【Day56 2025.10.29 グランハ・デ・モレルエラ→タバラ25km】
朝7:30にアルベルゲを出た。
日の出前だが、ヘッドライトは不要の明るさだ。
左の方は厚い雲に覆われ、右の方は雲間に青空が見える。
昨日より寒くはない。
雨が降るのかもしれない。
足の調子はあまり良くない。
右は膝、左は甲の部分が響く。
寒くて天気が悪いとただでさえ気が滅入るのに、身体まで不調をきたすのは勘弁してほしい。
今日はここから25kmほど先の町を目指す。
昨日、オスピタレラから途中にあるモナスタリーが素晴らしいと聞いていた。
レストランに行ったカーリーンもお店の人からその話を聞いたという。
3、4km余計に歩くことになるが、せっかくだから行くことにした。
しかし、モナスタリーは閉まっていて、開業は10:00からだった。
なんてこった。
調子が悪いのに無駄な歩きをしてしまった。
雨は降りそうで降らない。
休憩中に、念のために来ていたポンチョをしまった。
広い広い空の三分のニくらいは厚い雲に覆われていて、それがすごい勢いで動いているのが見てとれた。
残りの三分の一は厚い雲が捌けて、その一段上のもくもくとした雲、その合間に青い空が見えた。
ここのところやたらメンヘラモードである。
流れていく厚い雲は、膨れ上がっては流れていく私の思考みたいだなと思った。
考え尽くせばあの晴れ間みたいに、心も晴れるだろうか。
青空はずっとそこにあるのに、雲をかけているのは自分なのだ。
降りそうで降らない雨も、泣きそうで泣けない自分と一緒だなと思った。
モナスタリーへの脇道からカミーノに戻ると急な坂を降って川に出た。
橋を渡ると今度は山を登らなければならない。
地図をチェックした私は、山を避けて大通りを歩くことに決めた。
足の調子が良くないので、今日はチートデイにしよう。
カミーノは無視して、最短ルートでアルベルゲを目指し、今日は洗濯もスキップしよう。
そんな日があっても良いだろう。
大通りといえど車はほとんどなく、歩きやすい道だった。
複雑な空模様と見渡す限りの平原が美しすぎて、苦しくなってしまった。
このまま死ねたら幸せだろうなと思った。
完璧すぎる美というものは、時に人に死を想起させる。
大体において、私は欲しがりすぎなのだ。
第三章はなんだかずっとメンヘラモードである。
自分でも変えたいのに切り替えられない。
しょうがないので音楽をかけて大声で歌った。
歌いながら大通りを歩いていると、カミーノと合流するところでカーリーンともう一人の巡礼者に会った。
“初めまして、オランダ出身のジョンだよ”
背の高いイケオジが顔をくしゃっとさせて手を差し出した。
“初めまして、日本から来たシズコです”
挨拶をする。
ジョンはとても明るくて人懐っこい人だった。
何より、あの人を寄せ付けない雰囲気のカーリーンが、とっても嬉しそうにジョンと話している。
出会って4日目だが、そんなカーリーンを見たのは初めてだ。
なんだか二人の様子が微笑ましい。
しばし三人で歩くが、二人のスピードには付いていけず、私はまた一人で歌いながら歩いた。
昨日、みんなと繋がっている確かな感覚を得たいと書いたが、平原綾香のジュピターがそんなことを歌っていた。
宿にはカーリーンとジョンの他に、オスピタレロの手伝いをしているイタリアのおじさん、アメリカのおばさんがいた。
チェックインのあと、シャワーと洗濯を済ますと、テラスで話す彼らの輪に加わった。
日が出ている間は、外の方が暖かい。
イタリアのおじさんがビールを出してくれて乾杯した。
座っている場所が日陰になってくると、みんなでよいしょとテーブルと椅子を移動させて日向を追った。
これから晴れた日は、こんな風に過ごすことが多くなるのだろう。
話は多岐に渡る。
みんなの雰囲気が良いので、私も必死に話に食いついた。
わからないことは“それなに?”と聞くと、言葉を変えて説明してくれる。
私も話したいときはめちゃくちゃな英語で話に入った。
すると誰かが“こういうことだね”と言い換えてくれる。
チートデイのつもりがずいぶん頑張ってしまったではないか。
全員、カミーノの傾倒してしまった人々だった。
”本当は、こっちがリアルな世界なんだ。
今だってこうやって今日出会ったばかりのみんなと話しをして、国も宗教も関係ない。
同じ人間、それだけなんだ。
カミーノはそれを思い出させてくれる。
そして未来でも過去でもない、今を生きる、感じることを教えてくれるんだ”
イタリアのおじさんがそう言うと、カーリーンが目の涙を拭った。
コミュニティディナーといって夕食もみんなでいただく。
食後、イタリアのおじさんとカーリーンはタバコを吸いに外に出た。
私とジョンも別棟のベットルームに行くのに外に出る。
いつのまにか雲一つない満天の星空になっていて、左を向いた半月が今日も美しかった。
すぐ寝るつもりだったのに、空を見ながら四人でまた話し込んでしまう。
コンポステーラは、カンポ・スティーラ
つまり草原の星々って意味なんだ。
昔は夜、歩いていたからね。
ここは違うけど、北の道やフランス人の道は、ミルキーウェイを辿って歩いたんだよ。
イタリアのおじさんが教えてくれた。
草原の星々、なんて素敵な表現なんだろう。
いつも日の出前に歩き出して星々を見ていた私は、そのことを知っていたのかもしれない。