前回のブログの流れでお金についてきちんとレポートを書こうと思っていたら、なんだかうまく纏められず、すっかり更新が滞ってしまいました。
しかしそれでブログ更新が滞ってしまうのは不本意なので、今日はまた残しておきたいことを綴りたいと思います。
お金のことを学ぶうちに、ミヒャエル・エンデの「モモ」という小説にたどり着きました。
はてしない物語(映画「ネバ―エンディング・ストーリー」の原作)を書いた作家さんです。
「モモ」も子ども(小学校高学年以上)向けではありますが、内容はかなり深く、考えさせられる点が多くありました。
テーマは時間です。
その中で印象的だった文をいくつかご紹介します。
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12章
モモ「もしあたしの心臓がいつか鼓動をやめてしまったら、どうなるの?」
マイスター・ホラ「おまえじしんは、おまえの生きた昼夜と年月すべての時間をさかのぼってゆく」
12章
その遊びときたら、なにか役にたつことをおぼえさせるためのものばかりです。こうして子どもたちは、ほかのあることをわすれてゆきました。ほかのあること、つまりそれは、たのしいとおもうこと、むちゅうになること、夢見ることです。
~そして、じぶんたちのすきにしていいといわれると、こんどはなにをしたらいいか、ぜんぜんわからないのです。
12章
マイスター・ホラ「いいかね、地球が太陽をひとめぐりするあいだ、土のなかで眠って目をだす日を待っている種のように、待つことだ。ことばがおまえのなかで熟しきるまでには、それくらい長いときがひつようなのだよ。」
15章
ジジ「~人生でいいちばん危険なことは、かなえられるはずのない夢が、かなえられてしまうことなんだよ」
19章
マイスター・ホラ「~人間の心からむしりとられた時間の花は、ほんとうに時間としてすぎさったわけではないから、死ぬことができない。だがほんとうの持ち主からきりはなされてしまったために、生きていることもやはりできない。花はその繊維組織のひとすじひとすじにいたるまで全力をふりしぼって、じぶんの持ち主の人間のところにかえろうとするんだ」
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お金のことを学んでいくとやがて時間と紐づくのですが、時間の方がはるかに難しいです。
お金は人間が作り出したものですが、時間=生きるということですから、当たり前と言えば当たり前ですね。
お金のことを知りたいと思ったきっかけは不安や焦りでした。
そこにも時間が絡んできます。
しかしその解消には結局、何者でもない自分を受容すること、つまり無条件の自己尊厳、自己受容が必要でした。
そのことに取り組もうとしたとき、上記のモモの最初の引用から、死後の私が時間をさかのぼって今の私のもとに来てくれて、
「大丈夫だよ」とハグしてくれているような気がしました。
そしてこんな言葉が浮かびました。
あなたは、なに者でもなくてよい
なに者にもなろうとしてなくてよい
何かをしようとしなくてもよい
何かができなくてもよい
誰かの期待に応えなくてもよい
誰かのために生きなくてよい
誰かを傷つけてしまってもよい
誰かに嫌われてもよい
誰かを嫌いになってもよい
あなたは、あなたであってよい
過去に何をしたとしてもよい
だれかを傷つけてしまったとしてもよい
だれかに傷つけられてしまったとしてもよい
悪いことをしてしまったとしてもよい
負けたことがあってもよい
ずるしたことがあってもよい
裏切ったことがあってもよい
逃げたことがあってもよい
あなたは、あなたであってよい
今、何もしていなくてもよい
今、何もできなくてもよい
さみしくて泣いてもよい
辛くて逃げだしてもよい
誰かを嫌いでもよい
誰かに好かれなくてもよい
ご飯を作らなくてもよい
無駄遣いしちゃってもよい
ひとりぼっちでもよい
暗がりのなかにいてもよい
夜が明けなくてもよい
夜が明けなくてもよい
夜が明けなくてもよい
あなたは、あなたであってよい
あなたは、ただいてよい
あなたは、ただあってよい
あなたは、ただあってよい
あなたは、ただあってよい
あなたは、ただあってよい
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そんなことを唱えていたら、だーだー泣けてきました。
もしよろしければ、未来から来た自分がハグしてくれていることをイメージしながら、
「あなた」を「わたし」に変えて、唱えてみてください。
必要があれば、もっと言葉を足してください。
あなたは、ただあってよい存在です。
あなたは、ただあってよい存在です。
わたしは、ただあってよい。