その時わたしは、広州から成都に向かう電車にいた。
40時間強行突破の長距離寝台列車の旅も、ちょうど24時間が過ぎようとしている時だった。
手持ちした食料は尽きていた。
朝から揚げパン一つしか食べていない。
時刻は17時。
小腹が減った。
我慢できないこともないが、やっぱり食べておきたい気もする。
割高とか聞いていたが、車内販売を利用しようか悩んでいた。
その前に。。。
夫に無事を伝えようと携帯の電源を入れた。
ブルルルル。
電源を入れてしばらくして、メールが入った。
「ネパールで大きな地震があったから、気をつけてね。」
夫からだった。
え?
これから、成都、ラサを通ってネパールに入りたいと思っていたところ。
「大きな地震なの?私、行けるかな?」
「かなり大きな地震みたいだから無理じゃない?
それから静岡の友達が心配してるから、ネットができたらfecebookにアップしてあげて。」
。。。
静岡の友達って、地元の仲間だろうか。
「中国本土は政府の帰省でFacebookが使えないから、元気だって伝えてあげて。」
メールを打つものの、ちょうど山岳地帯に入り、電波状況が不安定になる。
送れない。
揺らいだ電波のなかで、今度は着信アリのメッセージが届いた。
地元の友人からだった。
心が曇っていくのを感じた。
その不安は、この旅の事を両親に知られることだ。
田舎街に住む、過剰なほど保守的な親。
私が長期で海外に旅に出るなんて知ったら、
心配で、昼夜眠れなくなくことだろう。
逃げなのかもしれないが、私なりの配慮のつもりで、
両親に旅のことは伝えてなかった。
しかし小さな田舎では、みんなが顔見知りである。
心配した地元の友人が、「しずちゃん、大丈夫ですか?」 なんて両親に聞くことは、
十分あり得るのだ。
電波の隙を縫って「友人に無事を伝えて」と夫に連絡するものの、「連絡がきたらね。」とゆるい返事。
電話をくれた友人に直接メールを打つが、電波状況が不安定でなかなか送れない。
苛立ちを隠せず、再度、夫と友人にメールを送る。
何回目かの送信で、やっと送ることができた。
はあっ。
送り終わって、思わずため息が出た。
「みんな、大袈裟で困っちゃうな~。」
ーvol2へー