「ドリームガールズ」オリジナルサウンドトラック | 空想俳人日記

「ドリームガールズ」オリジナルサウンドトラック

夢歌う 少女の明日は おおきな木 



 やっぱり買ってしまった、映画「ドリームガールズ」のサントラを。で、いつもの如くヘッドフォンでこそこそ聴くのでなく、スピーカー通して大音量で聴いてたものだから、「もう少しボリューム下げて」なんて言われちゃった。あはは。
 この映画を観て、あっ絶対にサントラ買うなあ、自分の行動が久し振りに読めたのはよいことですが、そこまでは読めなかったぞ、そう思ったのが曲の二分化。
 収められている20曲、すべてに満足しちゃっておるのは確かなんだけど、例えば冒頭いきなりの「ムーヴ」、それから自動車の販売促進ツールなる「キャディラック・カー」、「ステッピン・トゥ・ザ・バッド・サイド」に「ドリームガールズ」、「ペイシェンス」「ワン・ナイト・オンリー(ディスコ・ヴァージョン) 」 、このあたりの2分の1分(1of2)はノリノリで楽しきかな、ついついリズムに併せて踊っちゃうよ、ソウル・トレイン。
 けど、もうひとつの2分の1分(2of2)は、なんだろう、日頃であれば、ちょっと「どうなの、いるの、いらないの、まあいいんじゃないの」かもしれない。曲で言えば、まず「ファミリー」「イッツ・オール・オーバー」の食い違いと仲違い、そして心からの叫び「アンド・アイ・アム・テリング・ユー・アイム・ノット・ゴーイング」「アイ・アム・チェンジング」、そしてディスコ・ヴァージョンではない「ワン・ナイト・オンリー」。でも、これらが心に染みる。キーマンは、新人のジェニファー・ハドソン。
 昨今、商売読本が売れており、商人駆け引きも多い人間社会の中では、売れるか売れないかが最前線に来たりする。脚光を浴びるユダヤ商人、華僑の人々、そして日本では近江商人。それはそれで素晴らしい。でも、価格格差で資本主義社会が動いている実情、私たちは安らぎまでも右から左へ移す人々から手に入れようとする。本来の安らぎはお金で買うものなのか。
 ふと思い出したのは、ちょいと自分で以前に書いた、絵本「おおきな木」のお話(http://ameblo.jp/shisyun/entry-10026691512.html )。自分にとって「おおきな木」って何だろう。合理的な商品? はたまたブランド品? 売れるか売れないかの尺度では、まず気がつかないものがある。自分が何のために生まれ、何のために人と出会い、何のために会話し意気投合し共に生きようとするのか。そう考えると、売れようが売れまいが、どんなにビッグに知名度が上がろうが上がるまいが関係なかろうが、どうでもいい。
 そんな名だたることよりも、自分にとってもっとおおきな存在があり、おおきな生き方がある。それは、自分の師匠や先輩や上司や経営者なんかでは毛頭ない。たまたま、出会って、擦れ違って、袖すりあうも他生の縁、一期一会。
 この2of2の二分の一の曲たちは、あの「おおきな木」でコメントした自分にとっての「おおきな木」ではないかな。確かに自分の経歴からすれば、贈り主の方がまだまだ発展途上であり、自分の経験値からすれば、まだまだ貪欲に積まなければならない仕事は、たくさんあるだろう。けど、同じ業界の中で、いくら自分がある意味で先輩だとしても、新しい息吹き、新しいパワー、そこから沸き起こる生々しい叫びは、真似することができない明日の源でもあると思う。
 このサントラで聴ける、もうひとつの2分の1分(2of2)は、そんなパワーではないか。比較するにはおこがましいが、プロ級か否かは尺度のひとつではあると思う。そして、真のプロからすれば、なにも若い人だけでなく自分も同じ範疇に相変わらずいるとも省みる。でも、プロ化しすぎた連中にとって、この感動は本来最も大切にしなければならないものではないのか。この感動を忘れて、プロとは何様だ。プロから手馴れた技と商売上手と引き換えに感動が消えていたとしたらば、プロなんぞいらないぞ。
 新人はいい。向上しようとするパワーだけでも熱い思いが伝わってくる。おおきな木や2of2は、そんな奢り高ぶるプロ意識の醒めた1of2なる2分の1分へのメッセージかもしれない。贈られたメッセージ、魂の熱い叫びに、これからももっと触れていける自分でありたい。

サントラ, ジェニファー・ハドソン, ビヨンセ・ノウルズ, アニカ・ノニ・ローズ, エディ・マーフィ, ローラ・ベル・バンディ, ロリー・オマリー, アン・ウォーレン, ヒントン・バトル, ジェイミー・フォックス
ドリームガールズ オリジナルサウンドトラック