NHK朝ドラ「エール」。如己堂・浦上天主堂。古関裕而・永井隆・加賀大介・菊田一夫・藤山一郎・栄冠は君に輝く・長崎の鐘・とんがり帽子・鐘の鳴る丘・君の名は・高原列車は行く・船頭可愛や・露営の歌・軍歌・窪田正孝・二階堂ふみ・山崎育三郎・吉岡秀隆・市丸・音丸。甲子園・東京オリンピック・昭和歌謡。

 

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音路(4)エールの鐘
 

 

◇朝ドラ「エール」

先頃、2020年12月、NHKの朝ドラ「エール」が終了しましたね。
新型コロナの影響で、異例の放送スケジュールとなりました。
もともと、2020年8月の東京オリンピックの開催にあわせての放送スケジュールであったはずですが、それは実現できませんでした。

どうして、東京オリンピック…と思われる方もおられると思います。
この朝ドラ作品「エール」は、作曲家の古関裕而(こせき ゆうじ)さん夫妻をモデルとしたドラマだったからです。
前回の1964年の東京オリンピックの開会式の選手団入場行進曲「オリンピック・マーチ」こそ、この古関さんが作曲した作品でした。
クラシック音楽をベースとした、素晴らしい楽曲ですね。
2020年に予定されていた東京オリンピックにあわせて、前回大会の時代を振り返り、今回大会への応援歌「エール」として、このドラマが作られたのだろうと思います。
それに、古関さんの楽曲には、苦難の歴史や、勇気や希望がたくさん詰まっていますね。

古関裕而さんがモデルの、古山裕一の役は、窪田正孝さん。
妻の音の役は、二階堂ふみさんでした。

* * *

この朝ドラ「エール」では、古関さんのオリンピック曲ができ上がる頃までの、夫婦と、それぞれの人生の物語でした。
古関さんは、膨大な数の曲を残され、今でも、多くの曲を耳にしますね。

NHKでも、今現在の放送の中で、現役で使用されている曲も少なくありません。
スポーツ中継放送のオープニング曲、「ひるのいこい」のテーマ曲、「日曜名作座」のテーマ曲は、現役ですね。
野球界での現役曲といえば、阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」、読売巨人軍の応援歌「闘魂こめて」、中日ドラゴンズの曲は現役ではなさそうです。
そして、毎年の高校野球甲子園大会のあの曲…「栄冠は君に輝く」。
早稲田大学の応援歌「紺碧の空」も現役ですね。

他にも、懐かしい名曲がたくさんあります。

歌謡曲でいえば、

高原列車は行く / 岡本敦郎
長崎の鐘 / 藤山一郎
イヨマンテの夜 / 伊藤久男
モスラの歌 / ザ・ピーナッツ
君の名は / 織井茂子
とんがり帽子 / 川田正子&ゆりかご会
あこがれの郵便馬車 / 岡本敦郎
青春の鐘 / 舟木一夫
愛国の花 / 渡辺はま子
黒百合の歌 / 織井茂子
長崎の雨 / 藤山一郎
さくらんぼ大将 / 川田孝子&ゆりかご会
我が家の灯 / 美空ひばり
夢淡き東京 / 藤山一郎
フランチェスカの鐘 / 二葉あき子
船頭可愛や / 音丸
ほか


◇高原列車は行く

私も子供の頃に、父親世代が、新年会や忘年会で「高原列車は行く」を大合唱して盛り上がっていた様子を憶えています。
ランランランラン♪…飲みすぎて、みなクチが回ってない。

その酔っぱらい集団の中には、両腕を腰あたりにあて腕をぐるぐる回しながら、シュシュポッポと走り回る酔っ払いが、ひとりくらいはいるもので、甲高い声で「ポッポー」とか、その歌に「合い(愛)の手」を入れるのです。
今の子供たちが見たら、その腕のぐるぐるは何?と聞いてくるでしょうね。

