家の中の移動がこんなに大変なものだということは

松葉杖生活をしてみなければ分からないだろう。

 

1メートル先のものを取るためにも

わざわざ松葉杖を使わなければ行かれない。

しかも物を持ったら、松葉杖が使えない。

ズボンのお尻のポケットが、こういう時にすごい役立つことを知った。

500mlのペットボトルまでなら突っ込み可能です。(ジャージ、スウェットに限るw)

 

でもポケットに入れられないものもあるし、

何より、

片足で立ちあがる → 松葉杖を取る → 松葉杖を脇に挟む → 移動 →目的地到着 →

松葉杖を一旦外して立てかける → 物を取る → ポケットに入れる → 松葉杖を取る →

松葉杖を脇に挟む → 移動 →  目的地到着 → 松葉杖を立てかける → 

ポケットの物を出す → 椅子に座る

の手間ったらない。

 

一旦座ってから、

「あっ!アレも持ってこなきゃいけなかった」

となると、ああああああああああ!と叫び出したくなる。

 

そこで購入したのが、キャスター付きの椅子。

これが届いてからの生活は、10倍快適。

ちょっとした移動は座ったままスイーっ!

なんてラクチン。

(ちなみに前に進もうとせず、足で蹴って後ろに進む方が断然早くてラクです)

 

段差のないフローリング部分だけだけど、

これだけでも随分と行動範囲が広がりましたよ。

 

もしも、足を怪我された時は

「キャスター付きの椅子」

を思い出して下さいね。

バスを乗り継げば職場まで行かれることが判明したので、

車通勤だった私が、はじめてのバス通勤。

 

ひとつひとつが初体験で、戸惑う事ばかり。

 

まず1つ目。

バス停にベンチがない!

いままで気にもしなかったことだが、ベンチがないバス停の多いこと。

これはね、とても困ります。

だってね、バスって大概遅れるんだよね。

しかも15分とか20分とかザラ。

それをね、松葉杖と片足立ちで待たなきゃならないのは、かなりの苦行。

(のちに職場の人から『バスあと何分』というアプリを教えられてかなり助かった)

 

そして2つ目。

微妙に歩道から距離がある停車位置。

すごく離れてるならまだいい。

一旦歩道から車道に降りて、またバスに乗ればいいから。

微妙な距離というのは

健康な脚なら問題なく跨げる程度、30~40センチの距離。

一旦車道に降りるほどはなさそうだけど、

松葉杖を支点にグイーっとブランコのように宙に浮いて乗り込むのはかなり怖い。

もし松葉杖が滑ったら一巻の終わりだ。

 

そして3つ目。

そんな思いで乗り込んだバスでは、すぐに電子マネーをタッチしなければならない。

松葉杖を脇で押さえながら両手をフリーにし、

かばんから財布を出して、ピっ!

そしてまだ財布をしまい、

松葉杖を持ち直して

ようやくシルバーシートへ向かう。

かなり時間をくうので、自分の後ろの人や、乗客の「早くしろよ」的な空気を感じる。

 

「あらかじめ財布をズボンのポケットに入れておけよ」

という意見もあろうが、

脚が不自由だとズボンのポケットってかなり不安なんですよね。

この時期、シャツだけだから上着のポケットもないし。

 

そして4つ目。

座ったあとの松葉杖、ジャマ!(笑)

これどうやって持ったらいいの?

