マイケルの十三回忌。マイケル・ジャクソン「バッド」「アイル・ビー・ゼア」、プリンス「バットダンス」、クインシー・ジョーンズ、ジェームス・ブラウン、映画バットマン、THIS IS IT、つくられなかった別のバッド、永遠のライバル関係、ロック・洋楽・ダンス音楽。

 

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音路(37)世界は何が支えてる【5】
マイケルとクインシー【3】

バッド vs.バットマン ~ 十三回忌



前回コラム「音路(36)世界は何が支えてる【4】マイケルとクインシー【2】まさにオフ・ザ・ウォール」では、マイケル・ジャクソン、クインシー・ジョーンズ、ロッド・テンパートンの無敵のトライアングルのことや、アルバム「オフ・ザ・ウォール」と、楽曲「スリラー」のことを書きました。

今回のコラムでは、マイケルとクインシーがコンビでつくったアルバム三部作の最後を飾る、アルバム「バッド」のこと、当時、マイケル・ジャクソンの最大の音楽ライバルであったプリンスとの関係などについて書きたいと思います。


◇ライバルどうしの戦いが始まる

さて、マイケルとクインシーによる、アルバム「スリラー(1982年)」と、二人による次のアルバム「バッド(1987年)」の中間である1985年に、楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」がつくられます。

その2年ほど前の1983年、大御所の黒人ミュージシャンであるジェームス・ブラウンを挟んで、マイケル・ジャクソンとプリンスの戦いの火ぶたがきられました。

「♪ゲロッパ」のジェ―ムス・ブラウンさん…、なんてことを…。
マイケル、プリンス、いったい どうなっちゃうの…?

* * *

ここからのマイケルとプリンスの壮絶なバトルが、「ウィ・アー・ザ・ワールド」に影響を与えることになります。
結果的に、二人の戦いは、楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」では行われずに、マイケルのアルバム「バッド」と、プリンスのアルバム「バットマン」に引き継がれていきます。

楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」のスタジオ収録のお話しを書く前に、マイケルとプリンスの戦いについて、書ける範囲で配慮しながら書いてみます。
二人のそれぞれの伝記映画の実現までには、まだまだ月日が必要かもしれませんね…。

* * *

一応、下記のような動画もありますので、二人の戦いのきっかけ(?)に興味のある方はどうぞ…。
日本語訳がかなり雑なのは、自動の翻訳ソフトのせいだと思います。
ですが、おおよそ内容はつかめると思います。

マイケルとプリンス(動画)

 

ジェームス・ブラウンのイベント(動画)

 


このイベントでの、ちょっとしたプリンスの失態を、マイケルが言葉でなじってしまいます。
プリンスは、敏感で競争心の激しいタイプの人間でした。
その後、プリンスは、ある公衆の面前で、マイケルに演奏のふりをして仕返しをします。

それぞれが、公衆の面前で屈辱を味わうという「きっかけ」はあったにしても、マイケルとプリンスは、それぞれが持っていない、とびきり優れた別々の才能を持っており、それをそれぞれがしっかり理解していたのは間違いないと思います。
その時でなくとも、「きっかけ」は、いつかは生まれたかもしれません。

* * *

周囲の人間が「二人はライバルだ」と認める場合は、どういった分野でもそうですが、どちらか一方だけが実力が上の場合にはあまり起きませんね。
どう見ても実力差がある…、一方が相手をライバル視していない…、どう見ても両者が低レベルの競争をしている…などの場合も、世間的にはライバルとは認めませんね。
才能・実力・人気が、ハイレベルで同等のレベル…、それぞれがそれぞれに優位な面を持っていて、勝敗がつきにくいような場合の二人に対して、この言葉表現がされたりしますね。

この二人の場合も、それぞれしか持っていない才能や優位性が、しっかり認識されていましたね。
本人たちも、ライバルとして認め合うといった存在だったかもしれません。
それだけに、妥協することのない戦いの火花が散っていたようにも感じます。

