2019年12月25日
午前中のミサに参加するため、私は丘の上に立つ教会に向かった。
今にも崩れそうなその小さな古い教会はイングランド最古の教会だそうで、世界遺産に登録されている。
そこは歴史を持つもの特有の、なんとも言えない厳かで、深い雰囲気をまとった教会だった。
そこは日本のA教会の方からも紹介された教会だった。
さらにこの教会には見晴らしの良い墓地も併設されていた。
今回の一件ではお墓も大きなキーである。
私はなんとなく”この教会もあるかも“と期待していた。
しかしそこでのミサもこれまで同様、聖餐を持ち帰ることはできなかった。
半ば諦めかけながら、私は最後のミサに向かった。
それは先ほどの教会とはうって変わった、かなり新しいタイプの教会だった。
小ぶりの体育感ほどの講堂には、子ども連れなど全体的に若い人たちで埋まっていた。
ミサの説教もこれまでの歴史を重んじる雰囲気のものとは違い、トイ・ストーリーの登場人物を比喩に出すなど、私でも理解しやすい、かなり革新的なものだった。
一番驚いたのは、讃美歌の合唱である。
正面モニターに歌詞が映し出されると、子どもから大人まで、身体を揺らしながら大合唱。
讃美歌を大いに楽しんでいた。
私も一緒に歌いながら、きぬママのことを思い出した。
クラシックを身近に感じて欲しい。
きぬママはそう言って、コンサートではプロジェクターに歌詞を映し出す演出にこだわった。
“永遠の未完成”と言われた一方で、”天才と言われた特殊な表現力“を持ったきぬママ。
”女ドンキホーテ”だったきぬママは、キリスト教についても讃美歌についても、こんな風に楽しく、皆んなで表現したかったのかもしれない。
初めて経験する明るく陽気なミサだった。
しかしその教会でも結局、聖餐を持ち帰ることはできなかった。
クリスマスの全てのミサが終わった。
私は、水器さんが示してくれた祈祷書のぺージに従って、自分なりに部屋や墓地で葬いの儀式のようなこともしてみた。
しかし、きぬママが望むことを達成できたかどうかは、さっぱりわからなかった。
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↓前回のお話