リュックと松葉杖を抱きしめるような形しかないのかな。

あとね、ギプスの足ね。

アキレス腱って、つま先立ちの形で固定するから、足を伸ばさないと辛いのね。

だからパッと見、「態度でけーな」的な姿勢になっちゃうんだよね。

ジャマだよね。伸びた足。

もちろん混んでたり、人が通る時には引っ込めるけど、

空いてる時には伸ばさせて、って感じ。

 

いや~ほんと

自分の身に降りかかってみないと分からないことって沢山ありますね。

人の気持ちも自分のことも。

 

いい勉強させてもらってまーす。w

 



 

 

 

 

アキレス腱断裂5日目。

姪っ子の子どもルイくんが遊びに来てくれる。

 

休むことなくパワフルに動き回り、

半分も聞き取れない言葉でよくしゃべり、

とにかく底抜けに明るい。

 

何回聞き返しても聞き取れない何かを、

それでも一生懸命伝えようとしてくる姿は、

愛らしくて抱きしめたくなる。

 

幼児特有の匂いも久しぶりに嗅いだ。

あれはなんの匂いなんだろう。

ミルクのような、甘くてちょっと懐かしい匂い。

 

ルイくんが帰ったあと、

ドッと疲れが出たけれど、

でもそれ以上にパワーを充電してもらえた気がする。

 

子どものパワーはすごいねー

汲んでも汲んでも尽きない泉のようだ。

透明で穢れなき命の泉。

 

松葉杖でも職場に行く方法がないだろうか、と

スマホでいろいろ調べてみた。

バスを乗り継げばなんとか行かれるかもしれないという事が判明。

時間は今までの3倍くらいかかる。

それでも自力で行かれる方法があると分かっただけで、少し元気が出た。

 

禁煙は続いている。

モチベーション維持のために

「禁煙のメリット」的な記事をスマホで読み漁っていると、

その中に紛れて

「タバコはやめない方が長生きする」

みたいな記事もあったりして、心が揺さぶられる(笑)

 

 

 

 

今まで出来ていた事が出来なくなる。

年寄りがよく口にする言葉ですよね。

そんな言葉を自分が口にする日が、こんなに早く来るなんて(笑)

 

食事の準備片付け、洗濯、仕事、車の運転、買い物、入浴、階段昇降etc・・・

今までなんとも思わず(ったりーな、と思うものはありますw)出来ていたことが

もうスーパーミラクル難しくなる、あるいは出来なくなる。

 

これだけでメンタルやられます。

しょぼぼん、です。

 

そのうえに禁煙なんか始めちゃったものだから、もう大変なんです。

はい、タバコやめたんです。

4月22日(木)の夜から。
 

買い置き、まだ2箱あるんだけど、まだ買い置きがあるうちに始めようと思って。

だって、全部吸い終わっちゃってから

「よし!これで禁煙だ!」

と意気込んだとして、

「あ~やっぱ無理~!吸いたい~!吸えなきゃ死んじゃう~!」

ってなった時、もしそれが真夜中で雨なんか降ってたりしたら絶対買いに行けないわけでしょ。

 

だから、まだ買い置きがある段階での禁煙スタート。

「どうしても我慢できなかったら吸っちゃいなよ。その代わりタバコを買いに行かなきゃならなくなるけどね」

というスタンスで。

 

そして禁煙スタート。

あのね、これね、地獄の責め苦ですよ。

 

普段の生活だったら、仕事なり家事なりやらなきゃいけないことに追われて忘れられる時間が少なからずあるけれど、

今のこの状況、ド暇ですからね。

ベッドで寝てるだけですからね。

考えることは「タバコたばこ煙草TABACO・・・」の無限ループですよ。

 

でも我慢。

なんかね、そしたら気づいたらちょっと元気なくて。

ちょっと鬱っぽいのかな?なんて。

 

あれもダメこれもダメ

今まで出来てた事をことごとく奪われた生活は、

思考をネガティブにしてしまう。

 

「申し訳ない」

というフレーズばかり出てきたりするんだよね。

 

職場に迷惑かけて「申し訳ない」

年老いた母に面倒かけて「申し訳ない」

いい大人が昼間っからベッドでゴロゴロしてお天道さまに「申し訳ない」

 

ごめんねごめんねごめんね、と

タバコタバコタバコ、混じりあって、

心の中がどす黒い煙で充満してくるような閉塞感。

 

