15分ほどバスに揺られて辿りついた場所は、
参道のようにお土産屋を従えた通りの先に構える、大きな教会だった。
正面の教会を中心に、左側に講堂、奥には小高い丘があり、手前は広場のようになっていた。
講堂側の空は、夏らしい厚い雲の隙間に夕方の茜色がにじみ出ていて、紺と朱とグレーのコントラストがなんとも美しかった。
講堂に入ると、ちょうど19時のミサが始まった。
後ろの方に立っていた私にSさんが寄り添った。
そして小さな声で、ミサを同時通訳してくれた。
ーーー
周囲より憧憬される宝飾に満ちた華美な世界も、
内側が腐っている事は多々ある。
それを見極めるため旅に出たのが、聖パウロであった。
今日8月26日はその、旅に生きた聖パウロの日である。
彼は、世界が欺瞞と腐食に伝染されないために、旅にでた。
その旅は、それらの世界に真っ向から立ち向かうものではなかった。
何か特別なことをすると言うものでもなかった。
ただ、道を歩み、出会い、語らい、仲間が増え、
正しい道へと共に歩んでいくものだった。
何をするでもない、
何をしていると誇張するものでもない、
ただ、旅をする、それで十分だった。
それが結果として、人々を変えて行った。
キリストは信じていた。
世界は変えられると、
いや変えるのではない、新しい世界は切り開けるのだと。
その道は、常にオーロラに包まれている。
だから、安心して進みなさい。
<歌>
あなたの道も、彼らの道も、日々、開かれる。
友を作り、広めなさい。
隣人と共に、花を育てなさい。
あなたのピュアな行いが、世界を美しくする。
あなたの歩いてきた道を讃えるために、今日が、今がある。
ーーー
涙が止まらなかった。
これまで、苦しかったんだ。
旅なんて何の意味もないんじゃないかって。
何かが分かりたくて、何かを変えたくて、何者かになりたくて旅に出たのに、何も得ていない自分を責めてたんだ。
悔しかったし、負けだと思ったし、それでも帰るって選択肢しか取れなくて、自分にたくさん言い訳して、自分が嫌になっていた。
それが最後に、
"大丈夫。
間違ってないよ。
それでいいんだよ。
ただ、旅をする、
それだけでいいんだよ。"
そう言ってもらえてた気がして、涙が止まらなかった。
ああ、こんな風に、
私はまた旅に救われてしまった。
また、旅に与えられてしまったんだ。
-つづく-