NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。足利義輝・細川晴元・三好長慶・松永久秀の複雑な関係性。朽木谷での思い。たまと伊呂波太夫。足利義昭・六角氏。京都市・滋賀県大津市。

 

 

麒麟(36)朽ちない将軍


前回コラム「麒麟(35)桶狭間は人間の狭間(17)狭間からの脱却」では、「桶狭間の戦い」関連の最終回として、人間社会のさまざまな狭間からの脱却のこと、松平元康の決断、信長の陰謀、水野信元と石川数正、大樹寺、清洲同盟などについて書きました。

今回のコラムは、大河ドラマ「麒麟がくる」の放送が再開したこともあり、第22回「京よりの使者」の放送内容に即した内容で書きたいと思います。


◇大河ドラマ放送再開

久しぶりに、NHK大河ドラマの放送が再開されました。
「桶狭間の戦い」が終わった時点で、いったん放送を中断し、その4年後という表記とともに、放送が再開されました。

本コラムを、これからも「麒麟がくる」の視聴のおともに、どうぞ よろしくお願いいたします。

場面は、織田氏や松平氏がいる尾張国や三河国の話しから、京都に移りました。
ようするに、足利将軍家や細川晴元(ほそかわ はるもと)、三好長慶(みよし ながよし)、松永久秀(まつなが ひさひで)を中心とした内容に変わりました。
ドラマでの、登場人物もがらりと変わりましたね。
明智光秀も、京都にやって来ました。


◇将軍と幕府

さて、この大河ドラマ「麒麟がくる」のお話しの時代は、室町幕府があった時代のお話しです。

日本の歴史では、幕府が三つあり、鎌倉幕府、江戸幕府、そしてこの室町幕府がありました。

幕府とは、朝廷のもとではなく、天皇が任命した征夷大将軍が、武力を背景に、国を統治する機構や機関のようなものです。
官位官職という意味では、将軍よりも上位の人間は他にもいます。
ですから、将軍は、天皇の次の位というわけではありません。
ですが、実質的には、日本の最高権力者が将軍(幕府)となります。

* * *

実は、「幕府」とは、もともと将軍が暮らす場所のことを指していたようですが、江戸時代中頃から、将軍の政権中枢そのものを「幕府」と呼ぶようになったようです。

室町時代、三代将軍の足利義満は、京の北小路室町に邸宅をつくり、その邸宅は「室町殿(むろまちどの)」、「室町第(むろまちてい)」と呼ばれ、そのうち将軍自体を「室町殿」とも呼ぶようになります。

義満は、さらに邸宅を拡大させ、その広大な邸宅は「花の御所」と呼ばれるようになります。
京都御所の北西の一角、大聖寺のあたりです。
その後、「応仁の乱」で焼失し再建もされますが、13代将軍の足利義輝が廃止します。

そして義輝は、京都御所の近くに「二条御所」を造営しはじめます。
足利義輝の頃は「武衛陣(ぶえいじん)の御構え」と呼ばれ、義輝らしく、敵の攻撃に備えた、かなり堅固な構造であったようです。
ですが、この御所の完成直前に、義輝は亡くなります。
この「二条御所(武衛陣の御構え)」は、おそらく次回、第23回の「麒麟がくる」に登場するはずです。

ちなみに「武衛(ぶえい)」とは、天皇を守る武官の役職名で、この「武衛陣(ぶえいじん)の御構え」は、武衛職の斯波氏の邸宅があった場所です。
13代将軍の足利義輝のことは、この後、書きます。

* * *

絶対的な権力を持っていた3代将軍の足利義満は、源氏長者(源氏勢力の最高権力者)の中からしか、将軍になれないようにします。
ですから、源氏長者であっても、将軍になっていない者もいます。

源氏ではない、平清盛も、豊臣秀吉も、将軍にはならず、幕府を持ってはいませんでしたね。
藤原氏が将軍になったのは、平将門を討伐するという特殊な状況だけでした。
そのかわり、公家の最高位の関白になれたのは、藤原氏一族だけです。
「関白(かんぱく)」という官位のことは、ここでは省略します。

織田信長が、長生きしていたら、どのようにしたかはわかりません。

徳川家康は、いったん藤原氏になってから、源氏へと変わり、源氏長者になり、将軍になります。
秀吉は、もともと素性が分かっていましたので、将軍には絶対になれません。
彼は、藤原氏になってから、関白にまでのぼりつめます。

