医療用語にご用心・巧妙かつ狡猾、そんな手口の裏側に迫ってみる! | 医者ギライ・クスリギライのための1日10分!医食同源・自然食実践ブログ

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その国の政治家を見れば、その国の

「民度」

が分かる、こうしたコトワザがあります。

私たちの民度、それ以上の政治家は決して輩出されることがない。政治家は私たちの民度を図る

"鏡"

である、このことを意味しているのです。

過去においても政治家たちのさまざな妄言・珍言の類いがありました。

「貧乏人は麦を食え」
「レイプは元気の証」
「消費者の権利よりも事業者の権利」


このようなトンデモ発言が物議を醸してきた次第です。

前の総理大臣が、世界一企業が活動しやすい国を目指す!そんなことを言いましたが、企業の利益確保が他の何よりも最優先になる。

それは働く人や暮らし手である私たちが極めて住みにくい国になる。そんな宣言だったというわけです。

でも、モノには例外というものがある。民度を大きく凌駕して、立派な政治家を排出してきた。そんなケースだってある。

 

最近まことしやかにいわれているのが、

『徳川綱吉(1680年~1709年)』

江戸幕府の五代将軍で、人よりも犬を大事にしたことから『犬公方』だなんて呼ばれていますが、綱吉ほどの名君は歴史上他に

"見当たらない″

このように指摘する研究者もいるのです。

綱吉の生きた時代は、いまだ戦国の気風を色濃く残す。そんな時代であったといわれています。

切り捨て御免、姥捨て山、罪人に対する耳そぎ・鼻そぎ、こうしたことが平然と行われていたそうなのです。

この時代の庶民階級だけには決して生まれたくない、そのように述べる著名な歴史学者もいるくらいです。

綱吉はこうした殺伐とした話や実際の出来事を知るにつけ、我が治世下においては、生きとし生けるものに

「憐れみの心」

を持たなければならない。

中でも、特権階級である武士の横暴は目に余るものがある。

そうして発布された「生類憐みの令」は犬を殺した者を罰するための法律ではなく、社会的弱者や貧者の保護こそが目的であり、社会福祉の先駆けであった。

このような再評価が加えられ始めているのです。

実際に、犬を殺して厳罰に処せられたのは少数の武士階級に限ったもので、庶民に適用されたものではなかった。このような指摘も少なくありません。

生類憐みの令を天下の悪法というのは、当時の市井をオモシロおかしく脚色して誇張した、風刺作家たちの手によって広まったもの。

このように指摘する声もあるのです。

実際に徳川綱吉は、

・財力不足で育児放棄にならないように、役人が親代わりとなって世話することを定めた
・捨て子や子殺しを予防する目的で、妊娠した者・7歳以下の子供の氏名を登録させ、管理を行わせた
・物乞いや流民を放置するのではなく、役人がこれを保護する規定を定めた
・牢屋の罪人の扱いも改善し、月に5回は風呂に入らせ、牢内の換気にも配慮させた


このような政策を実行したことが伝えられています。

とはいえ人の世の常で、幕府の中にも激しい権力闘争があり、『生類憐みの令』に込められた綱吉の思いを骨抜きにしたり、悪用したりする重役や役人もいた。

好き勝手に解釈して、厳罰を科す。そのような法の悪用を行うケースも実際にあった模様です。

それに対して綱吉は、老中を罷免したり、老中の職務内容を変更したりといった対抗措置に出たことが分かっています。

綱吉は29歳という短命でこの世を去っていますが、死の床に臨んで、生類憐みの令だけは

"廃止しないでくれ"

と新井白石に頼んだことも伝えられているのです。

綱吉は暗君、暴君では決してなかった。


詳しくは、『ケンペルと徳川綱吉』(中公新書)をご参照頂きたいのですが、私たちは歪められ、捻じ曲げられた歴史や一方的に大量に垂れ流される情報。

 

これらを決して鵜呑みにしてはならない、このように思う次第です。



■カゼとインフル
私たちはちょっと体調が優れなかったり、ダルさなどを感じると

"カゼでも引いたかな"

こんな風に思ったりするものです。

カゼとは便利な言葉で、「喉カゼ、鼻カゼ、お腹にくるカゼ」。このように色んなパターンに変形させて、使うことができてしまう。

体調はイマイチなのだけど、ちょっとカゼを引いた程度だから、心配しなくて大丈夫!


カゼという言葉にはこのようなトーンがあるのではないかと思うのです。でもこれが

『インフルエンザ』

となると、途端に様相が変わってきてしまう。

今すぐ“予防接種にいかなきゃ”、こんな感じで深刻度が一気に上昇してしまう。

カゼとインフル、症状にほとんど違いはないにも関わらず、あたかも全く別のものにされてしまっている。

カゼとインフルを分けて認識させることには、医療機関にとってさまざまな恩恵がもたらされることになる。

この目的で、使い分けられているのです。

■一種のサギ!?
『かぜ薬は飲むな』(角川新書)の中で、松本光正医師は、

「インフルエンザは風邪です」

とハッキリ明確に断定しています。

カゼの一種がインフルエンザ。インフルエンザは風邪であるにも関わらず、あえてわざわざ違うものにされてしまっている。

仰々しく、モットモらしい病名を付けることで、必要以上に私たちを脅かそうとする。こうして人々に

"インフルエンザワクチン"

