コロナ禍での感動エピソード。上杉鷹山。人を動かすもの。情報が伝えること。テレビができること。NHKができること。新型コロナを乗り越える。テレビ朝日の「大下容子のワイドスクランブル」。

 

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人を動かすもの ~ コロナを乗り越えよう


◇感謝を感じる映像

本日(2021年1月8日)の昼頃、私は、たまたまテレビの前を通りかかり、放送中の変わった映像に足が止まりました。
コロナ感染者の病室と思われる部屋で、ベッドの上でバイオリンを弾く男性患者の映像でした。

すぐに音声を大きくしてもらい、その映像を見ることにしました。
医療器具のパイプ類がつながった病人が弾くバイオリン演奏ですので、たどたどしさはありますが、素人とは思えない演奏です。

ナレーションでは、その男性は、あるオーケストラの演奏講師で、コロナ感染し入院していたと語っています。
自身に献身的な医療活動を行ってくれた、その病院の医療従事者に、感謝の気持ちを込めて演奏をしている映像だったのです。

医療従事者の方々は、彼のこの行動にたいへん感動し感謝し、普段の過重な医療活動による疲労を、一時的にでも忘れることができたでしょう。
新たな勇気や使命感を持ったと思います。

 

私は、コロナ感染したこの音楽家のバイオリン演奏を見て、涙が出ました。

人を助けられるのは医療だけではなく、音楽も絶大なチカラを持っているのだということを、まざまざと感じさせてくれました。

医療従事者が患者を救い、患者が医療従事者を救う…。

すべての手段を使って、命を救ってほしいと思います。


その後、彼は無事に退院していきました。

* * *

私は、この映像部分からテレビを見始めましたので、この先に他の話題があったのかもしれません。

この映像は、テレビ朝日のテレビ番組「大下容子のワイド・スクランブル」というお昼のワイドショーの中のひとつのコーナーで、外国のテレビ放送映像の中から面白いものを紹介する内容の一部でした。
今回は、コロナ禍の中での「感動するいい話」というテーマでしたが、まさに、そのとおりでした。

個人的な思いですが、大下容子さんは、人に何かを伝えることのできる独特な個性やチカラを持った、テレビ界で稀有な女性であるように感じています。
番組名に名前が入るのは当然だろうと思います。
これから先も、長く活躍されると感じます。
今回の放送内容も反映しているのかもしれませんね。


◇世界一のクリスマス料理

この番組コーナーでは、このバイオリン演奏の映像の後に、もうひとつ感動的なエピソードが紹介されていました。

コロナ禍の中の、外国のクリスマスでのお話しです。
遠い地に一人で暮らす、若干の認知症の父親のもとを、クリスマスにも関わらず訪れることができず、クリスマスを一緒に過ごすことができない、娘家族がいます。

日本の年末のような「宅配おせち」や「デリバリー料理」などがあるわけでもなく、父親ひとりの寂しいクリスマスを心配した娘が、SNSを通じて、何とはなしに、そんな心配の気持ちを吐露したことで、その父親の近所の方々が、彼女の気持ちに応えようと反応したのです。

近所に暮らす方々が、その一人暮らしの父親のもとに、温かな食事をクリスマスの日に届けたのです。
その父親は、満腹になるほどの素晴らしい料理を味わうことができました。

まさに、これほどたくさんの人たちの愛情が込められた「クリスマス・プレゼント」はありませんね。

それまでは見ず知らずだった人たちも含め、これだけ温かい瞬間が生まれるとは、クリスマスとは、どれほどのチカラを持っているのでしょう。

私は、「そうか、SNSは、こうした使い方ができるのか。こうしたチカラを持っているのか。SNSとは、どこかからのプレゼントであり、愛をも生み出すツールなのか」と実感しました。


◇テレビができること

今回、私は、コロナ禍で、緊張を強いられるニュース、不安を抱くニュースが多い中、非常にほっとする話題を目にすることができました。

実は、お昼のテレビ番組には、こうした内容も時々あるのですが、夜の7時あたりからの数時間の「ゴールデンタイム」にはほとんど放送されません。

こうした内容を、夜のゴールデンタイムになぜ放送しないのか…。
ゴールデンのお笑い芸人が、この映像に気の利いたコメントや笑いなどとらなくても、涙ぐんだ表情のひとつも見せてくれたら、それで十分に役割は果たした気もします。
いつもおかしな表情で笑わせる芸人が、涙ぐむ顔も悪くありません。
夜のニュース番組のしっかりとした司会者の表情では、なかなか伝わりにくい内容でもあります。
テレビタレントや、ネットではないテレビ放送の、「存在価値」の見せ場でもある気がしますが…。