ここでは、それぞれの音楽スタイルの優位性については書きませんが、皆さまがご想像しているとおりだと思います。

* * *

スポーツ界では、どの時代でも、あたり前のように、ライバル関係が存在していますよね。
この関係性が、それぞれをさらに高みに引き上げ、戦いが激しさを増していきます。
漠然とした、多勢の中からひとりだけが抜け出すというようなかたちではない、ライバルどうしの壮絶なバトルがそこにあったりします。

音楽家どうしの場合は、その楽曲のクオリティやセンス、演奏やパフォ―マンスの技能や刺激度、売上数、観客動員数、人気などということになりますね。
ミュージシャンで多いのは、「あいつが、あんな曲でヒットするなら、オレは、この曲をヒットさせてやる…」ですね。
そして、音楽性では絶対に相手に引けをとらないと情熱を燃やすことです。

相手が人気のエリートなら、オレは成り上がりの雑草魂だ…。
昔、日本のプロ野球界でも壮絶なライバル関係がありましたね。
長島、野村、王、村山、江川、西本、桑田、清原、松坂、上原…、みな強力なライバルがいましたね。
イチロー、野茂には、また違った壮大な敵がいました。

米国の音楽界の成功者は、エリートか、たたき上げか、両極端のタイプが多いかもしれませんね。
そして、そこにはたいてい、強力なライバルがいました。


◇強力な援軍

マイケルにとって、クインシー・ジョーンズは最大の援軍です。
周囲の多くの味方(家族・兄弟)に支えられ、小さい頃からエリートコースで、ダンスも歌も上手な天才マイケルと、たたき上げの成り上がりで、楽器を多彩に使いこなす孤高の天才プリンス…、そんな様子を思い浮かべます。

プリンスは、比較的、孤高のアーティストのように思われますが、心を許したミュージシャン・ファミリーをつくっていきましたね。
自身のつくった曲を、多くのお気に入りのミュージシャンたちに提供し、人数は増えていきました。

プリンスは、自身の中に、さまざまな音楽性を備えていましたが、音楽の吸収力がすごく、どのような音楽スタイルでも飲み込んでいってしまうような面も持っていましたね。
他のミュージシャンに提供した曲も、彼らに合わせた内容に仕上げていきました。

プリンスのサウンドは、出身地のミネアポリスの音楽環境にも深く影響されており、プリンスのサウンドは、他の米国都市とは区別して「ミネアポリス・サウンド」として花開いていきましたね。

米国には、このように特定の都市を中心に、固有の「サウンド」が形成されていくことがあります。
日本でいえば、大阪、福岡、北海道、東北、沖縄など…その地域性を感じるような音楽サウンドですね。

* * *

実は、マイケルにとってのクインシーに似た存在が、プリンスにもいました。
マイケルとクインシーの関係とは少し違い、こちらは険悪になりますが、プリンスというミュージシャンは、その人物がいなかったら生まれていなかっただろうというミュージシャンがいます。

そのミュージシャンがまた、プリンス以上の、ものすごい「たたき上げ」で、自由奔放、豪快なロックスターそのもの…。
私には、プリンスの姿の中に、彼の姿が生き続けています。
でも、音楽性では、プリンスは彼を追い越していきました。
そのお話しは、また別の回で書きます。

* * *

マイケルとプリンス…、バックボーンが違っていたとしても、それぞれを支える援軍がしっかりいました。
ただ、それぞれのスターを上手に利用しようとする、ビジネス界の人間たちもたくさんいました。
特に、マイケルは、後にマスコミの格好の餌食となります。
ある意味、もはやライバルのプリンスにかまっている暇はない…周囲が敵だらけ…。

二人に近い周囲の人間たちは、この二人が、利用され過ぎ、それぞれが孤独に陥ったときの危機感を感じていました。
援軍の支えを失った時、人は孤独に陥りやすくなるものですね。
孤独から立ち直り、再出発しようとしたときには、もはや身体がついてこないかもしれません。

この二人は、生涯、援軍どうしにはなることはなく、ライバル関係のままでしたが、関係性が少し違っていたら、良き援軍になれたのかもしれません。
共演作品をつくることもできたかもしれませんね。

楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」の収録スタジオに、この二人が並び立つ光景は生まれませんでした。


◇つくられなかった、別の「バッド」

さて、以前のコラムで、マイケルが、自身の楽曲「バッド」で、プリンスとの共演を考えて、行動をとったと書きました。
先ほど、二人のバトルのことを書きましたが、その最中でのことです。
結果的には、共演は実現しませんでした。

* * *

それにしても、その楽曲のタイトルが「バッド(悪:わる者たちの悪のこと)」とは…。
もしこの曲の歌詞が、プリンスへの挑発というのが本当なら、マイケルも相当なものですね。
やはり仕返しだったのか…?

