の要求に従って己の信仰を疑うのは勇気のいることだ。これが、邪な新興宗教から多くの人々が脱却できぬ理由でもあるだろう。

けれども、理性の危うさを心得たものならば、ことの真贋を見極めるためには、己の感性を研ぎ澄ませておかねばならないことに気づくだろう。
いかに理性によって判断しているようにみえても、個々の事実認識なるものは己の信じたい事情、疑いたい事情によって都合よく情報を取捨選択した結果に過ぎない。とすれば、真実がどうであれ、何かを信じるということと、疑うということは、情報それ自体の絶対的な真偽に負うのでないということが、個々に自覚されるべきである。
つまり、理性のみによってものごとを判断できているわけではないということである。

それはまた、人は理性的だとか論理的だとかいうコトバに欺かれてしまう存在でもあるということだ。
個々の事実認識が何かを感じることで行われる信仰の産物である以上、最終的になされる判断は、個々の理性と感性双方のはたらき、即ち智性に負っているのだ。

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2006-04-12 14:52:41

<外資の陰謀>

テーマ:社会問題
中丸薫氏のワールドレポートVOL88によれば、昨年12月に起こったみずほ証券による株誤発注事件に関しては、これが外資の陰謀であった可能性があるという。

<引用開始>
みずほ株誤発注は確信犯

近年、株式市場をめぐって摩訶不思議な事件が頻発している。その一つが、昨年一二月に起こったみずほ証券による株誤発注事件である。
この事件は、ジェイコムという新規上場企業の株を、みずほ証券が「六一万円の一株売り」と入力すべきところ、「一円で六一万株売り」と入力し、わずか一〇分の間に数社の外資系証券会社が巨額の利益をあげたというものである。
この事件には奇妙な点がいくつもある。一つは、みずほ証券が一回の取引で数千株、数万株単位の取引をする機関投資家専門の証券会社であり、新規上場株を公開価格と同じ六一万円で一株だけ売る、という取引をするはずがないということ。二つめは、それを入力ミスし、しかも本来そのような不自然な数値に対して警告を発するはずの東証のコンピュータシステムが作動しなかったこと。三つめは、この株を一〇分という短時間で大量購入するのは離れ技であり、その離れ技を外資系証券会社が揃ってやってのけたこと。そして四つめは、事件後、(株)日本証券クリアリング機構という会社が、株の値段に未実現の利益を上乗せして、現金決済すると決定したこと。
この会社は証券取引に伴う清算業務という、極めて公共的な業務を請負いながら、その実態はゴールドマン・サックスや、日興コーディアルの専務取締役らが社外取締役に名を連ねる私的企業である。これらの事実から、この株誤発注事件は最初から仕組まれていたのではないか、と言われている。

この誤発注で、もっとも儲けたのはモルガンスタンレーで、その額は四一億二千万円にものぼる。以下、日興コーディアル三一億五千万円、リーマンブラザーズ二八億七千万円、クレディ・スイス二六億3千万円と続く。ちなみに、日興コーディアルを日本の証券会社と思っている人も多いが、株主構成から言って実質外資系である。日本の証券会社では野村が九億円の利益を上げているが、外資に比べればはるかに少額である。専門家によれば、いつ、どのような注文があるかがあらかじめわかってでもいなければ、一〇分の間にこれだけの株を買うのは難しいと言う。さらに、このミスを犯した若手トレーダーが、新生銀行からの転職者だったため、彼が誰かの指示で「ミス」を犯したのではないか、ともささやかれている。
<引用終了>「引用許可取得済み」

この記事をふまえると、「外資の陰謀」は単なる仮説とは言いがたくなってくる。
確かに、ヤクザ・リセッションによって混迷を続ける日本経済活性化に外資の注入は不可欠かもしれない。
しかし、このように悪質な介入がまかり通ることを決してゆるすわけにはいかない。
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2006-04-12 14:51:39

<ヤクザ・リセッション>

テーマ:社会問題
子供のころ、ヤクザは好んでベンツに乗るという話から、どうしてヤクザは金持ちなのかという素朴な疑問を父にぶつけたことがあった。
父の返事は「普通の人ができないことをするから」という、子供にはなんとも納得しがたい、要領を得ないものだった。
けれども、そうこたえたときの父があまりに不機嫌で、当たり前のことを聞くなといわんばかりだったので、それ以上質問しようとする意欲がなえたものだった。
ヤクザはなぜ金持ちなのか―その謎は次の書籍によって詳述されている。
ベンジャミン・フルフォード著「ヤクザ・リセッション」光文社である。
本書によると、日本における不良債権処理が進まぬ真の理由、長引く不況の根本原因は、法の上に人があり、政・官・業・ヤクザが癒着して国民の富を搾取し続けているためであるのだそうだ。
公共事業のあるところ、即ち国民の血税を大量に投入できる大義名分のあるところ、そこには必ず不透明なお金の授受があり、政・官・業・ヤクザの儲け話となっているという事実。