こうした内容は、「ゴールデンタイム」で採用する価値は十分にあると感じます。
日本の各地にも、同じような内容のエピソードがある気がしますね。

* * *

今のコロナ禍の中、私は、今のテレビ放送内容に満足できない内容が多々あります。
私の周囲にも、同じ思いの方がたくさんいます。

もはや、どこかから発表される内容や、状況を客観的に伝えるだけでは、物事は進まない気がします。
各放送局が、自身たちが行えること、社会の役に立てると思うことを、各局がしっかり行動で示す時期にある気がします。

民放であれば、一社で難しいのなら、各局共同のかたちで、コロナに立ち向かうのでもいいと思います。
それで離れるスポンサー広告企業がいるのなら、引き止める必要はないかもしれません。
その企業名を公表するまでもなく、そんな情報はすぐに株式市場やマスコミに伝わり、評価を受けます。

* * *

毎日、夜の一定時間に、コロナの正確な感染状況を伝える、各家庭で行えるコロナ対策をしっかり伝える、そんな放送時間帯があってもいい気がします。
そこでは、さまざまな背景を持つコメンテーターや学者を配置せず、客観的で正確な情報のみを流してほしいです。
その時間帯以外は、各社で独自色のある番組を制作すればいいような気もします。
むしろスポンサー広告企業は、その時間の取り合いになるかもしれません。

高齢者は、たいてい、テレビ放送をそうそう長時間 見ることはありません。
でも、決まった時間帯に、必要な情報を得られるとなれば、ほぼテレビやラジオのスイッチを入れると思います。
まだ、今の段階では、中高年層にネット情報の信頼性は薄いものです。

テレビ業界は、この社会的ピンチを、自身の存在価値を示すチャンスだととらえて、新しい一手を創造してほしいと感じます。


◇情報が伝えること

それから、各県や各市の行政自治体も、各地の放送を、毎日、一定程度確保し、その地域の病院体制、保護施設の状況、連絡先、緊急時の行動などを、各地の住民に、自らのクチでくわしく伝えてほしいと思います。

地元の放送局に任せておけばいいという段階は過ぎた気もします。
記者会見は、あくまで会見です。

* * *

「その地域の中核病院の医療体制が緊急事態なので、周辺の小規模民間病院や関係施設は協力してほしい」などと、毎日、大きく放送を流せないのでしょうか。
もはや、ベッドの数だけがあればいいという段階ではありません。

一部の地域では、医療や看護の学校の学生たちの動員も開始し始めたようですが、これにはその家族の同意も必要かもしれません。
試験や卒論などへの配慮も必要です。

地元の小さなFM放送局や有線放送、自治体が各所に直接 呼びかける程度では、効力は発揮できません。
社会地域全体が、それを理解し、支援するかたちが必要かもしれませんね。

皆さま…、もっとも近い中核病院が、今どのような状況にあるのか、把握されていますか…。
山間地の農村の方々…、緊急時の医療行動を考えておられますか…。
地方には、中核になる先進医療病院すらない地域もあります。
東京都内のある区では、壁を取り払い、急速に連携体制を組み始める地域も出てきたと聞きます。

* * *

特定の小規模病院や機関が、中核病院に協力しているということを、市民や区民が知れば、市民はその協力機関を支援しようという動きにもつながるかもしれません。

中核病院の周辺住民や企業なら、医療従事者への住まいや食糧などの支援も開始するかもしれません。
その地域の不動産業界が団結して、空き物件を、一時的な医療施設に提供する動きを示すかもしれません。
小さな島の住民であれば、漁業関係者が、緊急時の民間漁船の使用も考えてくれるかもしれません。
救急車が足りないのなら、止まっている路線バスを緊急的に使ってでも、患者を搬送できるかもしれません。
病院が足りないのなら、緊急的な病院船を各港に準備できないのでしょうか。

とにかく、世の中に「情報」が上手く流れていない気がします。

* * *

今、「自分でやれることは、すべて やってしまった…。後、どうすれば…」という街頭インタビューをよくテレビで見ます。
私は、これには、まだ余地が残っている気がしてなりません。