この歌に続いて、「♪丘を越えて」…、「♪あこがれのハワイ航路」と怒涛の熱唱が続きます。
高原を飛び越えて、海を越えてハワイまで突っ走る、戦前 戦中 戦後の酔っぱらいお父さんたちでしたね。

* * *

驚いたことに、今、この曲で高齢者の「牧場(あきば)の乙女♪」たちが体操をしていると聞きます。
そして、ハンカチを「ハンケチ」とクチにしたら、それはまさに高原列車世代…。
山越え、谷越え、人生の苦難を乗り越えてきた世代なのです。
でも、この世代の高原列車は、ガタゴトではなく、白樺林の中を「ランランララン、ララララララ…ランラン♪」と軽快に走るのです。

この曲のいいところは、聴いた人それぞれが、みな違う高原列車をイメージできるところ…、あなたの列車はどこの高原を走っていますか…。
それぞれの高原列車は、今も心の中を走り続けていますね。

* * *

もう少し後の昭和世代には、ゴダイゴさんが歌った「銀河鉄道999(スリーナイン)」という大ヒット曲がありますが、「高原列車は行く」も、当時の世代に同じような存在だったような気がします。
高原から、丘と海を越えてハワイへ、とうとう宇宙にまで…。
次は、「はやぶさ」や「リニア」に乗って…。

「高原列車は行く」が大人の歌なら、戦後の昭和の子供たちには、「はしれちょうとっきゅう(走れ超特急)」という歌がありましたね。
「ビュワ~ン、ビュワ~ン」のあの歌です。
新幹線ひかり号は、よくぞ「ビュワ~ン」と叫んでくれました。

どの列車も、とにかく希望に向かって、突っ走るのです。

こんな今だからこそ、みんなで、さあ越えていくよ…「ランランララン、ララララララ…ランラン」♪
高齢者の皆さんも、さあ、ご一緒に…。


♪高原列車は行く

 

 

◇ド迫力の熱盛世界と、田舎のへプバーン

歌手の伊藤久男さんが、ポマードべったりのオールバックの髪型とスーツ姿で、「イヨマンテの夜」をテレビでよく歌っていたのも、よく憶えています。
あの頃の世のお父さんたちに、べったりオールバック頭の多いことといったら…。

柳家ポマード…、MG5…。
ポマードとは、今のワックス、ジェル、グリース、ハードムースのようなべったり系の整髪剤です。
お相撲さんの「びんつけ油」…。
最近、若者にまた流行っていますね。
今も、中味はさっぱりでも、頭髪は7:3(しちさん)べったり濃厚「熱盛(アツモリ)」…。

朝ドラ「エール」では、歌手の伊藤久男さんがモデルの佐藤久志の役は、山崎育三郎さんでした。

* * *

ゴジラ映画に出てきた小人の妖精たちも、野性味のあるお姫様の姿で、怪獣モスラに捧げる歌を歌っていましたね。
「モスラ~や、モスラ~」…当時の子供たちの流行歌。
前述の「イヨマンテの夜」の歌詞「イ~ヨ~マンテ~」も、言葉の意味もわからず、子供たちはそこだけ熱唱。
とにかく歌が下手でも上手でも、みんな「イ~ヨ~マンテ~」。
すごい時代でしたね。

はてさて、「イヨマンテ(イオマンテ)」って何?

* * *

それから、子供ながらに憶えているのは、かっぷくのよい声量のある近所のおばちゃんが、「黒百合は~恋の花~」とか、腹の底から叫んでいたのも憶えています。
黒ユリだか、白ユリだか、何だか知らないが…、うるせえのなんのって!