足利義満、織田信長などは、天皇ではなく、自身こそが、名実ともに日本のトップの王になることを目指そうとしましたが、実現できた者は誰もいません。
この二人ほどではなくとも、朝廷と共存し、朝廷を支配下に置こうとした権力者たちは、たくさんいました。
家康は、そのタイプですね。
将軍とは、皆そうしたものです。

* * *

源氏も平氏も、もともとは天皇家から枝分かれした一族です。
平氏勢力が、源氏勢力に敗れてからは、圧倒的に日本の武力勢力が源氏の子孫で占められます。
やはり枝分かれした藤原氏一族は、武力をあきらめ、朝廷に近い位置で、政治力で生きていく選択をしました。

ですから、将軍を輩出する武家は、圧倒的な武力を維持していなければ、その将軍の権威は名ばかりとなってしまいます。
源氏出身のたくさんの有力武家からしたら、将軍家と姻戚関係でも結び、後継の正当性を周囲に認めさせれば、いつでも将軍家にとってかわれることになります。
でも、これには圧倒的な武力と政治力を持つことが欠かせません。
将軍家の座を狙う、有力武家が、戦国時代には膨大に存在していたのです。

ついには、農家出身の秀吉までが、将軍ではなくとも、日本の権力の頂点にまでのぼりつめましたね。
源氏勢力や朝廷が、それを、いつまでも許しておくはずはありませんね。

戦国時代の「天下取り」とは、京都の朝廷を支配し、多くの有力武家を武力でひざまづかせ、将軍ではなくとも事実上の最高権力者の座を手にすることを意味しています。
領土を奪い取ることだけではありません。

この将軍と幕府というシステムを、明治政府が終わらせ、現在の政府というシステムに至っています。

* * *

日本に存在した、鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府は、どの幕府もすべて、内部では権力闘争や武力闘争の連続です。

幕府をつくった創業家が、しっかり実権を握り続けた幕府は、ひとつもありません。
鎌倉幕府にいたってはすぐにトップが源氏から北条氏に移り、他の幕府も、名ばかりの創業家のもと事実上の最高権力者は別にいました。

時々、創業家から有能でチカラのある者があらわれても、まず、その一代だけで、その人物の死後、すぐに権力闘争が繰り返されます。
創業家の有能な者は、むしろ、周囲によって排除されてしまうのです。
前述の13代将軍の足利義輝が、まさに、その典型かもしれません。
とにかく、時は戦国時代の最盛期…、周囲は、下克上を狙う戦国武将だらけだったのです。

室町幕府も、もちろん権力闘争の連続です。
足利5代将軍以降は、それぞれの将軍に、どの武家勢力がついているのかによって、幕府の権力構造が決まっていきました。
「決まる」というよりも、敵になったり味方になったり、まさに混沌とした政権運営が続いていきました。


◇室町幕府の実権

コラム「麒麟(10)本能寺門前の巌流島」で、室町時代前期に、日本に同時にふたりの天皇が存在する南北朝時代を終わらせ、絶大な権力を握り、金閣寺で知られる、3代将軍の足利義満の死後から始まった、4代将軍以降の権力闘争のことを書きました。

日本をひとりの天皇の国に戻し、絶大な権力のもと、自身が日本の国王になろうとした瞬間に、病で突然死した足利義満の死後、足利将軍家内部の権力闘争が、日本を二分した武家勢力どうしによる「応仁の乱」を引き起こさせ、この乱が自然終了した後も、この将軍家周辺の抗争は続きます。

室町幕府の最高権力は、日野富子と細川政元に継承されますが、富子が死に、細川氏は政元の暗殺後に分裂し一族内抗争へと進みます。
室町幕府の最高権力者は、その後、細川高国になりますが、同族の細川晴元が、三好元長と手を組み、細川高国を倒します。

結論から書きますと、室町幕府の実権は、足利義満以降は、足利義持、日野富子、細川政元、細川高国、細川晴元、三好長慶、そして織田信長へと続き、幕府は消滅します。
足利将軍の存続という意味では、「関白秀吉」の時代まで続きます。
基本的に、ある時期から、足利将軍を誰にするかや、交代させるかは、その時の有力武将が決めていたということです。


〔細川晴元 vs. 三好長慶 / 晴元勝利〕

さて、話しを「麒麟がくる」の時代に戻しますと、細川晴元(演:国広富之さん)が、三好元長と手を組み、細川高国を倒した後、細川晴元は12代将軍の足利義晴と手を組み、三好元長を倒します。
三好元長の最期は、まさに日本史の中の壮絶死のひとつですね。
本当に、(元長から見た晴元は)「今日の味方は、明日の敵」です。