このために、日本は不況から脱却できぬばかりか、不必要な原発開発が行われ続けることで、本土を未曾有の危険にさらしている。

経済産業省の原子力安全・保安院は2005年9月7日、玄海原発3号機でのプルサーマルを計画している九州電力に対して、原子炉設置変更を許可した。
経済産業省が10月に開いた玄海町での公開討論会では、はじめから反対派の意見が蚊帳の外におかれていたようだ。
それは計画そのものには賛成している佐賀県古川知事の言葉からうかがえる。
参考サイト
http://www.power-full.com/lib/ene200511.htm
月刊エネルギーフォーラム2005年11月号より
<引用開始>
古川 
残念ながら、安全性については公開討論会で理解が深まったと言うのは難しいと思います。なぜかというと、プルサーマルに反対派の人たちが参加しなかったからではないかと思います。安全性についての議論については、経産省に対してわれわれは、反対派の人たちも含めて議論すべきだとか、もっと質疑の時間をとるべきだと主張したのですが、結果的に受け入れられなかった。安全性の議論は、ただでさえ難しい話なのに、賛成の専門家ばかりが壇上で発言し、かえって議論を混乱させてしまったのではという印象を受けました。参加者の多くが消化不良のまま帰られたと思います。
また、尋ねられたことに正直に答えなかったり、言えることを言っていない。例えば、プルトニウムの富化度についても、諸外国での実施例よりも高いのならば、そうはっきり言うべきです。それなのに、はっきりと正直に答えない。そういうことが「この人の言うことはあてにならないな」という気持ちを生んでしまう。このことは決して原子力の将来にとってプラスにはならないと思います。
~中略~
安全性での不安について、私が最も多くの人から言われることは、テロがあった場合、防げるかということです。プルサーマルは使われるのがプルトニウムなので、ウラン燃料よりもなおさら心配だということです。しかし、その心配について、原子力安全・保安院の回答は「テロを想定して審査していない」ということだけなんです。これでは不安は増幅してしまう。
<引用終了>
政・官・業・ヤクザの癒着構造を理解していれば、こうした公共事業は、その安全性や必要性がどうであれ、やってしまうことが彼らの利益であると理解される。
とすれば、はじめから結論ありきの討論会に過ぎず、これは茶番である。
日本中、いたるところでこうした茶番が繰りかえされているのが公共事業であり、原発開発なのだ。
無論、全ての公共事業が無駄だとはいわないが、「ヤクザ・リセッション」を読む限り、過半数がそうなのだと思わざるを得ない。
そして、そのツケは必ず我々国民が払わされることになる。
日本をハイパーインフレが襲うXday、あるいは東海地震に伴い浜岡原発がもたらす大災害のXdayはすぐそこまで来ている。

<浜岡原発事故における犠牲者予想>
元京都大学原子炉実験所助手、瀬尾健著、95年の
「原発事故・・・その時あなたは!」風媒社より
<100万キロワット規模の原発から放射能が全て周囲に撒き散らされた場合の犠牲者予想>
<引用開始>
日本の平均人口密度は1平方キロあたり324人だから、これをもとに被災者数を計算する。そうすると、(半径)100キロまでの人口42万8000人中、40万2000人、つまり94%が急性障害のために死亡するという結果になる。1000キロまででは、人口4275万人中、56万人が急性障害で死亡する。晩発性のガン死についてはどうなるだろうか。
400キロ以内では100%ガン死、その数684万人となる。さらに400キロ以遠、1000キロまでの地域では1674万人となる。
<引用終了>
同書の資料より、浜岡3号炉(110万キロワット)に重大事故が生じた場合、浜岡より北東方向が風下となる想定で被害は最大となり、死者数は434万人を数える。

確かに交通事故でも毎年一万人近い方が亡くなっている。
しかし、事故の性質からみても、その犠牲者数からみても、「テクノロジーにリスクはつきものだ」とそれらを同一次元で論じ、原発の抱える危険を容認する考え方にはとうてい賛成できないし、国家政策が原発を推進しているからといって、それが原発の有用性を肯定する根拠にはなりえまい。
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2006-04-12 14:50:26

<少子高齢化と移民政策>

テーマ:社会問題
日本の少子高齢化に対する解決策を、無分別な移民政策に求める考え方には賛同できない。
なぜなら、現代日本においては、労働力が不足しているわけではないからだ。
働きたくても働けない人が多いことが問題なのであり、雇用に関する有効需要の創出こそ必要であろう。
雇用機会の減少したわが国の現状で無分別に外国人を受け入れてしまえば、彼らもまた仕事にあぶれてしまうだけである。
そもそも、労働人口の減少が全体の人口減、特に少子化によって生じているのだとすれば、結果として生じている労働人口減少だけを移民で解消しようとするのは危険な発想である。
少子化が進むのにはそれなりの社会的理由、構造的要因があり、原因を無視して対症療法のみを行えば、負のフィードバックがかかって必ず回復不能のダメージを被ることになるからだ。