* * *

そして、あの昭和の名作映画「君の名は」の主題歌。
昭和世代は、なんといっても、あっちじゃなくて、こっちの作品。
「真知子巻き」も大流行。

橋のたもとでたたずむ、あんたの名前は、岸恵子か、それともオードリー・ヘプバーンか…。
でも これで、女性はみんな、きれいなモデルに大変身。

今でも、田舎の畑に、白い手ぬぐいを「真知子巻き」したベテラン女性が、結構おられますよね。
「お疲れ様です…ところで君の名は…」。


◇アドバルーンをぶちあげろ

美空ひばりさんの歌は、「三越ホームソング」の一曲ですが、昭和28年当時の三越百貨店の社長の一声で、高額ギャラの有名歌手が集められ、13曲がつくられるとは、すごい時代ですね。
百貨店黄金時代ですね。
当時は、世の中にあっと言わせるのが百貨店の役割…。
今は、そんな、どでかいアドバルーンをぶち上げる百貨店は皆無です。

私は子供の頃、遠くに見える百貨店のアドバルーンを目指して、金も持たずに突っ走ったものです。

今よりも、懐(ふところ)がとっても大きかった百貨店でしたね。


◇芸者さんの底力

朝ドラ「エール」の中では、「船頭可愛や」をヒットさせた歌手の音丸(おとまる)をモデルにした人物が登場しましたが、ドラマ内では「藤丸(ふじまる)」という名でした。
演じたのは、井上希美さんです。

音丸さんは、東京麻布の「はきもの屋」さんの娘さんでしたが、芸者の設定で歌手デビューし、この歌が大ヒットしました。

* * *

昭和40年頃までは、芸者さんから歌手になって、ヒット曲を出すということも多くありましたね。
日本各地の民謡が、全国で有名になったのは、彼女たちの役割が大きかったですね。

私の故郷の長野県には、「市丸(いちまる)」という本物の芸者あがりの歌手がいて、ヒット曲連発の代表格でしたね。
松本市の近くにある浅間温泉の芸者見習いから、東京浅草に出て、芸者修行の猛特訓の後、スター芸者にまでのぼりつめました。
「♪天竜下れば」、「♪三味線ブギウギ」…。
昭和40年代頃まで、テレビに相当出ていましたね。
静岡県の「ちゃっきり(茶切)、ちゃっきり、ちゃっきりな~♪」も、彼女がいなかったら、有名になっていませんね。

そして、「赤坂小梅(あかさかこうめ)」がいなかったら九州の「おてもやん」、「黒田節」、「炭坑節」はメジャーになっていませんね。
ちなみに、「赤坂小町」が改名して、ダイヤモンドのロックバンド「プリンセス・プリンセス」になりましたね。

小唄勝太郎(こうた かつたろう / 女性)の「東京音頭」なんて、今でも、東京の神宮球場で傘持って踊っています。
「〇〇小唄」という呼び方は、今でも結構、耳にします。

* * *

今、着物姿の演歌歌手はいても、市丸、音丸、小梅、勝太郎などのように芸者姿で歌う歌手をまず目にしませんが、「昭和の底力」を感じますね。
三味線バックバンドを、さっそうと引き連れてくる様子も、結構、迫力ありましたよね。
今、コロナの影響で、三味線などの日本の古楽器産業が消滅の危機にあると聞いています。
なんとかしてあげたいですね。
芸者姿の歌手と、三味線バンド…、もう一度見てみたい気もします。

1970年代や、80年代、さらにいえば今のアイドルたちも、この昭和の芸者歌手の方々と何も変わらない気がします。

市丸ねえさんに、軍人が軍刀をかまえて斬りかかった事件は知られていますが、その時の市丸さんといったら、まるで戦国武将の振る舞いでしたね。
この時代は、「肝」も「着物」も、肝の座り方が違いますね。
「肝」も「着物」も、日本女性に受け継がれていってほしいものです。


◇軍歌

さて、作曲家の古関裕而さんは、「軍歌」でも有名です。
今は、昭和30年代につくられた造語「戦時歌謡」などとして、その楽曲が、ひとくくりにされているようですね。
昭和時代は、そんな用語を巷(ちまた)で使う人はまずおらず、「軍歌」のほうが的確な表現だったと感じます。

