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 病み上がりだし、むやみに外へ出るわけにもいかない。
 かといってテレビを見ているだけなのはつまらなかった。奥村の部屋にストックしてあった雑誌(特急での移動時に暇つぶしで読んでいたファッション誌)をめくってみたって、どうにも。
 あの人がいないとつまらない。
 
 おかしい。
 これまで何十回と奥村の部屋で留守番していたのに。
 別に平気だった。これほどまで寂しいと思ったこともなかった。あの人が仕事に行っている間、散らかっているものを片付けたり買い物をしたり晩ごはんの支度をしているうちにいつの間にか、空は暗幕で覆われていたから。
 案外にすぐだった。ピンポンと一回、呼び鈴が鳴らされて、帰ってきた奥村を玄関へ出迎えにいく瞬間がくるまでが。

 でも今日は長い。百回よりさらに秒針が回らなければ、夜は来てくれない。まだまだ午後の、三時半。雪の止んでいた空には陽の明るさがしがみついている。

 早く会いたい。
 帰ってきてほしい。
 だなんてこんなにも強く感じるのは、いつぶりだろう。愛おしさの中にせつなさが紛れこんでいるみたいな、ごちゃまぜ感。付き合い始めたばかりの頃とか、仲たがいからやっと抜け出して、次に会うのが待ち遠しくてたまらない時のそれ、に似た感情。

 たぶんいま、はじめての状況にあるからだ。
 仕事終わりの平日、衝動的に函館までやってきて。そしたら思いがけず体調を崩してしまったところを、かいがいしく看病してもらって。おかゆを作ってくれたり、あんなにも愛らしいうさぎりんごを残されたり、ふざけを装った気づかいの手紙なんかを置いていかれたり。
 ――そんなことがあったからだ。
 いまはきっと、うっかりほだされてしまっている状態。

 そういえば、仕事が暇だったら携帯に連絡するとあったのに、いっこうにない。
 つまりは忙しいのだろう。向こうは。

 あーあ。と舌打ちしたくなりながら携帯電話を開いてみる。着信もなにもない、押し黙ったままの携帯を。

 ディスプレイに表示されていた日付を目にして、一瞬だけ固まってしまった。

 2 月14日 木曜日
 15:39

 すっかり忘れていた。
 今日がバレンタインデーだということを。

 だというのに奥村に対して何も用意していなかった。チョコレイトの一粒すらも。

 付き合い出してからは毎年、何らかのプレゼントも添えて渡していたのに、今年はまだ用意していなかった。
 弟さんにはひと足早く、ゴディバなんぞを渡してしまっているのに。

 仕事帰り、札幌から急きょ駆けつけたせいもある。熱なんか出して一日を無駄にしてしまったせいもある。
 それにしたって何も用意していないとはこれ如何に。
 
 いまからでも街へ繰りだして買ってこようか。それともスーパーに行って板チョコレイトを何枚か買ってこようか。溶かして固めてそれっぽいものを作るために――などと考えて、結局やめてしまった。買うにしろ、作るにしろ、その場しのぎで用意したくはない。付き合いが長くなって、こんなイベントへの重みが薄れてきたとしても。

 ごめんバレンタインだけど何もない。と白状したって奥村は何も言わないだろう。
 もしかしたら咎めてくるかもしれない。長ったらしい嫌味をぶつけてくるかもしれない。けれど絶対にそれは冗談。一笑に付して終わるはずだ。 
 

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