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5月25日



「オハヨーございます!」


秋元記者が元気な声をかけて来た。


「ぁ…、お早うございます。」


新司は多少人見知りのところがあった。

逆に秋元記者の方は、賑やかなタイプで誰とでもすぐに打ち解ける事が出来た。


「はじめまして。って事で、面倒な挨拶は抜きにしましょう。… 秋元です。」


新司は出された手を握りながら応えた。


「初めまして、榊です。よろしくお願いします。… まずは、どちらに向かわれますか?」


「取り敢えず、(観測)定点まで行って貰えますか?その後の事は、後でって事で…ハハ…。」


【気さくな人だな‥楽しい仕事になりそうだ。】


新司は、笑顔で軽く頷いた。


その日は定点での撮影を終えた後、雲仙の簡単なレクチャーをしたが、大体の事は秋元記者が自分で調査済みで敢えてレクチャーする必要はなかった様だ。

夕刻に地元気象台で会見があると云う事で、其処まで送り届けその日の案内は終わりになった。

その日の会見は後日重大な意味を含んでいた事が明らかになるが、その日はただの事実関係説明会と認識されるに留まった。

誰もが戦慄に震えるその日まで、あと一週間を残すのみ。



運命の6月3日



「いってらっしゃい!」


潤子に見送られて新司は軽く手を振る。

朝から何やら不思議な感覚が新司を襲う。


【これで、見納めか?】


ここ数日来浮かぶ不吉極まりない考えを、被りを振って追い払う。

そもそもこの嫌な感覚は、先日の大火砕流の発生から始まった。


26日、29日と立て続けに大きな火砕流がおきたが、新司たちはいずれもその場に居合わせた。

26日には、負傷者も出ている。

新司たちは何とか難を逃れたものの、生きた心地がしなかった。



次の日から昨日まで雲仙岳は沈黙を守った。


「榊さん、もし怖い様なら、此処に落として貰って、…夕方にでも又拾いに来てくれれば、いいですよ。」


秋元記者はそう言うが、さすがに中腹の定点に、一人残して帰る訳にはいかない。


「いえ…、お付き合いしますよ。ただ、すぐ逃げられる様に、車から離れないで下さいね。」


「解りました。」


しかし、その日も雲仙は沈黙を続けた。

新司たちが引き揚げ様としたその瞬間まで。



16時過ぎ、山頂を 隠す雲間に灰色の煙りがあがる。


火砕流が発生したのだ。


然も、その日の粉塵は明らかに規模が違っている。



「あっ、秋元さん!急いで乗って下さい!」


新司は絶叫に近い呼び声をあげた。

秋元が車に戻った瞬間、新司は車を出した。

しかし、その行く手を火砕流の海が阻む。


新司と秋元は、絶望した。





1991年6月3日 16時過ぎ、雲仙岳から発生した火砕流に呑み込まれ43名が犠牲になった。


報道記者、カメラマン、タクシー運転手、消防団員など…。


全身に火傷を負い、よろめきながら歩いて逃げてくる人たち。

その映像が、ほぼオンタイムでニュースで流れた。

誰もが戦慄に震える正視するに耐えない悲惨な映像だった。



火砕流の恐怖を、日本国民全てに知らしめた。

代償は、43名の命。


運命の日は、夕暮れの闇に沈む。





潤子は夫を、幸治は父を失った。



続く


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