足利義晴の重要側近が、三淵藤英(演:谷原章介さん)で、細川藤孝(演:眞島秀和さん)は、細川晴元勢力の一部に養子になった人物です。

三好長慶(みよし ながよし / 演:山路和弘さん)は、この三好元長の息子ですから、三好長慶にとって、細川晴元は父の仇です。
松永久秀(演:吉田鋼太郎さん)は長慶の家臣です。

そして、12代将軍の足利義晴の息子が、13代将軍の足利義輝(演:向井理さん)です。

つまり、京都では、「足利義晴・細川晴元・三淵藤英・細川藤孝」VS.「三好長慶・松永久秀」という、ひとまずの構図です。

* * *

この間に発生したのが、法華一揆や、浄土真宗の一向一揆らの仏教勢力どうしの宗教闘争です。
この闘争に関しては、コラム「麒麟(29)桶狭間は人間の狭間(11)心頭滅却」で書きましたが、これは細川晴元と三好長慶の戦いの延長上で、ますます宗教闘争が拡大していきます。

三好一族内でも、泥沼の抗争を繰り広げており、細川晴元は、三好長慶の敵である三好政長と組み、三好長慶と戦い始めますが、京のすぐ隣の近江国(滋賀県)の戦国武将である六角氏の仲裁で和睦し、三好長慶は細川晴元の配下に入ります。
ひとまず軍門に下ったかたちですが、復讐心でいっぱいです。
三好長慶にとって、細川晴元は、父の仇なのですから…。


〔細川晴元への不満〕

「麒麟がくる」の第6回「三好長慶襲撃計画」は、史実のどれに相当する事件かはっきりわかりませんが、実際に、三好長慶は暗殺襲撃を何度か受けており、この第6回放送内容であっても不思議はありません。

この内容は、コラム「麒麟(11)後悔などあろうはずがない」で書きました。

この第6回では、細川晴元の絶大な権力に対して、足利義輝・三淵藤英・細川藤孝・三好長慶・松永久秀・明智光秀が何か連携するようなかたちで、三好長慶暗殺を防いだように描かれていました。
とにかく、絶大な権力を握って横暴を繰り返す細川晴元に、周囲が連携したようにも描かれていました。

この回では、さらに、三好長慶の家臣の松永久秀が、何らかのかたちで主君の長慶を裏切ったような内容にもなっていました。
下克上の時代に、重臣といえども主君の座を狙う松永久秀の人物像が描かれており、(長慶から見た久秀は)「今日の味方は明日の敵」のような様相も感じました。

* * *

三淵藤英は足利将軍家が大事、細川藤孝にとって三好長慶は宿敵で、藤孝は細川晴元も大嫌い、三好長慶にとって細川晴元は父の仇、松永久秀は長慶の家臣ですが野心いっぱい。

足利将軍家も、細川氏も、三好氏も、一族内で権力闘争を繰り返しており、松永久秀も機会があれば主君の座を狙っていたということです。
この頃の京を中心とした畿内の地域は、まさに陰謀あり、暗躍あり、裏切りあり、一族内の粛清ありの、暗黒の状況でしたね。


〔将軍は細川晴元と和睦〕

その後、細川晴元打倒で立ち上がった同族の細川氏綱(晴元が倒した高国の養子)が、細川晴元と三好長慶を武力で劣勢に追い込み、敗走させます。
細川氏綱には、有力武将の畠山政国がついていました。

その様子を見た、12代将軍の足利義晴は、なんと細川晴元を裏切って、細川氏綱と組もうとします。
足利義晴は、かつて倒した細川高国の養子の細川氏綱と手を組むのです。
またまた(晴元から見た足利義晴は)「今日の味方は明日の敵」です。

* * *

三好長慶は、本拠地の四国の阿波国(徳島県)から、大兵力を呼び寄せます。
そして、細川晴元と三好長慶は、細川氏綱に反撃し、敗走させます。
ここは、(晴元と長慶は)「今日の味方は明日も味方、でも昨日は敵だった」ですね。

危うい立場になった12代将軍の足利義晴・義輝親子は、それにより近江国の坂本に逃れます。
足利義晴は、これまでも、何か戦争が起こるたびに、京から近江国の坂本(滋賀県大津市)に避難するという繰り返しでした。
近江国には、頼りの戦国武将の六角氏もいます。

今回の坂本行きでは、将軍職を息子の義輝に継がせます。
ここで13代将軍 足利義輝が誕生します。

* * *

近江国の戦国武将の六角氏は、足利義晴を支えていた有力武将でしたが、義晴が尚も細川氏綱支持をやめないことから、六角氏は今度は細川晴元側に回ります。
そして六角氏の仲裁で、足利義晴は細川晴元と和睦し、息子の13代将軍の義輝を連れて京に戻って来ます。