古関さんの軍歌で有名な作品は、「暁に祈る」、「若鷲の歌」、「露営の歌」など多数…。
予科練や特攻隊員たちには、特別な曲でしたね。

他の方が作曲した、軍艦マーチ、ラバウル小唄、異国の丘、同期の桜などとは、少し雰囲気が違いますね。


◇終戦から…

朝ドラ「エール」の中では、古関さんの戦争への思いや、自身の作曲活動における、心の葛藤が描かれていました。
古関さんは、戦地への慰問活動も行っています。
それが、自身の作品に大きく影響していましたね。

終戦後、古関さんは、音楽の方向性を戦時中とは変えることになります。
戦後復興期の、人々の心の癒しと希望に方向性を変えます。
ドラマの中の古関(古山)さん自身も、音楽のチカラで、再び立ち上がってきます。

* * *

音楽家は、それまでの大きな実績を横に置き、180度違う向きに方向転換することが、よくありますね。
そこからまた、さらに大きく飛躍するアーティストも少なくありません。
おそらく古関さんにとって、「終戦」とは、そうしたものだったのかもしれません。

音楽家に限らず、文学者、画家なども、終戦をきっかけに、表現方法を転換させたアーティストがたくさんいましたね。
より心の内面に向かう人…、夢や希望に目を向ける人…、復活に向けてがんばりを表現する人…、まさに外部からの圧力から解き放たれたような時代です。

そんな戦後すぐに生れてきた曲が、「とんがり帽子(鐘の鳴る丘)」や「長崎の鐘」です。


◇希望の「とんがり帽子(鐘の鳴る丘)」

「とんがり帽子(鐘の鳴る丘)」は、1947年(昭和22年)にNHKのラジオドラマ「鐘の鳴る丘」のために作られた楽曲です。
作詞は菊田一夫(きくた かずお)氏です。

菊田一夫氏は、前述の「君の名は」の脚本家で、「とんがり帽子」「イヨマンテの夜」「君の名は」の曲の作詞もしました。

* * *

このラジオドラマ「鐘の鳴る丘」は、戦後すぐの当時、街にあふれていた「戦災孤児(浮浪児)」たちと、戦地から復員してきた青年が、苦しい中でも強く生きていく姿を描いた内容です。

米国のキリスト教神父で社会事業家であるフラナガン神父と、GHQ(連合国総司令部)が、NHKに、戦災孤児の救済を目的に、希望を抱くラジオドラマを作るように指示したものです。

「人生(世の中)のすみっこで、だれからも話しかけてもらえないような子どもたち」に語りかけるには、強い言葉が必要だという、原作者の菊田一夫氏(ドラマでの演:北村有起哉さん)の強い信念が、そこにありましたね。
そのとおり、当時の日本の隅々まで、希望と勇気を届けてくれました。

このやさしい歌詞の中に、さまざまな思いが交錯する中高年の方も、きっと多いと思います。

この「キンコンカン」は、鐘の音というだけではありません。
亡き父と母の声であり、希望の足音でしたね。

下記は、当時の映像付きの動画です。

歴史的価値のある、すばらしい動画です。

このコラムを読んでいただいている方の中にも、この風景を実際に見ている、体験したという方も少なくないと思います。


♪とんがり帽子

 

昭和22年当時の音声です。

♪とんがり帽子

 


◇奇跡の「長崎の鐘」

皆さまも、広島と長崎に、原子爆弾が投下され、たいへんな被害と惨禍にみまわれたことはご存じかと思います。
長崎には1945年8月9日に原爆が投下されました。

長崎にあった「浦上天主堂(うらかみ てんしゅどう / 今の浦上教会)も壊滅しました。

今も、「被爆マリア像」や旧天主堂の壁の一部が残されています。
そして、もうひとつ…がれきの中から、奇跡的に掘り出された「アンジェラス(天使)の鐘」が残っています。
その鐘は破壊されることなく、ほぼ完全な状態で見つかりました。
この鐘こそが、「長崎の鐘」です。

