わたしがあなたがたの悪の道や
堕落した行いによってではなく、
わたしの名のために
あなたがたを遇するとき、
イスラエルの家よ、あなたがたは
わたしが主であることを
知るようになる。エゼキエル書20:44
私たちがまだ罪人であったとき、
キリストが私たちのために
死んでくださったことにより、
神は私たちに対する愛を
示されました。ロマ書5:8
Ⅰコリント10:23~31
マルコ4:30~34(通読箇所)
(ローズンゲン『日々の聖句』7/31;水)
―――― α&ω ――――
聖書を通しご自身を啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たち人間が、ご自身の創造の目的のとおりに、
愛において、ご自身と思いを一つにして生きることを
しないのをよくご存じなのですね。
それで、私たちの行いによってではなく、
ご自身の御名のゆえに、
ご自身の側の一方的な働きによって
私たちを処遇しようと言っておられるのですね。
私たちが、神と思いを一つにして生きるよう望まれて
造られていながら、その生き方に満足せず、
神に対立、対抗し、神の一人のようになり、
自分の理性の善悪の判断を
神の善悪の判断に先立てて生きているときに、
御子である神が人間イエスとなって
この人の世に来てくださり、
私たちの、創造の目的からの「的外れ」の責任を
ご自身の身に負って、十字架刑での死刑を受け、
死んでくださったのですから。
神ご自身の私たち人間に対する愛において。
そして、今、私たちは、
このキリスト・イエスにおいて
自由な者とされています。
それでパウロは言うのですね。
もう、自由なんだから、
何をしてもいいんだと思う人に対して。
「『すべてのことが許されている』と言いますが、
すべてのことが益になるわけではありません。
『すべてのことが許されている』と言いますが、
すべてのことが人を育てる(徳を高める)とは
かぎりません。
だれでも、自分の利益を求めず、
ほかの人の利益を求めなさい。
~~~
こういうわけで、あなたがたは、
食べるにも飲むにも、なにをするにも、
すべて神の栄光を現すためにしなさい」
(Ⅰコリント10:23~31)と。
また、イエスは話されました。
「神の国(神のご支配)は
どのようにたとえたらよいでしょうか。
どんなたとえで説明できるでしょうか。
それはからし種のようなものです。
地に蒔かれるときは、
地の上のどんな種よりも小さい(紙を針の先で
ちょっと突いた穴ほどの大きさ)のですが、
蒔かれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、
大きな枝を張って、その陰に空の鳥が
巣を作れるほどになります。」(マルコ4:30~32)
イエスが、十字架刑での死と、
三日目、
死人の中よりの新しい霊のからだへの復活を経て
【父である神】の右の座に復帰され、
【聖である霊】と呼ばれる方が私たちに来て、
私たちのうちに【父である神】の御思いを置き、
私たちのうちに
神の御思いがあるようにしてくださって始まっている
神の国(神のご支配)は、からし種のように、
最初は、よく目を凝らさないと見えないほど
小さな出来事であっても、
そうこうしているうちに成長して
大きな木のようになると言われるのですね。
「わたしの思いが成ることではなく、
【父である神】の御思いが成りますように」と願う、
イエスと同じ生き方が(ヨハネ6:38、8:28、12:49~50、14:10、16:13~14)。
今日も。
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