あーーーダメ。

こういう時は寝ちゃうに限る。

幸い、禁煙の副作用で眠気は強いから。

寝られれば、たいていのことはなんとかなるから。

 

そんなこんな4日目でした。


 

 

 

 

 

 

 

 

アキレス腱が切れた右足には一切体重をかけてはいけない。

なんなら地面に着けてもいけない。

と言われているので素直な私は忠実に守ります。

 

するとどうなるか。

必然的に左足に全体重がかかるわけです。

 

私、ちょっと太りまして、現在たぶん84㎏くらいあります。

アキレス腱が切れたのも、この体重増加が大きな一因ではないかと睨んでおります。

20代前半は60㎏台前半だったんだから。

 

ま、そんな私の今の体重をですよ、

両足ですら悲鳴を上げてアキレス腱が切れた(決めつけてます)というのに、

片足にすべて委ねて大丈夫なんだろうか?という疑問が出てくるわけです。

 

だって・・・

なんだか左足のアキレス腱が痛いんです!!!

 

移動は最小限にしているつもりでも、

トイレで便座に座るときなどは、どうしても左足を軸に回れ右をしなければならないし、

ちょっとした方向転換はぴょんぴょんと跳ねてみたり、と

かつてないほど左足ばかりを酷使している。

 

で、この痛み。

で、恐ろしいことを想像しちゃうわけです。

 

『ねえ、この状態で左足のアキレス腱まで切れたらどうなるの?』

 

救急車→入院→手術、そしてオムツ生活は免れまい。

だって動けないんだから。

ベッド上での排泄って出るものなのかなぁ?

尿意便意が限界で、切羽詰まれば出るんだろうか。

・・・ってか

NO-------!!!

無理~~!ダメ!絶対!!

 

ということで、とにかく無駄に動かないことに決めた私。

左足のアキレス腱を優しく優しく揉みほぐしながら。

アキレス腱を切る少し前のこと。

那覇で有名なユタの方に見てもらったんです。

ずっと見てもらいたかったんだけど、なかなか予約が取れないほどの人に。

 

で、開口一番。

「あなた、車の運転する?」

と。

 

「はい」

と答えると

「う~ん、よくないね。車の事故、気を付けないと」

という。

「でも仕事柄、送迎業務もあるし、車通勤だし、運転しないと仕事にならないんですよね」

と答えると

「じゃあとにかく地元に帰ったら、近所で交通安全祈願で有名なところに行って、祈願とかお祓いとかしてもらいなさい」

と言われて帰ってきた。

 

で、4月18日(日)に交通安全のお札をいただきに行って、

20日(火)にアキレス腱断裂。

 

私はね、思いましたね。

『こりゃ、仕組まれたな』

と。

 

私の頭に思い浮かんだ光景はこうです。

ユタさんにお告げをした誰かさんと、交通安全祈願に行った先の神様が、膝を突き合わせて相談してる。

 

「で、どうしましょうかね」

「この人、絶対運転やめないね」

「そのようですなぁ」

「一度運転中に怖い思いをさせますか?」

「いや、それくらいで運転やめるタマじゃないでしょう」

「う~ん・・・じゃあ、痛い思いをさせるしかないかね」

「・・・そうですね」

「で、具体的には?」

「捻挫程度じゃききませんね」

「・・・骨折かな」

「だったら、アキレス腱くらいでどうですか?」

「おーそりゃいいね。ブチンとね」

「あれは一撃すれば簡単ですからね」

 

みたいな。

 

結果、私は見事一撃でアキレス腱を断裂し、運転不可能となった。

お二方の企みどおり。

 

もしもあのまま運転を続けていたら、自分のケガだけでは済まず、

第三者を巻き込んで大変な事故を起こしていたかもしれない。

下手をしたら誰かの命を脅かすほどの事故だったかもしれない。

そんな事故を起こしていたら、仕事も続けられず、メンタルもやられてしまっていただろう。

 

