ジャマイカと共に世界へ挑戦 | 下町ボブスレーオフィシャルブログ

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下町ボブスレーは大田区の中小零細町工場が中心となり、世界の舞台で戦える国産マシンの開発をしようというモノづくりプロジェクトです。

1月18日(月)

長野から東京へ戻り、大田区産業プラザで記者会見。

リカルド・アリコック駐日ジャマイカ大使や松原忠義大田区長も駆けつけてくれました。

ここまでのジャマイカ来日記
1.ジャマイカボブスレーチームとの出会い
http://ameblo.jp/shitamachibobsleigh/entry-12120664642.html

2.ジャマイカ代表採用決定まで
http://ameblo.jp/shitamachibobsleigh/entry-12120667055.html





大勢のメディアや関係者に集まっていただきま
当日から新聞やテレビ、ラジオなどで
下町ボブスレージャマイカ採用の情報がまたたく間に配信されました。

ジャマイカは残りのシーズンの大会に下町ボブスレーで出場し
次の製作に活かすデータを取り設計。
来シーズンに向けて3台のソリを製作して無償提供。
五輪シーズンにはさらに3台のソリを製作するなど
協力体制が発表されました。





この写真。
真ん中がリカルド・アリコック駐日ジャマイカ大使。
右側が今回ジャマイカと日本の橋渡しをしていただいた
日本レゲエ・シーンの立役者の一人といわれている石井志津男さん。

ジャマイカ音楽のルーツを辿るドキュメンタリー映画の監督であり(作品はコチラ
様々なジャマイカのミュージシャンを日本に呼んでイベントを開催したりする等
ジャマイカと長年つながりをもっている方です。スケボーを愛するという一面も。



下町ボブスレーの横田さんと音楽で交流のあった
DUB MASTER Xさん(下記写真右)が
石井志津男さんに繋いでくれてジャマイカ大使館訪問が実現しました。
ダブマスターXさんはサウンド・エンジニアやDJシーンで活躍されている方です。
※DUB MASTER Xさんについてはコチラ(公式サイト)


プロジェクトは11月の日本代表不採用後に
(株)フルハートジャパンの國廣さんが中心となり
ジャマイカへ正式にオファーに向け動きました。

そこではメンバーの持てる人脈をたどり活路を求めて一丸となり
ジャマイカへのオファーへ動いた経緯がありました。

ジャマイカで下町ボブスレーを使ってもらおうという壮大である夢を応援するべく
迅速に松原大田区長が推薦状を書いてくれたり
スポンサーである伊藤忠商事様が英文添削を手伝っていただいたり
他にもたくさんの方々にご尽力いただいき(見えないファインプレーの連続でした)
今回の夢のような協力関係が実現しました。




人と人と出会いはプロジェクト発足当初から不思議な縁で導かれているようです。
大田区にボブスレー競技で五輪に4大会出場した選手である脇田さんが住んでいて
ボブスレー競技とはどういうものなか教えてもらったりしました。


記者会見後には地元小学校の5年生が作ってくれた応援旗をバックに
写真をとってくれたジャマイカチーム。
このポーズからしてサービス精神に溢れてます。




ジャマイカ採用の"ニュース以前"から地元の取り組みに関心をもって
応援してくれていたのが大田区立おなづか小学校の子たち。

このニュースをきいて飛び上がって喜んでくれたというのだから良かった!
これをきっかけにジャマイカのことをさらに調べていくそうです。


このジャマイカと日本のつながりが
文化の面やサブカルチャー、ビジネス、スポーツなど
あらゆる面で波及していくと夢が広がります。




当日NHK首都圏ニュースの生中継もあり
細貝ゼネラルマネジャーが出演。
優れたアスリートであるジャマイカ選手と日本のものづくり技術を注ぎ込んだ
下町ボブスレーのタッグで上位進出を目指したい等意気込みを語った。




夜は蒲田でメンバー行きつけの居酒屋で食事。
ジャマイカと日本の友好。



翌1月19日は終日東京を観光。
その夜には羽田空港でお別れです。





今回パートナーシップを結べた根底には
ジャマイカと下町ボブスレーのあいだに
同じ夢を持った友達のような関係性ができたからのように思えます。
想いは深く、ノリは軽くというフィーリングが似ていました。




下町ボブスレーのロゴが入ったボブTを着てくれているのも嬉しい。
(東京観光している間もきてくれていたようです)



日本に来てくれてありがとう。
共にまた近いうちに会おうを再会を誓いました。



見送る下町ボブスレーメンバー。



下町ボブスレーのメンバーは別れを惜しみながらも
すぐに次の事を見据えて(アメリカへのソリ輸送やソリ開発についてなど)
羽田空港のカフェで深夜まで打ち合わせが続きました。


そこではジャマイカと共に世界を変えるための
新たな挑戦が始まっているようでした。