*長文になり1ページに収まらなかったため、二つに分かれています。
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【Day20 モンテルビオ・デ・ラ・セレナ→ カストゥエラ 18km】
今日は予定の街まで18.4km。
かなり短い。
朝はゆっくり8時過ぎに出発した。
ヘッドライトは必要ない。
今日も一人歩きは続く。
おおよそ畑の中を通る一本道。
ゆるいアップダウンが続く舗装路だった。
人も車もいない。
私を迎えるのは牧場の牛か羊か、あるいはその番犬か蝿ぐらいだ。
今日も真っ青な空。
日差しは強いが乾いた空気に穏やかな風が身体を冷ます、快適な歩き。
一人歩きも慣れてきた。
もともとずっと一人のつもりでいたし、去年、イギリスやフランスを歩いた時も、ほとんど一人だった。
それでも誰かと歩いたあとの一人は寂しいと感じる。
やがてそれにも慣れていく。
その繰り返し。
こんな気持ちになるのに歩き旅が好きだ。
たとえ一人でも、ずっと歩いていられたらと思う。
終わりが来ないでほしいさえと願ってしまう。
一瞬、一瞬が宝物なのだ。
初めて歩き旅をしたのは10年前、カミーノ・フランセス(フランス人の道)だった。
ピレネーの麓をフランス側から入り、西へ西へと進んでいく。
大切な、キラキラと輝く宝石のような日々。
しかしそれはその時の私だけのもので、いずれ思い出となり、その思い出さえゆっくりと消えていってしまう。
それが悲しくて悲しくて、しょうがなかった。
去年、francigenaを歩いた時は、そんな思い出を残しておきたくて動画を撮った。
それは私にとって初めての経験だったし、挑戦でもあった。
やり遂げたことは自信にもつながったが、それでも何か、何かが足りないと感じた。
一番大切な、琴線に触れるところがこぼれ落ちていたのだ。
今回、日記を書こうと決めていた訳ではない。
飛行機に乗りながら急に思い立っただけだった。
それが今も続いているのは、結果的によかった気がする。
毎日、自分自身に話しかけている。
ふと、なぜまたサンティアゴに行くのだろうと思った。
10年前に行ったではないか。
するとこんな言葉が浮かんだ。
“忘れ物を探しに”
サンティアゴ巡礼ではその人に必要なことが起こると言う。
私は何を忘れてきたと言うのだろう。
宿には予定通り午後の早いうちに着いた。
それほど汗はかいていない。
マルセルと別れてからろくな食事をしていなかった。
今日はゆっくり美味しいものを食べようと、いつものルーティンは後にして、チェックインを済ませると宿を出た。
街の人に教えてもらったレストランに向かう。
14時のランチ開始をビールを飲みながらバーカウンターで待つ。
おつまみのトルティーヤ(スペイン風オムレツ)がすでに美味しい。
少し早い時間にスタッフが奥の部屋に案内してくれた。
そこには白を基調としたいかにも上品なテーブル席がセッティングされていた。
向かいは一面ガラス張りで、アンダルシアの横長い禿げ茶山が一望できるようになっていた。
Reservoの席に案内される。
高そうだなと思わないことはなかったが、この環境であれば払う価値は十分だ。
今日は贅沢をしよう。
今日のランチメニューを注文する。
前菜はリゾット、メインはおすすめのバーガーにした。
キリリと冷えた白ワインに牛すじのリゾットがよく合う。
ドライな白を選択して正解だ。
メインが運ばれたタイミングで赤ワインを注文する。
あまりに美味しい白だったのでおかわりしようかと迷ったが、メインの肉の香りで赤をチョイスした。
ハンバーグに角切りにしたスモークチキンとチーズがふんだんに乗っていて、なんとも言えない臭いを漂わせているのだ。
呑めるクチだと思われたのか、上品な店に似つかわしくない並々とした赤ワインが運ばれてきた。
これがまた臭みのあるメインによく合う。
最後はカフェで締め。
熱々のカフェ・ソロ(ブラック)を別で運ばれてきた氷入りのグラスに入れ替え、アイスコーヒーにして飲む。
暑いスペインではよく見られる光景だ。
大満足でお会計を済ませるとなんとこれで17.5ユーロだった。