〔細川晴元 vs. 三好長慶 / 長慶勝利〕

その後、内心は細川晴元に復讐心いっぱいの三好長慶は、三好一族内の争いに介入した(陰謀で引き込んだ)細川晴元を、京都から武力で追放し、前述の細川氏綱と今度は手を組み、京都に入ります。
三好長慶にとっては、やっと細川晴元への復讐の機会がやってきました。

足利義晴と13代将軍の義輝も、細川晴元とともに、再び近江国の坂本に逃れます。

すべて三好長慶の陰謀で、政治の実権は、細川晴元から三好長慶に完全に移ります。
三好長慶は、大きな武力を背景に、京で、政治の最高権力者の地位を手中にします。
細川氏綱は、三好長慶の操り人形でした。

足利将軍親子は、京ではなく、隣の近江国の坂本に追いやられたのです。


〔朽ちてたまるか〕

1550年、12代将軍だった足利義晴が近江国で病で亡くなった後も、細川晴元は、13代将軍の義輝を支え、三好軍と戦いますが敗戦し続けます。
その中で、13代将軍の足利義輝は1551年、紆余曲折の後、側近の朽木氏を頼り、近江国の「朽木谷(くつきだに・滋賀県高島市)」に移ります。

「麒麟がくる」の義輝の言葉の中にも、この「朽木谷」という地名が何度か登場しますね。
とにかく足利義輝は、朽木谷で、口惜しい日々を送ることになります。

* * *

この頃、足利義輝は、三好長慶や支援する武将などの暗殺計画を企て、京は一触即発の空気に包まれます。

三好長慶の家臣の松永久秀らの武力で、なんとか三好勢が、義輝勢をおさえ込み、足利義輝と三好長慶が和睦し、義輝は1552年に再び京に戻ってきます。
細川晴元は、京には戻らず、若狭国(福井県西部)に向かいます。

* * *

1553年、足利義輝は細川晴元と組んで、また三好長慶と京で戦いますが、敗れ、また近江国の朽木谷に逃れます。
義輝は、ここからしばらくを朽木谷で過ごします。
ようするに、足利義輝は、逃亡や敗戦のたびに、朽木谷に戻ってきて、その悔しさをかみしめていたということです。

「麒麟がくる」の以前の放送回で、足利義輝が朽木谷で、明智光秀と再会し、自身の無念さを語るシーンがありましたが、それがこの時だと思います。


〔改元に激怒する足利義輝〕

「麒麟がくる」の第22回「京よりの使者」では、足利義輝が、関白に向かって、元号の改元について激怒していましたね。
自身の娘を三好長慶に人質にとられ、改元のことまで三好長慶に行われたと、関白に大激怒でした。

これは、改元(元号の変更)という大事な行為は、朝廷と幕府(将軍)が相談し決めることになっているところを、1558年に、朝廷と三好長慶が改元(「弘治」から「永禄」へ)を決めてしまったことによります。
これは、三好勢から将軍側への、明らかな挑発行動ですね。

大河ドラマでは、こんなシーンもありました。
朝廷の公家最高位の関白から、三好長慶の家臣の松永久秀に、「将軍(義輝)を暗殺するという噂がある」と問い詰めていましたね。
しらばっくれる久秀でした。

大河ドラマの中では、この時点で、三好側の一部が、明らかに足利義輝の命を狙っていると描かれていましたね。

* * *

1558年、足利義輝は、細川晴元、さらに近江国の戦国武将である六角義賢(ろっかく よしかた)の支援により、三好長慶ら三好一族との戦いを、再び開始しますが、そのうちに六角氏は、将軍への支援を取りやめ、足利義輝と三好長慶の和睦の仲裁に向かいます。

六角氏は、もはや戦闘を止めないと、将軍もろとも、三好勢に戦闘で敗北すると考えたかもしれません。
あるいは、六角氏の戦略の方向転換だと思います。

これで、足利義輝や細川晴元は戦況が不利になり、三好長慶と和睦し、戦闘は終わります。

そして、13代将軍の足利義輝は、1558年に、近江国から京に戻り、将軍による室町幕府の政治が再開されます。
本コラムの冒頭で「二条御所(武衛陣〔ぶえいじん〕)の御構え)」のことを書きましたが、この造営が開始されたのが1559年です。