の接種を促している。

さらに異常行動が心配で、ほとんど効果のない、治療薬の"タミフル"などまで飲ませようとしてくる。コロナでいえば、

モルヌピラビルやレシデムビル」

こうした薬剤を服用させようとするのです。

カゼをインフルエンザと言い換えるだけの巧妙で狡猾な販売促進のための演出。前出の松本医師は、

「わざわざ科学をねじ曲げて、風邪の一種であるインフルエンザを必要以上に怖がらせているから巧妙なのです。一種の詐欺といって良いでしょう」

と警告しているのです。
カゼはウイルスの感染によって起こる、これが定説になっていますが、カゼを起こすウイルスは

「約200種類」

以上も存在するといわれています。

 

その中で多いのが、"ライノウイルス"、"エコーウイルス"といわれるものだそうですが、ウイルスの数があまりに多過ぎる。

 

そのことが理由で、一括りに

"カゼ"

という言葉でまとめられているのです。

でも、商売という面から見れば、カゼという言葉ではスリ傷、キリ傷程度の印象しか与えない。

 

正直、迫力に大きく欠ける面がある。そこでモットモらしい言葉を用意し、人々に怖がってもらう必要が生じる。

 

怖がってもらえない限り、注射を打ったり、クスリを飲んだり、そうした行動に人々を駆り立てることができないままとなってしまう。

 

そこでインフルエンザをクローズアップし、別枠にすることで恐怖を

 

「煽る」

 

軽いものはカゼ(感冒)・重いものはインフル(流行性感冒)。

このような使い分けを思いついたようなのです。

そしてインフルの症状が進んでいくと、そこでまた名称が次々に変更されていく。今度は、肺炎という名前が与えられる。

そしてその状態のまま、激しく咳き込めば

「急性気管支炎」

喉の痛みが強くなれば

"急性咽頭炎"

こんな感じで場面場面で名称を変えて、いかにも重篤な症状であるかのような演出が加えられていく。

こうして私たちはより一層、医療に依存せざるを得なくなっていく。

「先生何とかして~」
「早くおクスリを~」


クスリの量は雪だるま式に増えていくことになるのです。

 


■コロナと検査
コロナウイルスにしても、これまではカゼ!の一言でまとめて呼ばれていたものになります。

 

1960年代には既に4種類のコロナウイルスが発見されていて、以降別段、問題視されるようなものではなかったのです。

 

今回大騒ぎになっているのは、コロナウイルスが

 

「新型」

 

であるから。新しいものだからコワイ、こういう理屈というわけです。

 

感染症は菌やウイルスなどの病原微生物によって引き起こされる。私自身はこのような『感染説』を支持する者ではありません。

微生物は体の必要に応じて、体内で自然発生するものだと思っているのです。

それはさておき、与党も野党も足並みを揃えて、

「PCR検査を!」

そう盛んに主張しているのが現状です。仮に感染説が正しいものだとして、検査を行い、そこで陽性が出た場合、その後はどうするのか?

 

この点については全く不明瞭といわねばなりません。

完全隔離をするわけでもなく、せいぜい自宅待機が関の山。

病原感染説に則れば、家族がいればウイルスを全員にうつす結果になってしまう。果たして何のための

 

「検査なのか?」

ワクチンへの期待値を引き上げようとするのが本当の狙いではなかろうか?そんな疑問を覚えてしまうのです。


■命が守られる!
高熱が出ることの意味は、体が元気な証拠であると前出の松本医師は指摘します。発熱という自然治癒力が働かなければ、

"無熱性肺炎"

といわれる、より深刻な事態を招いてしまうと指摘するのです。

ウイルスが侵入しても、熱が出ない。よって、熱で焼き殺すことができない。

そうなればウイルスは体の中で、「ここぞ!」とばかりに増殖を繰り返していく。

熱が出なかったり、熱を下げるような行いは

"免疫不全"

に近い、そんな状態になることを意味している。

高熱が出る意味は免疫機能がしっかり働けるだけの健康体であることの証明といえます。

『熱が出たら「しめた!」です。感謝です。これで治るのだ。命が守られるのだと思いましょう』

松本医師はこのように述べ、反自然で、キケンな解熱剤などの濫用に警告を発し続けているのです。

現在、私たちは感染力は強いのかもしれないけれど、重症化率も、致死率も極めて低い弱毒の「コロナウイルス」によって、

「意味不明」

な人工パニックに脅かされている状況にあります。

発熱を敵視することなく、体のことは体に任せ、過度に心配などをすることなく、熱に感謝するくらいの気持ちの余裕を持っていたいものです。

聞き慣れないカタカナ言葉が氾濫し出したら、私たちを目的の方向に操ろうとする意志の表れと判断して、注意を怠らないようにする。

 

このように思うのですが、あなたはいかが思われるでしょうか?

 
■参考文献

・『コロナウイルスと冬。そして未知の作用のRNAワクチンへの狂想


 

 

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