受けて立つプリンスの姿も見てみたかった…。

* * *

音楽ファンならずとも、クインシー、マイケル、プリンスによる共同制作の楽曲「バッド」を聴いてみたかった…。
プリンスのことですから、歌とギターで参加したでしょう。

大御所のジェームス・ブラウンでさえ、二人の険悪な関係の仲介はできなかったのだろうと思います。
楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」の収録は、関係改善のチャンスだったのかもしれません…。

ひょっとしたら、楽曲「バッド」も、挑発でありながらも、関係改善の糸口になったかもしれません。
ですが、交渉の末、プリンスは断りました。


◇ザ・ビジネスマン

マイケルも、プリンスも、優れたトップミュージシャンというだけでなく、ビジネスマンという側面も持っていましたね。
巨額の富を使って、音楽だけでなく、さまざまなビジネスも展開しました。

特にプリンスは、ビジネスの先見性があり、80年代にすでに、音楽配信ビジネスをかなりイメージしていたように感じます。
いつかは、レコードやCDなどのパッケージ商品での多大な収益は見込めないと、予想していたかもしれません。
音楽のストリーミング環境も予測していたかもしれません。
ミュージシャンは、いつか演奏プラスアルファで稼ぐのが中心になると、予測していたのかもしれませんね。

ただ、当時としては、ビジネス展開するには時期が早過ぎで、上手くいったとはいえません。
彼は、自身の音楽だけでなく、いろいろな新しいビジネス手法に挑戦する、試してみるという改革派タイプでしたね。

* * *

一方、あくまで私の印象ですが、マイケルのビジネスは、巨額の資金を使って、少し荒っぽいビジネスをするタイプにも感じます。
彼は、ある意味、ロックスターにありがちな浪費家の側面も少しありましたね。
慈善活動にも熱心でしたが…。

ビートルズの楽曲の権利に絡んで、大企業や、ポール・マッカートニーと、相当な戦いを起こしたりもしましたね。
ビジネス上の政敵をつくりやすい面もありました。
マイケルは、あのままだったら、いずれ破産したであろうともいわれています。
でも、すぐに稼いで穴埋めするでしょうが…。

実現しなかった、彼の世界コンサートツアーは、そのきっかけだったはずです。

プリンスは先見性はあるが独善的で早過ぎ…、マイケルは荒っぽく支配的…、ビジネス面において、私はそんな印象を持っています。
マイケルは、幼い頃から大スターでしたから、いたしかたないかもしれません。

* * *

私は、今も、米国が音楽ビジネスでも音楽著作権でも、世界の先端を走っているのは間違いないと感じます。

米国の音楽界は、権利を上手くコントロールしながら、しっかり若い世代にもアプローチし、世代間ギャップを埋め、次の時代にも大きなビジネス市場がつくれる可能性をつなげていますね。
若者世代の多くが、しっかり昔のスタンダード曲や、他分野の楽曲を理解しています。

こうした取り組みは、音楽界だけでなく、米国のすべての米国経済ビジネス界に共通するものですね。
一定の世代が、今あるビジネス市場を独占し続けるのではなく、次世代が、いろいろな分野で、大きなビジネス市場を新たに生み出していけるような環境を自国内に残していく姿勢がそこにあります。
だからこそ、米国は常にナンバーワンのビジネス大国であり続け、新産業でも出遅れることはありません。
新しい人材も次々に登場してきます。
可能性とチャンスをつくる「投資の国」と、「貯蓄の国」の違いでしょうか…、どこかの国とは、かなりアプローチ方法が違いますね。
金だけで危機は乗り越えられません。