細川晴元は、そのまま近江国に残り、三好長慶と敵対関係を続けますが、ことごとく負け、ついには三好長慶に屈し、1563年に幽閉先で亡くなります。


〔足利義輝の反撃開始〕

13代将軍の足利義輝が京に戻ったとはいえ、三好長慶は、足利義輝と一定の距離を置き、戦わず、実質的には、大きな武力を背景に、ますます権力を拡大させていきます。

* * *

足利義輝は、地方にいる多くの戦国武将を味方につけようと、さまざまな戦いの仲裁役になったり、親しい関係づくりを行っていきます。
この時期に、地方の戦国武将に名前の中に、義輝(義藤)の名前にある「輝」「藤」「義」などの文字が増えていくのはそのためです。
地方の武将たちの任官や出世にも尽力していきます。

「麒麟がくる」でも以前の回で、織田信長や斎藤義龍が京の義輝のもとにやって来るシーンがありましたね。
1559年のお話しです。

そして、その翌年の1560年に、織田信長が「桶狭間の戦い」で勝利し、一気にビッグネームに駆け上がります。

* * *

1562年には、足利義輝は、なんと三好長慶と手を組み、室町幕府の有力な地位をもとに圧力をかけ続ける伊勢氏を倒します。
義輝は、他にも、各地で足利将軍の求心力を高めるために、反足利勢力を倒していきます。

足利義輝は、足利家の15人の将軍の中でも、かなり政治的にも軍事的にも活動できる有能な人物であったことがわかります。
さらに、そうしたことで人望を集めていったと思われます。

コラム「麒麟(10)本能寺門前の巌流島」でも書きましたが、彼は、剣豪の塚原卜伝から、剣術と戦術を学んだとされ、「剣術の達人」というもうひとつの顔も持っていましたね。
お高い地位の将軍といえども、実際の武将たちとの戦い方に精通していた可能性もありますね。


◇三好一族に暗雲

さて、1559年頃から1561年頃にかけて、三好長慶のチカラは、畿内一円に絶頂期をむかえます。
三好氏はもともと阿波国(徳島県)が本拠地でしたが、和泉国や河内国(大阪府)、大和国(奈良県)に支配を広げ、家臣の松永久秀に大和国を支配させています。

畿内や京を中心に権力の絶頂にあった三好長慶ですが、信長の「桶狭間の戦い」の翌年の1561年頃から、そのチカラが傾き始めます。

* * *

細川晴元らとの戦闘や、三好一族内の陰謀などで、三好長慶の身内が次々に亡くなり、大坂での支配力が弱まったところを、かつての宿敵である細川晴元の子供たちが、畠山氏や六角氏などの戦国武将と手を組み、反三好勢力として巻き返し始めます。

なんとか三好勢は対抗していきますが、これには、家臣の松永久秀のチカラがあってのことです。
三好長慶は、この頃から病気が悪化し、戦闘を指揮していなかったという説もあります。

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実は、三好長慶は、三好家を安定的に支配するために、身内を粛清し始めます。

長慶の病は、精神的な病であったとされ、最後は、ほぼ判断力を失っていたという説もあります。
彼が行った一族内の粛清が、その原因であったともいわれています。

あの豊臣秀吉も、粛清した豊臣秀次の呪いを恐れ続けましたね。
自らが造った京のあの聚楽第(じゅらくだい)を、その恐れから、徹底的に破壊しました。

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1564年、三好長慶は、三好一族で人望の厚かった、有能な弟の安宅冬康(あたぎ ふゆやす)を暗殺します。
これは、三好長慶の寿命が短いと判断した、松永久秀の陰謀といわれており、三好一族もそれを確信していたようです。

松永久秀が、いよいよ行動を開始しました。
三好一族が内部抗争だらけなのに対して、その家臣の松永一族は、久秀で完全に固まっていたと思われます。


◇光秀が京に

「麒麟がくる」の第22回「京よりの使者」で、明智光秀が京にいる足利義輝のもとにやって来たシーンは、この1564年だと描かれていました。
史実かどうかは、私はわかりません。

三好長慶を討つチャンスを伺っていた足利義輝が、それを実行するために、地方の諸大名に上洛を促しても、誰も応じず、そんな中で光秀を呼んだというストーリーでした。

地方のどの戦国武将も味方をしてくれない13代将軍の義輝、それを心配する三淵藤英(演:谷原章介さん)と細川藤孝(演:眞島秀和さん)、助けを求められた明智光秀(演:長谷川博己さん)ということですね。

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この少し前の1559年に、織田信長や斎藤義龍らの一部の武将たちが上洛し、義輝に謁見したことが、「麒麟がくる」でも描かれていましたね。
明智光秀と斎藤義龍が、道三の死後、再会し、これが今生の別れとなりましたね。