そんな状態から守って下さったのだ。

アキレス腱を切った事くらいなんなんだ。

逆に感謝だろ。感謝しかないだろ。

ありがとう。

私に目には見えない誰かと誰かと誰か。

ありがとう。

アキレス腱を切ってくれて。

ありがとう。

私が誰かの健康生活を奪うような事態から守ってくれて。

 

私はベッドの上で、そんな空想に浸っていた。

でもこの空想は、まんざら嘘っぱちじゃないような気がしてるんだ。

常に物事には両面がある。

ケガしたことは災難に見えるけれど、もしかしたらもっと大きな災難から守ってくれた福音だったのかもしれない。

 

ね。

そう考えた方が幸せだと思わない?

歩けない事の不便さを思い知る。

普通に歩けていた事のありがたさを知る。

 

冷蔵庫の飲み物を取り出すだけのことが、これほど重労働だとは。

松葉杖で冷蔵庫まで行く

    ↓

松葉杖を脇で挟んでドアを開け・・・ようとして、

自分が近づきすぎていて、自分が邪魔で扉が開かないことに気づく

    ↓

松葉杖を掴みなおし、半歩バックする

    ↓

松葉杖を脇に挟んでドアを開ける

    ↓ 

欲しい飲み物を取り出す  (たいてい欲しい場所にない。奥だったり下だったりする)

    ↓

片足立ちは辛いので座って飲みたい

    ↓

はて? どうしよう

 

飲み物を持ったら、松葉杖が使えないことに気づく。

椅子に戻ってゆっくり飲みたければペットボトルのドリンクをポケットに突っ込んで移動するしかないことを学ぶ。

(飲みかけの紙パックはコンビニ袋に入れて指に引っかければ可能だということは後で学んだ)

 

一事が万事、この調子だ。

結果、トイレと食事以外はベッド上で過ごすことに。

 

しかし大きな問題がもう一つ。

タバコだ。

一日に一箱のペースで吸っている私。

しかも吸うのはベランダと決めている。

しかし、このベランダに出るという行為がとてつもなく苦行なのだ。

なんなのこの段差。なんという体力消耗。そして片足立ちでの喫煙の落ち着かなさ。

これを1時間に1度は繰り返すのだ。

 

それに、だ。

タバコの買い置きは残り3箱。

 

苦難と苦悩の日々は続く・・・

 


 

タイトルも名前も全部変えて、再出発です。パフパフ~!

 

実はですね、4月20日にアキレス腱を断裂しまして、

現在ギプス生活を送っております。

いやぁ~本当に「ブチン!」って音がするものなんですね。

後ろから何かぶつけられたんじゃないかと思うっていうのも本当でした。

普通に振り返りましたもん。

ちょっと眉間にしわなんか寄せちゃって。

 

テニスをしてましてね、相手の返球が短くなったので、ちょっと前に出ようとした途端の「ブチン」です。

でもね、歩けるんですよ。

アキレス腱って切れても歩けるんですね。

歩けるし、自分で車の運転をして整形外科にも行かれたから、アキレス腱ではないと思って(願って)たんです。

自分で触ってみて、

「あれ?アキレス腱なくね?」

とはうっすら分かってはいたんですが。


でも、医者は秒でしたね。

「あ、アキレス腱切れてますね」宣告。

 

その場でギプスされて、翌日は大きな病院の整形外科へ行って、

即日手術の可能性もあるって言われてたから、入院準備もしていったんだけど、

「保存療法にしましょう」

と言われ、手術はせずに自然治癒を目指すことに。

 

上腕二頭筋の1本を切ったときも、今回のアキレス腱も、みんな保存療法。

ある程度の年齢に行くと、そっちを選択されてしまうのでしょうか?

