思い煩いが私の内を占めるときも、
あなたの慰めが
私の魂に喜びを与える。
詩94:19


(イエスのことば)
「主よ、御心なら、この杯を
わたしから取り除けてください。

しかし、わたしの願いではなく、
御心のままに行ってください。」
すると、天使が天から現れて、
イエスを力づけた。
ルカ22:42~43

 

 マルコ12:41~44
    (ローズンゲン『日々の聖句』9/14;土)

 

   ―――― α&ω  ――――

 

 思い煩いが私たち心を占めてしまっているときも、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
その、思い煩いのすべてを受け取ってくださって、
私たちを慰め、喜びに代え、
最善を行ってくださる方。

それゆえに私たちも、イエスと同じように、
「私の思いのようにではなく、
あなたの御思いのとおりを行ってください」と
願っていくのですね。

 

 

 この方との、そのような関係の中で生きていた、
ある貧しいやもめは、
この方への信頼とその感謝のゆえに、
持っていたレプタ銅貨(当時の貨幣の最小のもの)
2枚を、2枚とも献げました。

それで、イエスは「この女性は誰よりも多く献げた」
と評価されたのですね。

 

マルコ12:41~44
それから、イエスは(エルサレム神殿の
献金箱に投げ入れる様子を見ておられた。
多くの金持ちがたくさん投げ入れていた。
そこに一人の貧しいやもめが来て、
レプタ銅貨2枚を投げ入れた。
それは1コドラントに当たる。
 

イエスは弟子たちを呼んで言われた。
「まことにあなたがたに言います。
この貧しいやもめは、
献金箱に投げ入れている人々の中で、
だれよりも多くを投げ入れました。
皆は有り余る中から投げ入れたのに、
この人は、乏しい中から、持っているすべてを、
生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。」

 

 

 聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たち一人一人をこのように見ていてくださる方。

 

私たちもこの方に信頼し、
イエスを通して来てくださる【聖である霊】
と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いに思いを合わせて、
この方がしようと思われることをしていく
人生を歩みたいものですね。

イエスがされているように。

今日も。

 

      ~~~~~~~~~~~~~~

 

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