【Day75 Camino de Santiago】2025.11.17 天使たちのいたずら(1 | ちびタンクのひとりごと

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大好きな旅のこと、心理学・スピリチュアル・ヨーガのこと、日々の気づきなどをつぶやいています♪

長くなったので2話に分かれっています。


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【Day75 2025.11.17 フィステーラ→ Olveiroa 32km】


フィステーラのアルベルゲはフルだった。

居心地は良いのだが、上のベットのおじさんが最悪で、一人ごとやら鼻息やら鼾やら、四六時中うるさい。

さらにベットの昇り降りの時にベットを壮大に揺らす。

他の人はあんなに静かなのに、一体どうしたらそうなるのだろう?

トイレの回数?もやたら多くて、夜中に何度も起こされてしまった。


おかげで5時過ぎに起きた私は、早くに支度して出発することにした。

今日からは海岸沿いからサンティアゴに向かう旅だ。

6時過ぎに外に出ると、満天の星空と細く輝く三日月が夜空を賑やかしていた。

こんな空は本当に久しぶりで、心が躍る。

三日月と星空に照らされながら海岸沿いを歩けるなんて、なんてラッキーなんだろう。

上のベットのおじさんに感謝すらしているのだから、現金なものだ。


カミーノは珍しく砂浜のすぐ脇を通った。

私はその海の水に触ってみたいという欲求に駆られた。

登山用のブーツとバックパックという格好で、砂浜をズカズカと波打ち際まで歩いた。

波は穏やかでそれほど冷たくもない。

私は付けていたLuckyペンダントを外し、流されないようにしっかりと持って、その波に沈めた。

どうか、サイモンを無事にここに辿りつかせてあげてください。

そう祈った。


歩き始めた頃を思い出すような、久しぶりに快適な、満ち足りた歩きだった。

あの頃から、私は何か変わっただろうか?

一つ、思うことがあった。

歩き出した当初、いや、もっと前から私はこのブログで、ことあるごとに”愛“という単語を持ち出した。

それが最近は、愛という単語を使っていない。

意識的に止めたというよりは、愛とはなんなのか、よくわからなくなったのだ。

それは簡単に語れるものではないと思うようになった。

わからないということがわかるようになっただけ、大人になったということだろう。


空を見上げれば、星々が見守ってくれていると感じた。

ここのところずっと雲に覆われて見えなかったが、それはいつも変わりなく輝いてくれていたのだ。

繋がっている。

実感したいと思っていた感覚を、うっすらとだが得た気がした。


入り組んだ小さな海の入江を幾つも通り過ぎていると、故郷の西伊豆の海を思い出した。

海に落ちる夕陽も海辺の満天の星空も、私は数え切れないくらい、あの町で見たはずだった。

それを大西洋の端だと貴重に思ってしまうのは、人は当たり前にあるものの大切さに気づけないことの象徴だろう。


やがて海岸沿いから山に入る曲がり角を迎えた。

ここからはサンティアゴに帰る道になる。

それはそれほど長くない。

そう思うと、急に寂しさが襲ってきた。

この旅を終える喪失感と、やっと終えることができるという安心感。

それは振り子のように行ったり来たりする。

その振りはやがて小さくなって、いつか真ん中で止まるのだろう。


それは、サイモンへの想いも同じだった。

私はサイモンと、サラマンカで過ごしたように、サンティアゴでも食事をしてワインを飲んで、買い物をして街を歩いて、疲れたらカフェでお茶をして、そんな風に過ごしたかった。

しかし、もうあの時とは状況が違っていた。

彼はまだ歩きの途中で、さらに問題と向かい合わなければならない。

私は歩きを終えて、もうすぐ日本に帰る。

永遠に旅が続くように感じられたサラマンカとは、同じようには会えない。

例え同じように過ごしても、それは心から楽しめるものではないだろう。

そのことをわかってはいたが、認めたくなかった。

それを認めるまで、心は振り子のように揺れた。

しかしその揺れは徐々に小さくなっている。


いろいろなことが頭をよぎる中、山の中の登り坂でふと顔を上げると、目の前に虹が見えた。

それはすごく近くて、そのまま歩いたらその下を通るのではないかと思えた。

よく見ると虹は二重になっていて、奥にもう一つ大きな虹が控えていた。

小さな虹は近づけは近づくほど薄れていったが、今度は大きな虹が存在感を示し、大きく弧を描いた。


なんてこった。

ここ数日、毎日のように虹を見ているではないか。

それは、

大丈夫だよ、正しい道にいるよ、よく頑張ったね。そう、祝福されているように感じた。


なんだか自分でも自分を褒めてあげたくなった。

よく頑張って歩いた。

よく頑張って朝起きた。

痛みを堪えた。

自分と向かい合った。

笑顔を保つ努力をした。

人に優しくあろうとした。

人からの優しさを受け入れた。

正直で、素直であることを尊んだ。

毎日動画を編集した。

毎日日記を書いた。

勇気を出して声をかけた。

勇気を出して自分の意見を言った。


そんなことを思ったら、少し泣けた。


登り坂を登り切り、岡の上を歩く。

もう海は見えない。

ふと右の空に目を向けると、また別の大きな虹があるではないか。

目で追いながら進むと、さらに見晴らしの良いところで大きな大きな弧を描く姿が見えた。


また!?

今回の虹が一番大きい。


私は虹を見るたびに“Again🌈”と書いて、カーリーンとジョンに写真を送った。


ジョンは、


“Googleによると:

虹は単なる自然現象ではありません。希望、繋がり、そして精神的な成長の永遠の象徴です。文化や精神的伝統を超えて、虹は地上と神々の架け橋、再生の約束、そして人生の嵐の後にはしばしば美が現れるというメッセージを表しています。”


というメッセージをくれた。

自分の言葉ではなく、Googleを持ち出してくるあたりが彼らしい。


私は、

“The angels are playing tricks on me”

“天使たちがいたずらしているみたい“

と返した。


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つづく