いろいろな人がきぬママの人生と交錯していく中で、私ときぬママとの関係はどんどん濃くなっていった。
23区内の駅から徒歩5分にあるとは思えない、一見鬱蒼としたあの小さなお家の2階で、私たちは本当にいろんなことを話した。
仕事のこと、友達のこと、家族のこと。
時に家族のことを話すといつも涙をこぼしてしまう私に、きぬママは呆れるでもなく、いつまでも私の話を聞いてくれた。
特に2012年3月31日のことは忘れない。
当時、私は一足遅れで心理学の研究コースを終え、終了レポートを書いていた。
私はその時、彼氏のことを家族に話せないことに悩んでいた。それでそれをレポートのテーマに置いたのだ。
その話を始めたら涙が止まらなくなってしまった私にきぬママは、「あなた、赤の他人の私にはこんなに何でも話してくれるのに。時に家族って、本当に難しいものね。」と、慰めるでも助言するでもなく、ただ感じたままを話してくれた。
確かに赤の他人なのだが、私にとってきぬママは、どんな私でも受け入れてくれる、唯一無二の理解者だった。
いつも私の味方でいてくれるという、絶対的な安心感があった。
それはまるで、子どもが親に言えないことをおばあちゃんに打ち明けるような、そんな関係性だった。
実際の祖母は私が小さいときに二人とも死んでしまったから、私はそういう存在を、心から求めていたのかもしれない。
その日の帰り、私は意を決して実家に電話した。そして彼のことを打ち明けた。
それから紆余曲折あったものの、翌年の2013年11月、私はその彼と結婚した。
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↓前回のお話し