NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。明智家の希望と、織田家の失望。朝倉義景の一乗谷。称念寺と新田義貞。値打ちと危機。かまどの道三。

 

 

麒麟(17)人間の値打ち・希望と失望


コラム「麒麟(16)老兵は死なず」では、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の第十七回「長良川の対決」に関連し、「長良川の戦い」のことを中心に、道三と高政の親子のこと、老兵の最後の選択のことなどを書きました。

今回のコラムは、「麒麟がくる」の第十八回「越前へ」に関連し、明智家の希望と織田家の失望のこと、台詞の中にあった「人間の値打ち」などについて書いてみたいと思います。


◇希望の光

私の個人的な印象ですが、今回の大河ドラマでは、ものごとが比較対象するようなかたちで描かれていることが多いように感じています。
今回は、明智家と織田家の生き方や、今後の道筋の違いが、暗示されているようにも感じます。

さて、第十八回「越前へ」では、駒ちゃんを子供の頃に助けた侍の「種明かし(たねあかし)」がされましたね。
意外にあっさりと、されてしまったようにも感じます。

今回の内容は、「鶴の恩返し」ならぬ、「駒(馬)の恩返し」といったところ…。
とはいえ、やはり駒ちゃんの行くところ、居るところ…、そこには何かの希望や光があらわれるようです。

光秀の母の牧は、恩返しをしたかった相手が、すでにこの世の人ではなかったことを知った駒に、言います。
「いつの日か…、麒麟は来る」と。

この様子を見ていた光秀は、水色桔梗の旗のもと、今の自身の迷いを、刀で断ち斬ろうとします。

* * *

ドラマの中で、光秀一行は、越前の朝倉氏の領地に逃れてきて、貧しいながらも、一時の平穏な暮らしを手にしますが、これは、駒ちゃんや、光秀の父の光綱(みつつな)の「お導き(おみちびき)」だったともとれます。

もちろん、史実では、明智光綱が光秀の父であると確証を得られているわけではありませんが、かなり可能性が高いとも考えられています。
この光綱は、あの斎藤道三に討たれたという話もあります。

大河ドラマの中では、光綱、光秀、道三の関係性については、あまり深くは触れていませんね。
実際に、道三と光秀が、お互いをどのように考えていたのかは、私には、まったく想像できません。
道三は、まさに下克上(げこくじょう)の申し子です。
下克上は、そこらじゅうに、複雑な人間関係と人間心理を生んでいきましたね。

* * *

ドラマの中で、光秀は、大切な父の形見の数珠を質屋に預け、金に換えようとします。
形見の数珠よりも、大切なものを守りぬく選択をするのです。

ドラマの中では、結果的に、妻の熙子が、光秀に内緒で、その数珠を手放さずに残しましたね。
今回の大河ドラマでは、道三の最期といい、数珠は大切なアイテム(品物)のようです。

* * *

歴史的な史実から考えても、もし光秀が、ここで数珠を手放すことをためらうような人物だったら、おそらく、戦国時代に生き残っていく武将にはならなかったでしょう。

史実として、光秀家族は、この越前の一乗谷から少し離れた称念寺(福井県坂井市)の近くで、10年近く、ひっそりと暮らします。
その時の詳細はあまりわかっていません。
ただ、戦争や政治の争いとは無縁の平穏な暮らしであったのかもしれません。

皆さまは、どうでしょうか…?
30歳前後に、武士として立身出世の可能性などはなくとも、家族とともに平穏に食べていける暮らしを10年ほど過ごしたときに、それを捨てて、新たな道に進みますか…。
光秀に、この10年は、唯一、あまりにも静かな平穏なひとときであったのかもしれませんね。

光秀一家の最期を考えると、このままの越前の暮らしのままであったなら…と、涙が出そうです。
こんなに悔いが残る(?)、厳しく苦しい最期であるなら…。
この方々の人生とは、いったい何だったのか…。


◇秘密は称念寺にあり

光秀の人生を考えると、いろいろな歴史の史実やつながり、人間たちの関係性だけでは、説明できない、何かの不思議なチカラを感じるようなことが多くあるような気がします。

前述の称念寺は、実は、あの新田義貞の菩提寺なのです。

新田義貞とは、南北朝時代に南朝の最有力武将として、室町幕府をつくった足利尊氏の北朝と戦い、壮絶な最期をむかえた南朝の英雄です。
今でも、朝廷(天皇家)に非常に忠実に従った歴史上の忠臣武将のひとりとして名前が挙がる武将ですね。

実は、この新田氏も、足利将軍家も、光秀の祖の美濃源氏も、みな、もとをたどれば、清和源氏であり、河内源氏なのです。
南北朝の分裂は、複雑な人間関係はあったとしても、北朝は、いってみれば足利尊氏を中心とした将軍家の勢力で、南朝は後醍醐天皇からの天皇家に忠実な家臣の集まりです。

美濃源氏の土岐氏は、この戦いの時に北朝側でしたが、戦に敗れ、お家が途絶える寸前までいきましたが、何とかお家が続くことになり、ずっと後に土岐明智氏が生まれてきます。