日本は、世界の音楽ビジネス界の先端を走る必要はないと思いますが、あまりにも置いていかれないでほしいですね…。
日本の次世代にも、可能性とチャンスを…。

* * *

さて、二人とも、本業はミュージシャンでありアーティストでしたから、ビジネスには何人かのブレーンがいたでしょう。

マイケルが、楽曲「バッド」に、プリンスを引き込もうとした理由は、さまざまにあったと思われますが、さすがに、プリンスのビジネス感覚はするどく、マイケル側の思惑を見抜いたのかもしれません。

プリンスが、マイケル側の打診を断る際に、次のような主旨の言葉を残しています。
「安心していいよ。私のチカラがなくとも、この曲は大ヒットするよ」。

この言葉は、あまりにも深い意味が込められており、さまざまな解釈が可能ですね。
多くの交渉が行われたと推察できます。
このコラムでも、二人がそうであったように、これ以上の解説や言及は、あえてしないでおきます。

ただ、一般的なビジネス感覚から推測するに、予測できそうなプリンス側への多大なダメージを回避し、二人のこれ以上の関係悪化と、マスコミの暴走を食い止めようとしたのだろうとも思います。
プリンス側は、スマートに、静かに、さらりと受け流したのだろうと感じます。

実際には、「バッド」の歌詞の差し替えなどでの交渉が行われており、一定段階までは進んだと思われます。

マイケル側も、プリンスが断ってくることを、百も承知だったのかもしれません。
マイケル本人はわかりませんが、マイケル側に、プリンス側と「これからは仲良くやりましょう…」という姿勢はまったく感じません。
一部の人たちは、プリンスが断ってくれて、本当はホッとしたかもしれません。

ライバル関係は、暗黙であったりすることも多く、実弾が飛び交うような戦いは稀です。
本人どうしだけなら、そうそう激しい戦いにはならなくとも、周囲の大勢が関わった時点で、大戦争に発展することも少なくありません。

マイケルも、プリンスも、一見 派手な見た目で、言動も華やかで大胆ですが、物事を非常に深く細かく考え、配慮し、言葉を選ぶミュージシャンでしたので、この時も、非常に優れた高度な判断をしたのだろうと思います。

これ以上の、激しい戦いを避けたのかもしれません。
マスコミは望んでいたでしょうが…。

* * *

マスコミや音楽ファンは、二人の共演を見たかったとは思いますが、さすがに、戦いや交渉に手慣れた米国のビジネス業界のようにも感じました。
両者とも、なかなかのものたちですね。
「面白いもの」が出来上がれば、何が起きてもいいというものでもありませんね。
さすが、多くの荒波を乗り越えてきた両者です。

二人のスーパースターに、実害や犠牲が出ない、いい意味の、ライバル関係・音楽対決は続くことになります。

* * *

この時期の二人の音楽アルバムの歴史です。

1979年 マイケル「オフ・ザ・ウォール」
1982年 マイケル「スリラー」、プリンス「1999」
1984年 ジャクソンズ「ビクトリー」、プリンス「パープル・レイン」
1985年 マイケルほか「ウィ・アー・ザ・ワールド」、プリンス「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」
1986年 プリンス「パレード」
1987年 マイケル「バッド」、プリンス「サイン・オブ・ザ・タイムス」
1988年 マイケルの映画「ムーンウォーカー」、プリンス「ラヴ・セクシー」
1989年 プリンス「バットマン」
1990年 プリンス「グラフィティ・ブリッジ」
1991年 マイケル「デンジャラス」
…さらに続きました。


◇バッド ~ Who's Bad ?

さて、マイケルの楽曲「バッド(1987年)」の、スピード感・リズム感のある、それでいて悪党感いっぱいのサウンドも、クインシーでなければ、まず生まれてこなかったでしょう。

クインシーの楽曲「アイアンサイド」(コラム「音路35.世界は何が支えてる【3】で紹介)に似た雰囲気が、「バッド」の中にもありますね。

最後の殺し文句「フーズ・バッド ?(Who's Bad ?)」の台詞は誰のアイデアなのでしょう…。
ここも「鬼警部アイアンサイド」のクインシーか…?

