【Day66 2025.11.8 オーレンセ→オセイラ30km】
20km先でストップするか、30km先まで行くか、私は悩んでいた。
フランス語兄弟とアルベルゲで久しぶりに再会したロシアのご夫妻は、20km先の町の行くと言う。
30km先の街には美しいモナスタリーがあると聞いていた。
カーリーンはそこまで行きたいが、天気と調子次第とのこと。
オーレンセでは早く着いた割には、動画編集も日記もサボってしまった。
考えることをしたくなくて昨日は、以前、サイモンに送ってもらった動画の音声をテキストに落とすことに集中してしまった。
それはステキな内容の話だったので、私が送ってとお願いしたことだった。
昨日サボってしまったので今日はやらなければならないことが多い。
本来なら20km先を選ぶべきだろう。
しかし私は30km歩きモナスタリーまで行くことにした。
モナスタリーを見たいこともあったが、静かに過ごしたかった。
フランス語兄弟やロシアのご夫妻と一緒だと、なんとなくその雰囲気に飲まれてしまう。
それは、カーリーンも同じようだった。
彼女は、サンティアゴが近づくに連れ、嬉しい反面、日常に戻ることへの複雑な思いに駆られると語っていた。
そして人が多くなることが煩わしいと。
それは私も全く同感だった。
サンティアゴの後も歩くと決めた私は、まだ旅を締めくくる実感が湧かない。
しかしカーリーンはもうあと数日なのだ。
その心境が如何に複雑であるかは想像できた。
一週間後は多分、私も同じだろう。
じっくり味わいたいのに、人は増える。
どこの国からきたの?
どこから歩いたの?
何日間?
何回目のカミーノなの?
もう、飽きるほど交わしたやり取りをまたやるのかと思うとウンザリする。
それは長く歩いてきた人であればあるほどそうだろう。
しかし孤独を愛する旅人たちが集ってしまうのがサンティアゴなのだ。
結局、それは避けられない。
30km、誰にも会わず、挨拶以外誰とも言葉を交わさず、黙々と歩いた。
いろんな思いや考えが浮かんでは消える。
それは以前にも書いたが、さながら瞑想のようだ。
しかし、以前と浮かんでくることはもう違う。
それでも瞑想にゴールがないように、歩きもゴールに到達することはない。
ただ、サンティアゴで一区切りするだけだ。
そこに向けて、この旅で得たことなどを振り返っていた。
いつも、前にしか進めない。
通ってしまったら、感じてしまったら、経験してしまったら、もう元には戻れない。
そのことを不自由に感じたりする。
知らない方が楽だったと。
それでも知りたくて生まれてきたのだ。
例え知らない方が楽だったとしても、結局知れて良かったと思ってしまう。
そしてもっと、もっとと、次を求めてしまう。
”あなたの時間を誰かに使わせるべきではない“
そんな言葉が浮かんできた。
昨日、日記をサボったのは、考えるのがめんどくさくなったのではなく、だんだん複雑になりすぎて、言語化するのが難しくなってきたからかも知れない。
モナスタリーのアルベルゲには1時間遅れてカーリーンがやってきた。
二人で過ごす静かな日だと思っていたのに、夜にはオーレンセから歩き出したというスペインの4人グループがやってきた。
歩きだしたばかりの彼女らのテンションは高い。
結局、ここでもお決まりのやり取りが始まった。
やれやれ。
しかし彼女らに罪はない。
アルベルゲは暖房がよく効いていて、珍しく快適な温度だった。
サンティアゴが近づくに連れ、人が増え、快適になっていくのかもしれない。
寒い寒いとブランケットを重ね震えていた宿を懐かしく感じた。
私の歩きはもう少し続くのだ。
総括にはまだ早い。
快適なベットで今日はゆっくりと寝よう。