* * *

この楽曲が生まれるきっかけは、長崎で被爆した医師で長崎医大の教授であった永井隆(ながい たかし)氏の著書です。

朝ドラ「エール」にも、永井氏をモデルとした医師が登場してきましたね。
俳優の吉岡秀隆さんの熱演には涙が出ました。
永井氏の壮絶な人生が、ドラマの中で描かれていました。

彼は、島根県松江市の出身ですが、兵役を終えた後、母校の長崎医大に戻っていました。
そして放射線の研究中に、放射能を浴びてしまい白血病にかかり、余命宣告をされてしまいます。
そんな中、1945年8月9日、大学の研究室で、長崎の原子爆弾で被爆します。
つまり、人生で二度の被爆をしたのです。
すぐに救護医療活動を開始し、自宅に戻ると台所があったと思われる場所に黒いかたまりがありました。
それは、彼の妻でした。
そこにはロザリオが残っていました。
子供たちは疎開していたため無事だったそうです。

その後も、彼は、自らも重症の傷を負う中、医療活動を続けますが、翌年の1946年には、ついに病床に伏すことになります。
苦しい闘病生活の中、「長崎の鐘」など多数の著書を書きあげます。
その暮らしは、家というよりも、粗末なあばら家で、キリスト教徒の仲間や知り合いたちが造ってくれたそうです。
その小屋は「如己堂(にょこどう)」と名付けられます。
「己の如く人を愛せよ」から来ています。

個人的には、「如己堂(にょこどう)」は、まさに世界遺産級の、日本の宝のように感じます。

1948年(昭和23年)にはヘレンケラーが…、1949年(昭和24年)には、昭和天皇、そしてローマ教皇庁の特使が、病床の彼を見舞いに訪れました。
1951年(昭和26年)に、彼は42歳で亡くなりました。

* * *

古関の「長崎の鐘」が世に出たのが、1949年(昭和24年)です。
歌手は藤山一郎(ふじやま いちろう)さんです。
藤山一郎さんは、病床の永井氏を見舞い、枕元で、この歌を歌ったそうです。

この曲のレコーディング・スタジオには、永井氏と親交のあった医学博士の式場隆三郎(しきば りゅうざぶろう)氏と、さらに式場氏がお世話をしていた、放浪の画家・山下清(やました きよし)氏が見学に来たそうです。
コロムビアレコードに、式場氏が楽曲づくりの提案をしたのがきっかけだったそうです。

この曲の歌詞を作詞したのは、永井さんの著書に大きな感銘を受けた、あのサトウ ハチローさんです。

* * *

この歌の一番の歌詞は、青空と野の花…、二番は永井氏の妻のこと…、三番は如己堂のことがうたわれています。
どうぞ、ネット検索して、お読みください。
この素晴らしい歌詞は、永遠に残っていってほしいものです。

* * *

長崎で二度の被爆をした永井氏…、原爆で被爆したが掘り出され戻った長崎の鐘…、如己堂…、ロザリオ…、多くの著書…、式場氏、サトウ氏、そして古関氏…。
こうした奇跡的な流れが、この楽曲を生み出しました。

この楽曲は、「なぐさめ はげまし…」という歌詞部分で、それまでの暗い短調から、希望に満ちた長調に、急激に転調します。
クラシック音楽を身につけている古関氏の卓越した作曲技量を感じることができますね。
古関氏の言葉表現を借りれば、「なぐさめから、再起に転じた」ということだと思います。

朝ドラ「エール」の中でも、長崎の鐘はもちろん、青空、野の花、如己堂、そして永井氏が登場していましたね。
このドラマの中の多くのシーンの中でも、まさに奇跡のような素晴らしい内容でした。

 

* * *
 

皆さまも、機会がありましたら、「如己堂」でネット検索してみてください。

多くの写真や解説が掲載されています。

そして、永井氏のことをつづった個人ブログも相当にたくさんあり、みな素晴らしい内容です。

どうぞ、この機会に一度読んでみてください。

 