織田信長と斎藤義龍の上洛は、それぞれの自国の事情や思惑を持って上洛したもので、三好長慶と戦う義輝の支援のために会いに来たのではありません。
義龍の目的は、任官出世、信長暗殺だったと思います。
信長は、畿内の情勢視察と、翌年の桶狭間の戦いに備え、六角氏と親密になり相談することが目的だったと感じます。
信長が、三好長慶に会わなかったのは、この段階で畿内情勢に深入りしないあらわれだと思います。
ですが、「麒麟がくる」では、信長は松永久秀に会いに行きましたね。

* * *

さて、1559年以降も、畿内では、三好氏の権力は絶大でした。
1561年頃から、三好一族に暗雲がたちこめ始め、京でも不穏な空気がいっそうたちこめ始めました。

* * *

越前の朝倉義景(演:ユースケ・サンタマリア)は、こんな京の不穏な状況下で、上洛するはずはありません。
大河ドラマの中でも、京に向かう光秀に、義景は、「(光秀の)家族の暮らしは面倒みるから、京で見たこと聞いたことを、すべて伝えろ」と念をおします。
義景に限らず、この時に、軽々に上洛する地方の戦国武将などいません。

この時の、地方の戦国武将からしたら、それでなくても地元で、下克上に気を配りながら、支配域を守るために周辺の敵国勢と戦っている最中に、京都や将軍家の権力争いに首を突っ込んでいる場合ではありません。

これまで、あれだけ地方の武将間の仲裁を行い、多くの戦国武将を助けてきた13代将軍の足利義輝でしたが、非常に孤立した状況になってしまいました。

地方の各武将たちは、畿内の最有力武将の三好長慶と戦うことの是非を考えたはずです。
多くの三好一族、松永久秀らと、畿内の支配を巡って戦うのかどうか…。

* * *

斎藤道三が息子の義龍に敗北し、道三の家臣であった明智光秀は、美濃国から逃れ、越前国に潜んで静かに暮らしていましたが、ドラマの中の彼の京への来訪は、彼が再び歴史の表舞台に登場してくる直前の頃のお話しでした。


◇三好長慶の死と、松永久秀の行動開始

そんな中、1564年に、三好長慶が病死します。

一応、病死ではありますが、松永久秀…相当に怪しいですね。
三好一族から、三好長慶と、有力な弟が、同じ年にいなくなります。

* * *

「麒麟がくる」の第22回の中では、松永久秀が息子に家督を譲って隠居してのんびり…、などという台詞がありましたね。

戦国武将の中には、実質的な最高権力者が、家督を息子に譲ってから、本家のリスクを減らし、別の立場で猛烈な暗躍を始めるということが、よくあります。
徳川家康、2代将軍の徳川秀忠、豊臣秀吉、黒田官兵衛…、みなそうでしたね。
松永久秀も、まったく同様だったと思います。

* * *

13代将軍の足利義輝からしたら、やっと宿敵の三好長慶がいなくなってくれたという思いだったでしょうね。
大河ドラマの中でも、向井理さんが演じる13代将軍の足利義輝は、思わずニンマリ…。
室町幕府の実権が、将軍である足利義輝に戻ってくるかもしれません…。

「麒麟がくる」の第22回「京よりの使者」は、ここで終了しました。

* * *

でも、足利義輝には、本当はかなり危険な状況が待ち構えていたのです。
三好一族からしたら、義輝とは思いが逆です。

絶大な存在の長慶がいなくなり、有能な弟もいない…、おまけにこれは家臣の松永久秀の陰謀…。
もし、チカラを伸ばしつつある13代将軍の足利義輝に、反三好勢力が結集したら、たいへんなことになります。
これは、まずい…。

松永久秀も、長慶のいない三好家などと運命をともにすることなどあろうはずがありませんね。
冷静に長い目で策を練っていたのは、松永久秀だけだったのかもしれません。

松永久秀にとって、目障りな有力な者たち…、細川晴元、三好長慶と有能な弟は、この世を去りました。
あとは…。


◇特別な畿内の事情

三好長慶の死後のことを、少しだけ書きます。

長慶の死後、松永久秀と「三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・家臣の岩成友通)」が、若い三好家の後継者と三好家を支えることになります。

そのうち、松永久秀と、「三好三人衆」らや三好一族は敵対関係になりますが、三好家の家督を継承し実権を取り戻したい三好義継は松永久秀と組み、三好三人衆らとの戦いに入ります。
松永久秀と同じ、今の奈良県を支配域におく戦国武将の筒井順慶は、三好三人衆に味方します。