* * *

もし、プリンスが、楽曲「バッド」で共演していたら、どんなサウンド…、どんな映像…、になったのでしょう?
クインシーは、プリンスをコントロールできたでしょうか…?

本当なのかどうか真偽はわかりませんが、プリンスは、後にこんなことを語りました。
「バッド」のミュージックビデオに登場する俳優のウェズリー・スナイプス(三人の相手ギャングの中央の黒人)の役は、オレ(プリンス)だったんだよ…」。
配役のことなのか、オレ(プリンス)という存在のことなのかは、よくわかりません。
もし役者としての登場が本当なら、ミュージシャンでの演奏シーンならともかく、プリンスは複雑な心境になるかもしれませんね…。

クインシーは、言ったかも知れません。
マイケルとプリンスの二人の関係…、「フーズ・バッド(Who's bad):悪いのはどっちだ? 本当の悪は誰だ?」。

* * *

下記の動画「バッド」には、楽曲の前後にストーリー映像があります。

ここでは、さまざまな格差社会の中に渦巻く「悪」が描かれています。
強者は弱者から搾取し、社会的弱者の中には武器にものを言わせる者もいます。
でも悪の巣窟にも、夢や希望はあるはず…。

中途半端な悪い者たちよ…、本当の悪を知っているのか…。
本当の悪を見せてやる…。
本当の悪はだれだ…?

世界は変えられる…。

この動画では、最後に、マイケルとウェズリー・スナイプスが握手して別れます。
プリンスが語ったように、スナイプスの役をプリンスが行っていたら、それはそれで、とても素晴らしいシーンだっただろうと感じます。

マイケルは、表向きには、プリンスを、敵対する強力なライバルとして扱っていましたが、心のどこかでは、スターどうしでわかりあえる…自身と同じ側の人間だと思っていたのかもしれませんね。
私には、彼らの心の底や、共演依頼の真意までは、わかりません。

本当の悪に立ち向かうマイケルの姿…
♪バッド


◇映画「バットマン」と、「バットダンス」

マイケルの楽曲「バッド(1987年)」での共演を断ったプリンスは、その2年後、冗談のような話しですが、映画「バットマン(1989年)」のサントラをつくります。
「バットマン」は、自身の中に闇を抱えた米国のヒーローですね。
「悪(わる)」ではありませんが、心に「闇(やみ)」は抱えています。

「バットマン」の物語には、バットマンの宿敵ジョーカーが登場します。
1989年の映画「バットマン」では、俳優のジャック・ニコルソンが演じましたね。
このジョーカーは、「Clown Prince of Crime(犯罪世界の道化王子)」とも表現される「悪のプリンス」です。

* * *

私は、当初、プリンスが、この映画のサントラを引き受けたことが不思議でなりませんでした。
その時に、この映画の映像世界を見ていたとも思えません。

映画監督のティム・バートンと、俳優のジャック・ニコルソンが、プリンスのファンだったからといって、彼がすぐに、コミックヒーローものの映画のサントラを引き受けるでしょうか…。

ただ、背後に、マイケルとの猛烈なライバルどうしの戦い、「バッド」と「バットマン」、「悪のプリンス」といった映画内容があったことが、彼が引き受けた理由の中にあってもおかしくはないと、私は感じています。

* * *

下記の主題歌「バットダンス」の映像と歌詞…、マイケルへのものすごい挑発に見えなくもありません。
そもそも、なぜ、タイトルが「バットダンス」などというダンス曲なのか…。

下記の「バットダンス」の動画では、冒頭の笑い声といい、墓場のような場所といい、集団のダンスといい、まるでマイケルの「スリラー」への対抗のよう…。

マイケルの楽曲「スリラー」の最後部は、男性の高らかな笑い声で終わります。
「バットダンス」の冒頭には、その笑いをさらにあざ笑うような、男性の異様な笑い声で始まります。
プリンスの道化の表情も、挑発そのもの…。

