今秋も多くの方にご参加いただいて、感謝しています。ニコニコ

 

大阪あそ歩は、今年が15周年ということで

長く続く人気の15コースを15周年記念として開催、そのうちの2コースを担当させて頂きました。

11月8日(水)は曾根崎心中の道を辿る

 

お初・徳兵衛の辿った道を想像しながらの北の新地、今昔街歩きです。

何度もさせて頂いているコースですが・・・

 

 

私も、もうこの歳です。

最近はいつも、「ひょっとしたら最後になるかもしれない・・・」

という思いが頭をよぎります。

意識しなくってもまさに一期一会、準備にも気合が入ります。筋肉

 

 

集合場所での5分間の待ち時間に

今日歩く、『曾根崎心中』『心中天網島』の舞台やモチーフとなった

北の新地、蜆川についてお話ししました。

 

          大阪市立中央図書館デジタルアーカイブより

 

 

JR福島駅集合、せっかくなのでまずは関西将棋会館

 

 

所属されている藤井聡太八冠のお話しと、来年の秋の高槻移転のお話をしてから

二階の道場をちょこっと見学

いつも温かく迎えてくださる職員の皆さんに感謝です。ニコニコ

 

 

通りの向こうには

試合中の藤井さんも出前を取られた「福島 やまがそば」

 

 

ぐるっと回って、うめきた第2期工事の現場へ

写真の南西の端っこくらいに梅田墓(梅田三昧)がありました。

2017年、2020年、大阪市が発表した大きな発掘調査の結果をお見せして

梅田三昧の成り立ちから今日までの歴史

江戸時代から明治時代にあった七墓めぐりの風習などもお話ししました。

 

これは2020年の写真です。

 

今は、線路も踏切も撤去され、ビルがたくさん建っています。

 

 

JRのガードをくぐって南へ

 

TKPゲートタワービル

ビルの中を阪神高速道路(11号池田線)が通っています。びっくり

道路はビルの外側にある橋脚に支えられ建物と完全に分離されているので

ビル内はゆれも騒音も感じないそうですが

サイバーパンクの世界びっくりマーク

5~7階の窓はダミーで、ここは部屋ではなくエレベーターが通っているそうです。

 

 

いよいよ今日のコースの始まり 蜆川跡へ

蜆川に架かっていた梅田橋から二人の道行きは始まります。

 

明治42年の北の大火、蜆川が舞台の浄瑠璃などについてお話しました。

蜆川に架かっていた10の橋の名は

この梅田橋ビルの名前と

 

 

浄正橋桜橋の交差点に名を残すだけです。

 

  

 

NTTの方にわたります。

『曾根崎心中』でお初と徳兵衛が心中を決心した天満屋はこの辺りとか

 

 

 

浄祐寺

今は都会の真ん中にひっそりと建っていますが

江戸時代から新地に来られる多くの人々がお参りされたのでしょう。

 

 

赤穂浪士、矢頭長助、右衛門七親子の墓があります。

 

 

五大力之碑

1737年 曽根崎新地で実際にあった5人切りの碑です。

この事件を題材に、『五大力恋緘』が書かれ、翌年舞台を江戸深川に移した作品になり

その後、鶴屋南北の『盟三五大切』につながります。

 

 

 

NTTの敷地

いつもこちらのベンチでちょっと一服していただきながら

文楽などちょっと長めの話しをします。

 

そしてこの地は江戸時代から続く変遷もとっても面白いのですよ。拍手拍手拍手

 

 

明治の初めに初代大阪駅の候補地になったり、第2代目の大阪市庁舎が建ったりしたのもここです。

 

 

 

桜橋方面に向かって進みます。

初代の大阪駅と堂島川を結ぶための梅田入堀川にかかっていた出入り橋

陸運と水運とを結んだんですね。

明治22年、市制がひかれた頃の地図が面白いです。ニコニコ

 

 

いつもはこちらの

大阪で一番美味しいきんつばを食べて頂きます。😋😋😋

 

 

桜橋の碑

実際は、碑の左側に数軒並ぶビルの真ん中あたりに蜆川は流れていました。

蜆川跡を皆で確認しましたが

15~16mくらいの川幅だったのかな・・・

 

この碑、よう傾いています。ウインク

 

 

堂島アバンザ

お初・徳兵衛の道行きからは外れますが、(はずれてばっかりやんアセアセ

せっかくなのでこのあたりも・・・

毎日新聞大阪本社跡に建てられ、特徴のある玄関だけがビル前に残されています。

 

 

 

堂島薬師堂

ミラーガラス127枚を組み合わせた直径7mの球状のモダンなお堂です。

堂島の名のもとになったといわれている聖徳太子の頃からの由来や、その形についてお話しします。

奈良の薬師寺のお坊さんが法要に来られます。

 

 

 

新地本通りに出ました。

新地の300年にわたる歴史や街の物語を描いた北新地文化銘板

がありますが、経年劣化でもうあまりよく読めません。

 

 

蜆川の碑

文楽研究家 木谷蓬吟の文章が書かれています、

こちらも読みにくくなっていますね。

 

 

『心中天網島』の舞台、河庄があったとされるのはこの向かい側です。

昔は、自販機の横に河庄の跡の碑があったそうです。

ビルのオーナーさんが替わられたのでしょうね。

今はありません。

 

こちらではいつも『心中天網島』のお話をします。

「道行名残の橋づくし」をプリントしてお渡しして

「ぜひ、声に出して読んでください!名文に酔いますよ~」キューン

 

 

曾根崎通りを渡って

駅前第一ビルの屋上にある狐塚へ

 

お初と徳兵衛は真っ暗な中、火の玉が飛ぶ梅田墓や狐塚を遠目にみながら

天神ノ森へと向かったのでしょうか。😿

 

 

数日前の下見の時には、まだ丸ビルが少し見えていたのですが・・・

 

 

駅前第二ビルの三階テラスには徳兵衛大明神

こちらの徳兵衛は、『曾根崎心中』の徳兵衛ではありません。

信心深く、祠を大切に守られた地元の徳兵衛さんです。

駅前ビルには地域の人たちがお参りされていた祠が、今も大切にまつられています。お願い

 

こちらは三年前に撮った写真です。

左端に映るのは 嗚呼!丸ビルです。キューン

 

 

大阪市道路元標

せっかくなので、こちらもご紹介を!!

 

道路の起終点を示します。

明治9年 高麗橋の里程元標、大正11年の第三代目市役所前の道路元標を経て

昭和27年にこちらに大阪市道路元標が置かれました。

 

 

 

露天神社

「お初天神」として親しまれています。

 

雨の日の写真です。🌂

雨の中のお初天神は風情があると思ったので、写真を撮りに行ってきました。

 

 

曾根とは・・・からはじまり、難波八十島祭、いくつかある名の由来

太融寺へ行かれた菅原道真公が詠まれたたうた

露と散る 涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出づれば」などをご紹介しました。

 

 

参道を確保するために、二つのビルはこんな形で繋がりました。神社

ビルの入り口も参道側に造られています。

 

二人が心中した天神ノ森は社の裏手になるそうですが

今は恋愛成就「恋人の聖地」となっています。ハート

 

 

外国からの観光客もいっぱいだし

境内は、もうピンクピンクですごいことになっていました。ラブラブ目ピンクハート目ラブラブ

 

 

終わってからも、皆さん残っていろんなお話をさせていただきました。

楽しんでいただけたみたいで、とっても嬉しいでした。ラブラブ

本当に有難うございました。ニコニコニコニコニコニコ