後に、三好一族と松永久秀の両者の争いには、織田信長が加わり、大きな展開を見せますが、最終的には、すべての人物たちは、信長に飲み込まれていきます。
誰も、信長の絶大なチカラに対抗できず、上手にすり寄ることもできなかったということです。

多くの戦国武将たちは、この展開から、多くのことを学んでいったのだろうと思います。

* * *

「麒麟がくる」の第22回の放送内容は、なんとなく時代の説明調の台詞も多く、派手なアクションシーンがなく、一見、地味な展開にも見えますが、長い期間を含んだ大きな歴史的事項が、かなりたくさん詰まっていたと思います。

歴史ファンならともかく、純粋なドラマファンには、少しわかりにくい内容かもしれませんね。
もともと戦国時代の畿内の、複雑な人間関係と争いのお話しなので仕方ありませんが…。

* * *

ドラマの中の明智光秀は、この時に、すでに朝倉義景に見切りをつけている雰囲気がいっぱいですね。
朝倉義景に限らず、どの戦国武将も、軽々に畿内に攻め込むなど、もってのほかです。
あの近江国の六角氏でさえ、義輝に加担し過ぎて、三好長慶と戦うことを途中で回避したくらいです。

足利将軍家が絡むと、通常の武将どうしの戦いが、別の意味を持ち、複雑な展開にもなりかねず、同時に多くの敵を相手にすることにもなりかねません。
相当な武力と政治力を持っている戦国武将でなければ、まず畿内に入り込んでくるのは難しいと感じます。
そして、もし入り込むのであれば、松永久秀という人物を利用するのは欠かせない気がします。

信長が、1559年に京の足利義輝のもとにやって来た時、三好長慶には会わずに帰国します。
ですが、大河ドラマの中では、松永久秀とは面会し、久秀がその信長の行動に驚いていましたね。
信長は、近江国の六角氏ともこの頃に親密です。

この翌年の1560年に、大陰謀で桶狭間での勝利を手にする信長ですから、この時に、三好長慶や一族の状況を把握していないはずはないと思います。
信長が、漠然ではあっても、すでに、いくつものアイデアを持っていたのは間違いないだろうと感じます。

* * *

畿内一円や、朝廷と幕府のある京都を制する者が、「天下の覇者」に直結するというのは、誤りではないと思いますが、まずは、そこにいる足利将軍、三好一族、松永久秀を何とかしないと、その先は難しいですね。

さらに、信長にとっては、京と尾張国の間にいる勢力、特に、六角氏、浅井氏、朝倉氏、そして美濃国の斉藤氏の存在とその中の権力構造に、目を光らせておかないと、戦略的に何も行動できません。

畿内および周辺地域は、あることをきっかけに、さらに大きな嵐が吹き荒れることになります。

* * *

それにしても、戦国時代後期の畿内の事情をドラマ化するのは、非常に難しいですね。
とにかく、裏切りや和睦が多すぎて、視聴者も状況把握するのが非常に難しいと感じます。
これは戦国時代の地方の武将たちも同じであっただろうと思います。

地方の武将たちから見たら、目まぐるしく敵味方が入れ替わり、将軍もチカラを発揮できず、そこにさらに、大きな武力を持った仏教勢力どうしが戦っているのですから、なかなか手を出しにくい畿内の状況ですね。
だからこそ、チャンスがたくさん転がっていたのかもしれませんね。

ただ、確かにひとつ言えることは、影響力あった人物がいなくなった瞬間に、時代は大きく変わるということです。
そこまで我慢してきた、チカラを温存してきた、あるいは静観してきた人物たちが、一斉に動き始めるのです。
これは、いつの時代も同じですね。

戦国時代後期であれば、それを予測していた武将もいれば、それに流されていった武将もいました。
大きな河に流されて、生き延びられるほど、戦国時代は甘くありませんでしたね。


◇コロナ関連

第22回「京からの使者」は、新型コロナ問題での放送中断明けということもあり、かなりコロナ問題に関連したようなシーンが、長い時間で割かれていましたね。
医者の東庵(演:堺正章さん)と、助手の駒ちゃん(演:門脇麦さん)の、薬を巡る激論の中には、世代間の思考格差問題も含まれていましたね。
ひょっとして、大河制作スタッフの中にも、世代間の思考格差問題があるのかと勘ぐってしまいました。

いずれにしても、治療薬やワクチンの問題は、これから現実の今の社会で大きな問題となっていく内容ですね。


◇たまの登場

明智光秀の家の中のシーンでも、妻の熙子(ひろこ / 演:木村文乃さん)が、特別な鯛の料理を、細川藤孝に出してきて、光秀がびっくり仰天していましたね。
ということは、今後、熙子さんにまつわる、あのエピソードが登場してくるのか…?
あるいは、このシーンで打ち止めか…?