「やれる」ことがあることに気がついていない場合もあるでしょう。
さらには、誰かが、自身を何かで後押ししてくれたら、「もう少し、やれる…」という意味合いも含んでいるとも感じます。

何かの「後押し」のチカラ…。
そして、資格や専門知識を持っていなくとも、人は人を助けられる場合もあるとも感じています。
今の日本には、何かが足りていない気がしています。

世の中には、停電になって初めて暗黒の恐怖を知り、それにおびえながら夜明けを待つ人と、その暗黒の恐怖に備え、懐中電灯を準備する人に分かれると、よく言います。

今のコロナ禍で、「情報」とは、「懐中電灯」にほかならないと感じます。


◇人を動かすもの

誰もが知っているように、NHKは、日本中に支局があり、数万人という社員を抱え、絶大なチカラを持っています。
心身にさまざまな良い効果をもたらす番組、大上段から社会論や政治論を語る番組、情報や出来事をしっかり伝える番組も、当然 必要ではあるでしょうが、さらに社会機能の一部として行えることは、たくさんあると感じています。

地震や台風などの災害時は、NHKの24時間体制のありがたさを国民は身に染みてわかっていますが、今回は大災害級の惨事でもありますので、今、コロナを制御できる最後のチャンスだと思って、NHKには最大限のチカラを発揮してもらいたいと思います。

NHKが行えることは、まだまだ山ほどあるはずです。
NHKは、国民の多くを動かす「チカラ」を持っているのは間違いないと思っています。
民間にはない、国民の「後押し」をできるチカラを持っていると、私は思っています。
今こそ、「紅白歌合戦」に注ぐほどのチカラを、独自のチカラで「コロナ対策」に結集してほしいと感じています。
自らのチカラで「NHKの未来」を築き、そして「日本の未来」を後押ししてほしいと思っています。
「N」の文字は、日本(にっぽん)の「N」であることを忘れないで…。

* * *

首都圏で「緊急事態宣言」が再発されました。

首相のあの会見…「…以上をもちまして、私の挨拶に代えさせていただきます。」は、各所からさまざまな論評がされていますね。

今の内閣は、江戸時代の米沢藩主で、世界的にも日本の優れた政治家としてよく知られ、米国のジョン・F・ケネディ元大統領も尊敬した、政治家の上杉鷹山(うえすぎ ようざん)の政治思想を引用するかたちで、あの三つの「助」を掲げています。

志(こころざし)や理想はよくわかりますが、今は、鷹山のように、一定程度の犠牲を覚悟しカバーしながら、迅速に行動し全体としての結果を出すことが求められているように感じます。

* * *

私も、かつて、多くの他者のスピーチ原稿を書きましたが、どんな内容を書こうとも、必勝を誓う宣言文のような内容を書く時に、「挨拶に代えさせていただきます」と書くライターは絶対にいないと思います。

「私の挨拶」という、他人には傍観的にも見える、弱気な気持ちを聞かされて、新たに協力行動を起こす人がどの程度いるでしょうか。
「これから、これを行うから、私の政府についてきてほしい…」くらいでないと、誰もその気にはならないかもしれません。
逆に、傍観や弱気、バランス競合の姿勢を見せると、自身の政治的対抗勢力を助長させることになる場合も多くあります。
もし、ここから挽回したら、鷹山の功績にも負けない「大逆転劇」かもしれません。

本コラムは、基本的に歴史コラムですが、強い戦国武将たちは、ここぞというときの「檄文(げきぶん)」は、すさまじい内容です。
ある意味では、その言葉に酔って、その言葉の通り、周囲の人は突き進みます。
先般の、米国議会へのなだれ込み死亡事件につながった、米国大統領のある意味「誘導(?)演説」は、すさまじい内容でしたね。
あの言葉がなかったら、あそこまで暴動が発展していなかっただろうと思います。
彼は、米国内だけでなく、世界中に相当な数の敵を作ってしまったのかもしれません。

* * *

「…以上、私の挨拶」よりも、むしろ、ベッドでバイオリンを弾く行動をした感染患者や、その患者の気持ちに応える医療従事者、食事を一人暮らしの老人宅に届ける映像を見ることのほうが、人の心には響いてくる気がします。

上杉鷹山のいう「助」とは、まさに、こちらのことだと感じます。

ひとりでも多くの方が、この惨禍を乗り越えられることを、心から祈っております。

* * *

 

コラム「誰かを勇気づけたことがないというの…」に続く

 

2021.1.8 天乃みそ汁

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