子育てに取り組む親世代の実感としての「子供を沢山持たない理由」には、我々が経済的に豊かな生活を維持する上で、あまり多くの子供を扶養できないという認識がある。
子育てについては、一人あたり3000万円かかるといわれており、二人いれば6000万円。現在、通常の20~30代サラリーマンの平均収入400万~600万では、たった一人の子供を育てるのにさえ四苦八苦で、たいていは共働きである。
(共稼ぎ世帯数の推移)
http://www.gender.go.jp/whitepaper/h15/danjyo/html/zuhyo/fig01_02_03_02.html
このような状況では、夫婦は避妊を余儀なくされ、たとえ妊娠しても経済的な理由から人工妊娠中絶が選択されてしまう。
つまり、収入と求める生活水準とのバランスによってもたらされた少子化でもある以上、結果として生じている労働人口減少を移民で解決しようとすれば、ただでさえ雇用機会の減少している日本は失業者であふれかえってしまい、治安の悪化を招くだけでなく、収入の低下によってもはや誰も子供をまともに産み育てることができなくなってしまうだろう。

従って、今の日本に必要なのは、個々の国民の富裕化、雇用に関する有効需要の創出であり、労働者目当ての移民ではなく、雇用機会を生み出せる優秀な外人アイディアマンに限った移民しか国益をもたらすことはできないのではないだろうか。

ちなみに、少子化が進む原因としては、次のような興味深い考察がある。
http://homepage2.nifty.com/tanimurasakaei/
ここでは、老後福祉の充実、すなわち、他人の育てた子供の収入によりかかって生きながらえることが可能な社会制度の存在が、自分たちの老後を直接支える子供をもつ必要を失わせ、それが少子化の原因であると分析している。
この分析によれば、実際にヨーロッパにおいて行われた移民政策が、社会保障にかかわる負担軽減を全く実現できなかったことを指摘し、すでに社会実験は終了済みであると結んでいる。
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2006-04-12 14:47:47

<富の格差>

テーマ:ブログ

人口に関係した調べ物をしている最中、噂にきく書き込みを発見した。

<引用開始>
もしも世界の人口が100人だったら・・・
あるアメリカ人の友人からのメッセージ
もしも今日がついていない一日だと感じたあなたも
               これを読んだら現実が違って見えるかも・・・
 
もし現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を人口100人の村に縮小するとしたらどうなるでしょう。

その村には・・・
57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます。

52人が女性で
48人が男性です。
70人が有色人種で
30人が白人

70人がキリスト教徒以外の人たちで
30人がキリスト教徒
89人が異性愛者で
11人が同性愛者

6人が全世界の富の59パーセントを所有し、
その6人ともがアメリカ国籍

80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調で苦しみ
     ひとりが瀕死の状態にあり、
     ひとりは今、生まれようとしています

ひとり(そう、たったひとり)は大学の教育を受け
ひとりだけがコンピューターを所有しています

もしこのように縮小された全体図から私たちの世界をみるなら、相手をあるがままに受け容れること、自分と違う人を理解すること、そしてそういう事実を知るための教育がいかに必要かは火を見るより明らかです。

次のような視点からもじっくり考えてみましょう。

もしあなたが今朝、病気というよりは健康だなと思って目覚めたなら・・・
あなたは今週生き残ることのできないだろう100万人の人たちよりめぐまれています。

もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や、獄門の苦悩、あるいは餓えの悲痛を一度も経験したことがないのなら・・・世界の5億人の人たちより恵まれています。

もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会のミサにあずかることができるなら・・・
世界の30億の人たちより恵まれています。

もし冷蔵庫には食料があり、着る服があり、頭の上には屋根があり、寝る場所があるならば・・・
あなたはこの世界の75パーセントの人々よりお金持ちで

もし銀行に預金があり、お財布にもお金があり、家のどこかに小銭の入った入れ物があるならば・・・
あなたはこの世界の中で最も裕福なものの上位8パーセントのうちの一人

もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・
それはとても稀なこと

もしこのメッセージをよむことができるなら、あなたはこの瞬間2倍の祝福を受けるでしょう。 あなたのことを思ってこれを伝えている誰かがいて、そのうえ、あなたは全く文字の読めない 世界中の20億の人々よりもずっと恵まれているのですから

昔の人がこういいました。 わが身から出るものはいずれわが身に戻り来る、と。

お金に執着することなくよろこんで働きましょう
かつて一度も傷ついたことがないかのごとく人を愛しましょう
誰も見ていないかのごとくに自由に踊りましょう
誰も聞いていないかのごとくのびやかにうたいましょう
あたかもここが地上の天国であるかのように生きましょう

このメッセージを人に伝えてください、そしてその人の一日を照らしてください。

アメリカの友人よりのメッセージ  2001.3.
作者は不明  訳 なかのひろみ
<引用終了>
よりめぐまれぬ方々に思い及ぶことで、己自身の幸福に感謝せよということなのだろうが、私はそれ以上に、こうした格差を生んでいる搾取の社会構造こそ是正されるべきであると考える。
だが、それは格差そのものを排除せよということではない。
互いが霊的自覚のもとに、与え、与えられる社会を築くべきという意味である。
今日の世相は、唯物論に依拠し、相対的な価値観に支配された、奪い、奪われる社会であり、そこを正す必要があるのだ。
結果として生じる格差のみを問題にするのは偽善者の仕事である。

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