2024年4月19日
何かに掻き立てられるかのようにこの物語を書き始めてしまったが、先週の日曜日、きぬママの命日と同日に私たちの出会いを書き始めてから、私の心には迷いが生じていた。
イエスさまリングとの出会い、そしてアッシジへの道のりは、そこに至った経緯や流れなどについて、なるべく忠実に書こうと当時のメールや写真などを振り返っていた。
しかしここから先はもっと具体的なきぬママとの思い出になる。
それは14年前からの話で、ファクトチェックは難しい。
きぬママは個人的なメールとは別に、私たち心理学の仲間を中心としたグループに、なんと2000通以上のメールを寄せていた。
それは1800通を綴ったというゲーテの恋文を真似て実行した、作家であり、私たちの心理学の学校の先輩であるひすいこたろうさんに触発されたものだった。
その中身は、他愛もないものから、演奏家として、心理カウンセラーとして、そしてクリスチャンとして、時には生い立ちも含め、心のうちを吐露するような内容も含まれていた。
それらも合わせ本当に検証しようとしたら、それには相当の時間がかかる。
だからと言って、私の記憶だけで語ってしまって良いのだろうか。
そんなもやもやに包まれていた。
そしてもう一つ、彼女のことを書けば書くほど、私という人間が語っていいのだろうかという迷いも生じた。
そもそも私は、きぬママのことをそれほど理解しているのだろうか?
私は彼女のことを語るに値するのだろか?
わからない。
それでも続けなければならない。
それが今の私にできるたった一つのミッションだからだ。
その答えはいつかきぬママが出してくれるだろう。
それを信じて物語を続けたい。
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↓前回のお話