「どうせアンタ、今からアスリートになるわけでもあるまいし、普通の生活が出来りゃいいんでしょ??」的な。

 

いや、そーですよ。その通りですけど・・・

 

というわけで、ギプスの日々。

仕事も休んで療養中。

 

そんな私の再出発。

どうかこれからもよろしくお願いいたします。

15時からモルヒネの投薬が始まった。

点滴でゆっくりゆっくりの投薬だ。

 

夕方、主治医に会えたときに聞いたところによると

「悪くなりすぎてからの投薬なので、いっぺんに入れちゃうとストンと逝っちゃう可能性があるんです」

とのこと。

 

悪くなりすぎてた、のか。

タイミングなんて分からないんだから教えてほしかった。

 

父はまだ意識はあった。

うなずくか首を横に振るかだけの意思疎通だが。

 

父の手を握った。

いままで父の手を握った記憶はない。

「ありがとう」

と口に出した。

誰もいなかったから、言えた。

2度も、3度も言った。

もう声は出ないけれど、伝わったと思う。

 

「ありがとう」が言えて良かった。

「ありがとう」を言わせてくれてありがとう。

仕事終わりに病院へ行った。

父は聞いたこともないようなうめき声を上げて苦しんでいた。

咳をするたびに顔を歪め、痛みと戦っている。

 

ナースステーションに何度も行き、

「咳止めもらえませんか」

「痛み止めを点滴してもらうことは出来ないですか」

「喀痰吸引をしてもらえないですか」

と訴えた。

 

看護師はイヤな顔することもなく、要求に応じてくれた。

 

帰り際、「また明日来るよ」と告げると、父はじっと俺の目を見る。

「帰るよ」と言うと首を横に振る。

え?と思い、

「まだもう少しいようか?いたほうがいい?」

と聞くと、なにも答えない。

 

もう一度、「じゃあ帰るよ」と言うと、やはり首を横に振る。

「じゃあ、まだ面会時間には間に合うと思うから、一旦家に帰ってばあさんも連れてこようか?」

と言うと、縦にも横にも振らない。

 

「わかった。じゃあ、連れてくるから。すぐに来るから。それまで頑張ってよ」

と告げて、病室をあとにした。

 

決して弱い部分を見せない強がりな父が、帰らないでほしいと訴えたことが衝撃だった。

今晩がヤマかもしれないと思った。

だったら是非、母には会わせてあげたい。

 

病院を出て、母の携帯に電話すると、叔母が出た。

今日から泊まり込みで来てくれているのだ。

「今、家のほうの電話で誰かとしゃべっちゃってるのよ」

と言うので、

「じゃあさ、伝えといて。今晩もう一回会っておいたほうがいいと思うから、病院に行ける準備をしておいてって。今から帰るから」

と言って電話を切った。

 

病院から自宅までの車の中で、

やっぱり姉にも伝えておいた方がいいかなと思い、

LINEで「可能だったら、今晩会っておいた方がいいような気がする」と送った。

 

しかし、なかなか既読にならないので、電話をしてみると

「もう、病院へ向かってる。みんなにも連絡してるから」

と言うではないか。

 

「どういうこと?」

と問いただすと

「危篤なんでしょ?」

と言うではないか。

 

「違うから!みんなって誰に連絡したの?」

と聞くと、長野の叔父だとか東京の親戚だとかいうではないか。

「違う!そんな話じゃないから。すぐに訂正の電話を入れてくれ!」

と電話を切った。

 

結局、病室には姉の家族全員と、母と、母の妹2人、と俺が集合してしまった。

姉の旦那はあからさまに迷惑そうな顔をしていた。

 

なんでこんなことになっちゃうんだ・・・

年寄りへの電話の難しさと、伝言を頼んだ自分の迂闊さを呪った。

 

みんなが集まってくれたからか、あるいは痛み止めが効いてきたからか、

父は少し元気になり、ずっと口から食べられなかったのに、プリンを1個平らげた。

それだけでも良かったと思おう。