マイケルの「スリラー」への、プリンスからの宣戦布告だったのかもしれません…?
楽曲「バットダンス」の最後は、プリンスが笑い声を強引にストップさせます。

「バットダンス」の映像には、バットマン支持派の女性軍団が登場します。
マイケルの映像にはほぼ描かない、プリンス得意のセクシー路線も盛り込んできましたね。

「バットダンス」は、プリンスの作詞作曲ですが、この歌詞は、マイケルへの挑発と解釈できないこともありません。
歌詞の中の「バットマン」という名称は、いったい誰のことを言っているのでしょう…。

プリンスの楽曲は、こうした暗に何かを指し示すような表現が非常に多かったですね。
さすがプリンスです。


◇「enema」と「butt」

マイケルも、プリンスも、歌詞の中に、二重、三重の意味を込めているものが、非常に多かったですね。

皆さまも、もしご興味がありましたら、マイケルの楽曲「バッド」と、プリンスの楽曲「バットマン」の歌詞を読んでみてください。
それぞれの人物をイメージした、挑発曲と考えても不思議はない気がします。

本コラムでは、歌詞和訳を紹介することが多いのですが、「バッド」と「バットダンス」については、世の中に、あまりにもたくさんのタイプの和訳があります。
それだけ、解釈によって和訳が異なるということです。

機会がありましたら、皆さまも、自身の和訳歌詞をつくってみたらいかがでしょうか。
ひょっとしたら、英語、米国の社会問題、二人のライバル関係が、よくわかってくるかもしれませんね。
でも、プリンスの楽曲の歌詞は、青少年の教育上ちょっと…。

* * *

「バットマン」の歌詞は、「意味深」過ぎて、クラクラしてきそうです。
「バットマン」のことだけを表現するのに、このような歌詞に、はたして なるでしょうか…?

バットマンの歌詞の中に、「enema(エネマ:かん腸の意味)」という用語がどうして必要なんだ…?

なぜって…マイケルが楽曲「バッド」の中で「butt(バット:お尻の意味)」と言ったから…?
それなら「バットマン」だ!

「バットマン」は、まさかの「カンチョウ尻男」…。
私のほうが、ちょっと強引かな…?

お食事中の方…ゴメンナサイ。
でも、この用語問題は、実際に、マイケル側とプリンス側で、大モメした部分のひとつです。


◇バットダンス

実は、先ほど書きました、楽曲「バッド」のマイケルと同じで、バットマンは社会の悪と戦うヒーローです。
プリンスは、同じ方向性であることをマイケルに示したと考えられなくもありません。
楽曲「バットダンス」は、マイケルの「バッド」への、いい意味での返答であったのかもしれませんね。

♪バットダンス

 

マイケルとプリンスは、暴力や訴訟などではなく、ハイレベルの音楽で壮絶なバトルをしていたといっていいのかもしれません。
音楽作品での戦いなら、周囲は大歓迎。

ハイレベル過ぎて、何だか笑ってしまいます。
「悪」でも、「尻」でも、「こうもり」でも、「かん腸」でも、何でもいいです…。

この戦い方なら、平和的で、文化的…。
競争心は、創造性をも成長させる…。

マイケルにはプリンス…、クインシーにはモーリス・ホワイト…、やはり、強力なライバルがいることは、非常にいいことですね。
壮絶なバトルが、アーティストたちを、さらに「高み」に導きますね。


◇永遠のライバル ~ アイル・ビー・ゼア

マイケル・ジャクソンは、1958年8月29日、米国インディアナ州の小さなゲーリー市(シカゴから南東約50キロメートル)に生まれました。
彼は、故郷のゲーリー市に、大型の芸術劇場を建設する考えでしたが、実現はしませんでした。
彼が今年 生きていたら、63歳です。

彼は、2009年7月13日から2010年3月6日まで、英国ロンドンで、全50公演のライブ「This is It」を予定していました。
おそらくその後に、数年かけて世界各地を回ったでしょう。
彼の言葉を借りれば、それは彼の最後の世界ツアーだったかもしれません。

リハーサルが重ねられている中、直前の6月25日に、マイケルは急死します。
享年50歳。
そのリハーサル風景は映像に残され、その後、大ヒット映画「THIS IS IT(ディス・イズ・イット)」になりましたね。