ここは、今は亡きバリトン歌手の立川清登(たちかわ すみと)さんが歌う「長崎の鐘」をご紹介します。

動画の中に、永井氏、如己堂、被爆直後の浦上天主堂、ロザリオ、長崎の鐘などの写真が登場します。

 

♪長崎の鐘

 


◇栄冠は君に輝く

最後に、あの甲子園の高校野球の歌…「栄冠は君に輝く」のお話しです。
この歌詞を書いたのは、加賀大介(かが だいすけ)氏です。

1948年、それまでの「全国中等学校優勝野球大会」が「全国高等学校野球選手権大会」に改称する事になり、さらに第30回目の節目の大会であったことから、主催者である朝日新聞社が新しい大会歌として、全国から歌詞を募り、最優秀作品に選ばれたのが加賀大介氏の歌詞でした。

実は、加賀氏は野球球児であったのですが、試合中の大怪我により、骨髄炎(こつずいえん)になり、右足を切断することになりました。
この歌詞には、彼の野球への思いが凝縮しているのです。

野球どころか、グラウンドを走ることさえできなくなってしまった方が書いた歌詞だと知ると、この歌詞が少し違って聞こえてくるかもしれませんね。
この歌詞から、加賀氏の不屈の精神や勇気を、強く感じます。

高校球児たちには、ふさわしい歌詞ですね。

高校球児の父母たちは、この楽曲の冒頭を聴いた瞬間に、涙がこみ上げてきますが、この歌詞とメロディは、人に感動を与えずにはおきませんね。

♪山崎育三郎さんの「栄冠は君に輝く」【公式】

 

♪朝日新聞社 動画【公式】

 

♪ソプラノ歌手の西尾薫さんの「栄冠は君に輝く」

 


◇エールの鐘、喜びの鐘

「とんがり帽子(鐘の鳴る丘)」、「長崎の鐘」、「栄冠は君に輝く」の三曲は、その背景の物語を知ると、まさに涙がこみ上げてくるような楽曲です。

その歌詞の素晴らしさを、より高みに引き上がてくれたのが、古関裕而さんでしたね。

* * *

おそらく、今年のNHK紅白歌合戦あたりでは、これらの楽曲を聴くことができるのかもしれません。

朝ドラ「エール」の俳優さんたちは、歌も一流の俳優さんばかり…、それに昭和の歌い方をしっかり再現してくれています。

歌謡曲の歌詞やメロディ、歌い方は、その時の時代を大きく反映しており、その命や息吹が、そのまま盛り込まれていますね。
平成や令和の歌い方にされてしまうと、昭和の時代の心が、昭和世代の今の心に響いてきません。
できれば、昭和の歌い方を踏襲してほしいと思っています。

* * *

今、プロの方も、一般の方も、大きな歌唱イベントはなかなか開催できませんが、それでも小規模イベントで音楽家たちはがんばっていますね。
今年は、朝ドラの影響もあり、この「古関メロディ」の楽曲を歌う歌手たちが、相当に多いですね。
おそらく、前述の三曲も、かなり耳にできるものと思います。

この三曲の背景には、相当な苦難が隠れており、そこには大きな「希望」が描かれています。
どこかで、これらの楽曲を耳にした時…、そんなことも、どうぞ思い出してみてください。

もともと、東京オリンピックの開催にあわせた朝ドラ「エール」だったのでしょうが、くしくも、新型コロナという苦境の中にある、私たちへの「エール(応援歌)」となりました。

日本人は、昔から、自身が最大の苦境の時であっても、相手を応援する言葉をかける民族性を持っています。
今は、さまざまな「エール」が必要な時ですね。

「エール」の鐘の音が、いつか「喜び」の鐘の音に変わることを、強く願っています。

* * *

 

 

2020.12.19 天乃みそ汁

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