* * *

もうひとつ、光秀の娘の「たま」が赤ちゃんとして登場してきました。
明智家を訪れた細川藤孝の顔を、「たま」がじっと見つめて、家族も藤孝もびっくりでしたね。

もちろん、この「たま」が、後の「細川ガラシャ」です。
細川藤孝の息子の細川忠興の正室になるのが、この「たま」です。

戦国時代ですから、明智家であろうと、細川家であろうと、武家に生れたからには、壮絶な戦いの真っ只中で生きていくことにかわりはありません。
彼女には、「本能寺の変」の女性版のような最期が待っていましたね。

ドラマの中のこの家には、この時に、たまの姉も登場していましたが、「たま」は三女か四女のどちらかで、本当は、この家の中に、娘があと二人か三人いるはずです。
光秀の子供たちのことは、またあらためて書きたいと思いますが、同じ姉妹でも、この「たま」がもっとも壮絶で悲劇的な人生でした。

細川藤孝の顔を見つめてしまったことが、悲劇のはじまりだったのか…。


◇お坊さま

後の15代将軍になる足利義昭(演:滝藤賢一さん)も、覚慶(かくけい)という名の「お坊さま」姿で登場してきましたね。
すでに、「切なさ」や「むなしさ」を何か感じさせるような雰囲気いっぱいです。

「あれぐらいしかできない…」という台詞も、この先の人生を物語っていますね。
これからの放送回で、俳優の滝藤賢一さんの、しわくちゃの「切な顔」が目に浮かびます。

今回の大河ドラマでは、私が勝手に想像していた、はちゃめちゃな足利義昭像ではなさそうです。
向井理さんが演じる13代将軍の足利義輝もそうですが、室町幕府の5代目以降の将軍は、自身の意向で幕府運営などできません。

父も母も同じ、足利義輝の弟である足利義昭も、将軍という宿命に苦しめられることになりますね。


◇意中の人

この二人(義輝と義昭)の母は、関白であった近衛向通(このえ ひさみち)の娘の「慶寿院(けいじゅいん)」です。
「麒麟がくる」の第23回に登場してくるのかどうか、わかりませんが、悲劇的な最期をむかえます。

「麒麟がくる」に登場する関白の近衛前久(このえ さきひさ / 演:本郷奏多さん)は、前述の近衛向通の孫です。

架空の人物の伊呂波太夫(いろは だゆう / 演:尾野真千子さん)は、近衛家に拾われたと言っていましたから、近衛向通の息子の近衛稙家(たねいえ)のことも慶寿院のこともよく知っているはずです。
もちろん義輝や義昭のことも、よく知っていることでしょう。
この近衛稙家の娘が、足利義輝の正室になるのです。

伊呂波太夫に関わりの深い人物たちが、この後、大きなうねりの中に巻き込まれていきますから、彼女の感情にも相当に影響しそうですね。
彼女は、信長にも、帰蝶にも、久秀にも、光秀にも、駒ちゃんにもつながっていますね。
「麒麟がくる」のどこかのシーンで、たしか徳川方の菊丸(演:岡村隆史さん)にも、にらみを入れていました。

伊呂波太夫という存在は、意外と重要なキーポイントで、これからも登場してくるのかもしれませんね。
彼女の意中のお方、「貢いでいる男」とは、いったい誰のことなのでしょう。
意外な人物なのか…?
ドラマの中の松永久秀(演:吉田鋼太郎さん)は、ガッカリ…。

個人的には、伊呂波太夫と駒ちゃんには、光秀の生涯を見届けてほしいと感じてはいますが…。
伊呂波太夫は、意中の人とともに、大河ドラマを去るのか…。

* * *

それにしても、戦国時代のこの時期の「京よりの使者」に、うかつに応えるのも不安ですね。
とっととお引き取りいただきたいものです。

使者次第で、歴史が変わったりもします。

明智光秀は、この使者への対応がよかったのか、悪かったのか…。
歴史の表舞台に向かうことがよかったのか、悪かったのか…。
山の谷あいで、静かに暮らしていけたのに…。
源氏武士の性(さが)なのか…。
周囲が、それを許さなかったのか…。

「たま」ちゃんの顔を見るのが、切ない…。

* * *

コラム「麒麟(37)辞世の言葉」につづく。

 

2020.9.8 天乃みそ汁

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