シルク | 空想俳人日記
新型コロナウイルスに関する情報について

シルク

絹ずれの 肌も触れなむ 吐息かな 



 原作のアレッサンドロ・バリッコの「絹」(白水社刊)は、世界的ベストセラー小説らしい。それを国際プロジェクトで映画化したのが本作。確かに、製作国がカナダ・フランス・イタリア・イギリス・日本となれば、国際プロジェクトと言えよう。
 豪華キャスト競演で描く純愛ドラマは、「ラストデイズ」のマイケル・ピット、「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズのキーラ・ナイトレイ、オーディションから大抜擢の新鋭・芦名星。共演に役所広司、中谷美紀。そういう布陣の紹介。
 監督自身がエンディングのストーリーの繊細さやニュアンスに空気感を大切にしていることは、確かに観ていて「ああ。これだったんだ」と思わせた。監督自身、映画には、原作以上にエレーヌ(キーラ・ナイトレイ)を重要視し、原作以上に登場させたという。もちろん正解だ。それは後からちゃんと述べたいし、コレが感じ取られなければ、この映画が私たちにも求める繊細な感受性は期待できない。
 しかし、後半からエンディングに向けてのエレーヌを中心に据えるのであれば、最高の絹を紡ぐ繭を求めて日本に赴くエルヴェ(マイケル・ピット)が出会う、絹のような感触とも比喩できる日本側の配役がどうなんだろう。それはもちろん役所広司や中谷美紀のことではない。大抜擢の新鋭とされる芦名星のことだ。エルヴェが妻エレーヌに生涯の愛を誓いながらも、日本に訪れるたびに、心を動かされ、ビジネスの絹の素である繭を紡ぐ蚕以上に魅力を感じる少女。言い換えれば、最高の絹への触感への憬れに比喩される、異国の地の少女への想い。その情感をそそらせるに足りるキャスティングであるべきなのに、今一どうなんだろう。
 日本人でありながら、その日本の風景の描写には私の心を大いに捉えるものがあった。しかし、その雪景色の中、露天風呂の彼女、あるいは原十兵衛に寄り添う姿態、ううん、どうなのかなあ、シルクにふさわしい? 彼女よりも少年役の本郷奏多の方がよい。
 彼女がエルヴェに渡す一枚の栞。そこに書かれていることが分からず、彼は、中谷美紀演じるマダム・ブランシュに訳してもらうのだが、マダム・ブランシュがエルヴェを説得する力が弱い。それは説得する中谷の演技力ではなく、その説得に値する魅力をエルヴェが役柄で感じているほど私が感じられないからだと思う。
 ううん、私が日本人だからか。カナダ・フランス・イタリア・イギリスの人々には、十分に効果が得られたのかもしれない。でも、エレーヌがキーラ・ナイトレイなのだから、ここでの少女の役は、新鋭ではなく、キーラに匹敵する役者をキャスティングして欲しかった。いや、もし、キャスティングのせいでないとすれば、新鋭さんに、もう少し大いなる演技をして欲しかった。エルヴェがシルクを憬れるに値するシーンが。
 逆に、そういうことを過剰に期待していたせいか、エレーヌがキーラ・ナイトレイでなくてもいいのでは、初めはそうも思っていた。しかし、先にちょっと語り始めた後半からエンディングにかけてのエレーヌが迫ってくる。愛おしい。
 そうか、この映画の見所はエルヴェの物語ではなく、エレーヌなんだ。エルヴェはマダム・ブランシュに二度会う。その二度目がこの映画の重要なターニングポイント。和紙の巻紙に日本語で綴られたエルヴェへの恋文。マダム・ブランシュがそれを翻訳して音読する。
 そして、二度あることは三度あるではないが、マダム・ブランシュがその恋文の真意を明かす。そこで、もう一度、その恋文が読まれる。その声は、エレーヌことキーラ・ナイトレイの役柄だ。
 ここまで来て、この映画が凄い映画だということが、ゆらゆらと、しかも、じわじわと心の真ん中に染み入ってくる。この映画の主人公はキーラ・ナイトレイなんだ、そう分かってくる。というよりも、これも、染みてくる。だからなんだ、彼女が「さようなら」に象徴される、少女が水の中にもぐるシーンと同様の彼女のシーンが映し出されるのは。間違えてはいけない、彼女は、カリビアンだけのジョニー・デップの相手なんではないのだから。
 エレーヌの愛がここまで来て、やっとエルヴェにも分かってくる。染みてくる。紡いでいたのは、日本へお旅と、そこで心離さない少女の絹のような感触、それは何のことはない、エレーヌとの紡ぎだったのだね。途中ではまったくなかろうと思った涙腺の緩みが、感極まってここで来た。
 この映画が国際的プロジェクトであるとしても、私にとっては、どうでもいいこと。エルヴェが異国の地への旅とともに心が揺らいだとしても、何処にも行くことがないのに一番心の旅していたのはエレーヌだということ。カナダもフランスもイタリアもイギリスも日本も、どうでもいい。エレーヌのための庭園作りに、もっとはやくからエルヴェは気づくべきだったんだね。
 ちなみにロシア経由で酒田から日本に渡ったエルヴェ。日本人である私が思ったこと、西洋と比べると、日本は相変わらずちょんまげ。しかも、反乱が単に戦国の世で、少年の謀反に縛り首。日本は、鎖国によって遅れてる。そう思った、初めは。でも、エルヴェが見た日本は、遅れた日本なのだろうか。むしろ、その後、とてつもないスピードで西洋化し、日本のこれまでの生活をすべて国際化させるために、ひょっとすると、ここで見せられた日本の風景や生活をすべて西洋のモノマネにしてしまった、それって、今更ながらどうなんだろう、そう顧みさせてくれる映像でもあったと思う。
 シルクを求めて極東に出向いた西洋人の憬れは、今の日本にはまったくありえない。何故なら、そこにあるのは、西洋のモノマネしかないのだから。
 この「シルク」という秀逸なる映画、とにかく静かだ。自分の吐息が聞こえそうな。その静けさをさらに引き立たせているのは、なんといっても坂本龍一教授の音楽。でもね、西洋と日本を行ったりきたりの映画だから大変だったかいなかしらねども、「戦場のメリークリスマス」や「ラストエンペラー」、「シェルタリング・スカイ」に「リトル・ブッダ」、最近では「星になった少年」、そうした教授ならではのカラーというか印象というか記憶に残る音楽、そんなフレーズが本映画では静か過ぎて感じられなかった。音楽的な効果というか、この映画のサウンドトラックという側面を重視したのかな。でも、教授には、その映画ならではのユニークなテーマ楽曲を作って欲しい。そこんところが、ちょっと物足らなかったと言うか、私には見受けられなかった、否、聞き受けられなかった。ごめんなされ。