【Day62 2025.11.4 ルビアン→アグディナ23km】
11月3日
カーリーンとのワインを終えて宿に戻ると、二人のフランス人巡礼者がいた。
一人はガタイのよいガテン系のおじさんで、もう一人は小柄なもう少し年上のおじさんだった。
遅れて、一昨日宿が一緒だったドイツ人のポーラがやってきた。
彼女は足の裏に問題を抱えていて、足を引きずっている。
私は買ってきたトマトとアボカドと、ここ数日持ち歩いているパン、生ハム、ペスト(ジェノバソース)で明日のためのサンドイッチを作った。
余ったトマトとアボカドのサラダで夜は終わりにするつもりだった。
歩きながら前の日の残りを食べ、バルでつまみを食べたのでそれで十分だった。
豆のスープ缶も買っていたが、それは非常食として持ち歩くしかなさそうだ。
フランス人男性二人は食事に出るのに、ポーラに声をかけた。
ポーラはまずシャワーを浴びて、その後行くね、と答えていた。
ポーラは本当にお人形さんのようにかわいい。
男どもが声を掛けたくなるのはわかるが、彼らにポーラの足を気遣う様子がないのが見てとれた。
勝手ながら、私はポーラを彼らの元に行かせたくなかった。
足を引きずっているのだ。
この寒い中、できれば一歩も外に出るべきではない。
私は豆のスープ缶を開けて温めた。
そして、シャワーから出てきた彼女に、
”よかったらここで一緒に食事しない?“
と声を掛けた。
彼女は“そうしたいけど、彼らに行くって言っちゃった”というポーラに、
“男二人よ?大丈夫よ”
そういうと、そうだよねと彼女は席に着いた。
私は豆のスープのほとんどを彼女のお皿によそった。
お腹は空いていないが、私が食べないと遠慮するだろうから、少しだけ私も自分の分をよそった。
明日用に作ったサンドイッチ、パン、生ハムを出して、それからワインを開けて、二人で乾杯した。
それからお互いの足のこととか、仕事のこととか、いろんなことを話した。
彼女は、豆のスープが温まるといたく感動してくれた。
片付けをしようとする彼女に、座ってなさいと制した。
カミーノを歩いていて、足の痛みがどれほど辛いものかは私が一番わかっている。
そして足のために一番よいのは、何もしないことだということも。
私はポーラに、
私もたくさんの人に良くしてもらったの。
いろんなものをもらって、いろんなことをしてもらった。
だから今日、私はあなたに食事を出すことができた。
あなたはバトンを渡されたのよ。
もしそれを受け取ったと思ったら、そのバトンは他の人に渡してね。
そういうと、ポーラは大きな目で私を見つめて”わかった“と答えた。
11月4日
朝から上り坂をしばらく歩くと、暑くなってきた。
日が昇りヘッドライトも不要だ。
身支度を整えるのに休憩していると、カーリーンがやってきた。
昨日の宿にはブランケットがなかった。
私はこの時期に歩くつもりがなかったので、薄いインナーシーツしか持ってきていなかった。
昨日、ホテルに泊まったカーリーンは、私が毎日、寒い寒いと大量のブランケットを使うのを見ていたので、寝袋を貸してくれた。
カーリーンにお礼を言うと、
“よかったらそのまま使いなさい”という。
え?
あと9日でサンティアゴに着くし、その間3日はホテルに泊まるつもりなの。
私はダウンボトムスもあるしブランケットもあるから大丈夫。
ガリシアはブランケットのないアルベルゲばかりよ。
あなたの方が必要だわ。
私は帰れば別のがあるから。
重くて運びたくないなら別だけど。
もちろん、借りられたら嬉しいけど。
だったら、持っていきなさい。
泣きそうになった。
豆缶なんかじゃ補えないくらい大きなバトンを渡されてしまった。
こんな大きなバトン、私は誰かに渡すことができるだろうか。
そういえば、サイモンが言っていた。
カミーノを歩いていると、良い人間でいられるのだと。
良い人間になりたくて歩いているわけではないのだが、それはわかる気がした。
ここにいると理想の自分でいられる気がする。
私は迷っていたサンティアゴ後のフィステーラ、ムシア、サンティアゴの歩きをやることに決めた。
プラス200km弱の歩きだ。
カーリーンと同じ期間しか歩かないのに、寝袋を借りるなんて申し訳がなさすぎる。
寒くて眠れないという言い訳ができなくなってしまった。
もっと歩きなさいと、神さまにお膳立てされたみたいだ。
ベゴとマルセルとサイモンと、カーリーンも一緒に歩いてくれている。
私はたくさんの人と一緒に、この道を歩いている。