* * *

本コラムの最後は、彼の「ジャクソン5」時代の大ヒット曲「アイル・ビー・ゼア」をとりあげます。

「ジャクソン5」のことは、コラム「音路(35)世界は何が支えてる【3】マイケルとクインシー【1】ビート・イット」でも書きましたが、1969年にデビューし、リードボーカルはマイケルでした。

1970年には楽曲「アイル・ビー・ゼア」が大ヒットします。
当時、マイケルは 12歳。
日本でいえば、小学6年生か中学1年生です。

下記の動画では、その曲にのせて、1970年から2009年までの彼の姿を見ることができます。
♪アイル・ビー・ゼア

 

12歳のマイケルの声と、日本語訳のついた動画です。
♪アイル・ビー・ゼア

 

この楽曲で、マイケルは、「I'll be there(その場所に僕はかけつけるよ)」と歌っています。

今はもう、彼の身体は、私たちのところにはやって来てくれません。
でも、彼の魂は、変わらず、その場所にいるのかもしれませんね。

* * *

マイケルの死後、クインシー・ジョーンズは「弟を亡くした」と語りました。

あのプリンスは、次のような主旨のことを言います。
「愛する人を亡くすのは、いつだってつらいものだ…。(略)マイケルは小さい頃から(スターとして生きてきて)相当に苦労しただろう。そんな話しを、もっと彼としたかった」。

私の印象では、マイケルの死後、プリンスは何か精彩(せいさい)を欠いていたように感じます。

* * *

プリンスも、マイケルと同じ1958年の米国生まれです。
マイケルの死の7年後の2016年に、マイケルと少し似たようなかたちで、プリンスは死亡します。
享年57歳。

今度は、天国で、二人はバトルしているのかも…。
あるいは、二人でよく話をしているのかも…。

〔マイケル〕
「プリンスよ…、バッド(悪:わる)の決着をつけてやる。 THIS IS IT(さあ、いよいよ、最後にここで決めてやるぜ)!
でも、最強のライバルだったアンタなら、わかるだろ…オレの気持ち」。

〔プリンス〕
「マイケルよ…、オレは、あのバットマンだぜ!」。

永遠のライバルは、二人とも、あまりにも早世…。
そこまで競わなくても…。

下記の動画は、2009年のリハーサル中の、死の直前のマイケルです。
12歳の頃とまったく違う、大人のマイケルの歌声です。
ここで兄弟たちの名を呼ぶなんて…。

♪アイル・ビー・ゼア(2009年)

 

◇Who's Person ? ~ その人物は誰

今回のコラムで、マイケルとクインシーの関係のお話しは終わりになりますが、1982年に、多くのミュージシャンを集めて、つくり上げたアルバム「ドナ・サマー」の実績や、マイケルとの仕事ぶりを評価され、プロジェクト「USAフォー・アフリカ」でも、クインシー・ジョーンズに白羽の矢が立ったのかもしれません。
こんなクインシーだからこそ、「ウィ・アー・ザ・ワールド」をつくれたのですね。

1985年の、あの楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」は、誰でもつくれる音楽だとは、到底思えません。
他の誰でもなく、「クインシーとマイケルが、そこにいた」ということなのでしょう。

プリンスにも、事前にこの楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」のテープが渡されており、彼に言わせたら、「この曲は好きじゃない…」でしたが、本当はどのように思ったでしょう…?

〔プリンス〕
「あいつ…、またクインシーと一緒に、やりやがったな」…?

* * *

マイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズ…、この二人が、世界の音楽とダンスの一時代を支えたのは間違いないと感じます。
この二人が残してくれた名曲の数々は、永遠に聴き継がれていくのでしょう。

名曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」の音楽世界を、誰ならつくることができたでしょうね…。

Who's Person?

* * *

マイケルの命日(6月25日)が近づいてきました。
2009年に永眠してから12年です。
日本的に言えば、「十三回忌」。

マイケルのことは、ずっと忘れません。

You'll be there.

* * *

次回コラムは、いよいよ「ウィ・アー・ザ・ワールド」の「THIS IS IT」である、スタジオ収録当日のお話しです。

コラム「音路(38)」につづく

 

2021.6.20 天乃みそ汁

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