* * *

光秀が、称念寺の近くに住んだのが、偶然であるとは思えません。

光秀が、越前のこの地にやって来たのは、本当は誰の導きでもなく、新田義貞が光秀を呼び寄せたのかもしれませんね。
義貞が、光秀の身体を借りて、足利将軍家に復讐をしようとしたのかもしれません。

後醍醐天皇や新田義貞の怨霊を、足利将軍家はしばらく恐れ続けています。
光秀は、称念寺で、新田義貞のことを、相当に勉強していたに違いありません。

平穏な10年間に、光秀は、本当は何を考えていたのか…。
光秀は、その後、織田家の最有力家臣のひとりとなって、足利将軍家を滅ぼします。

光秀が、一時は、先祖の敵であった足利将軍家をどのように思っていたのかは、よくわかりません。
もとはみな、同じ清和源氏なのです。
どのような感情を、自身の中に抱えていたのでしょうか…。

平氏の末裔だという織田氏とは、まったく関係性が違う気がします。

あまりにも、不思議な縁と歴史のつながり…、光秀は、誰かに「選ばれた武将」であったのかもしれませんね。

* * *

大河ドラマで、光秀は、足利将軍家や細川氏とは、非常に密接で、懇意を通じた仲のように描かれています。
人は、さまざまなものを背負いながら生きていきます。
複雑な状況や感情を乗り越えながら、生きていかなければなりません。

光秀の心理は、そうそう簡単に分析できるようなものではないのかもしれませんね。
「本能寺の変」は、その極みともいえそうです。


◇人間の値打ち

第十八回の中では、希望あふれる印象的な、光秀の台詞がありました。

光秀と、光秀の母の牧(まき)との会話です。

光秀は牧に語り始めます。

「私は戦(いくさ)が好きではありません。
勝っても負けても、戦は戦でしかない。
戦に赴くことは、武士のさだめと思っておりました。
(略)
されど、負けて、すべてを失ってみると、おのれの無力さだけが残るのです」。

牧は、亡き夫(光秀の父)の言葉を光秀に語ります。

「(略)人には、浮き沈みがある。
武士には勝ち負けがある。
沈んだ時に、どう生きるか。
負けた時に、どう耐えうるか。
その時、その者の値打ちが決まる」。

* * *

光秀は、亡き父の光綱との思い出と、父の言葉を、思い出します。

「馬は、誇り高き生きものぞ。
勝っても負けても、おのれのチカラの限り、走る。
遠くへ。
それがおのれの役目と知っておるのじゃ」。

光秀は、晴れ晴れとした表情で、決意します。
「われらも、そうでありたい。誇り高く…」

* * *

光秀の父の光綱と、駒ちゃんは、「希望」を光秀たちに残して、越前を去っていきます。

駒ちゃんは、これからも光秀一家に、「恩返し」し続けるのでしょうね。


◇朝倉義景

第十八回から、ユースケ・サンタマリアさんが演じる朝倉義景が登場してきましたね。

今回の大河ドラマには、いわゆるイケメン系の俳優さんとは別に、かなり個性的で、独創的な雰囲気の俳優さんが、その武将やドラマイメージに合わせたかたちで、個性たっぷりに登場してきますね。

吉田鋼太郎さんが演じる松永久秀、滝藤賢一さんが演じる足利義昭、尾美としのりさんが演じる土岐頼芸、上杉祥三さんが演じる平手政秀、村田雄浩さんが演じる稲葉良通、岡村隆史さんが演じる菊丸など…、そのキャラの濃さと個性は格別です。

本木雅弘さんの斉藤道三は、個性とイケメンの融合でしょうか。
ここに、かなり個性的な雰囲気の朝倉義景が加わりました。

* * *

今回の大河では、朝倉義景の風変りな個性が際立っていますね。
台詞の中から、さまざまな異様さと個性が表現されています。

実際の義景の詳しい人物像はよくわかりませんが、史実から、想像させるものは多くあります。
ドラマの中の義景は、彼の台詞から、自分に共感した相手には上機嫌なのに、相手から「いやみ」などを言われた際には、非常に強い抵抗感を示す感情や表情を出します。
そして、その「いやみ」や反応に、すぐさま対抗するのです。

戦争やもめごとには関わりたくないという台詞もありました。
この台詞は、後々、大きな意味を持ってくるのでしょう。

* * *

朝倉義景も、野心いっぱいの戦国武将ではあったのは確かですが、どのくらいまでの野心であったかは、私にはわかりません。
義景は、ある意味、生まれながらのエリートのサラブレッド武将です。

朝倉家は、下克上で、すでに大きな名門武家にまで成長し、本拠地の越前国(今の福井県中北部)の一乗谷(いちじょうだに)には、京の都の文化や繁栄がしっかり伝わってきています。
とはいえ、戦国時代としては、かなり古いタイプの山城と城下町のままです。
義景が、城や城下町、これから来るであろう新しい戦国時代の戦い方について、どの程度まで予見できていたかは、よくわかりません。

ドラマの中の義景は、もはや、実際の戦争やもめごとを避け、政治闘争で領国を守り抜くような姿勢にも見えてきます。
もはや、どちらか片方だけでは、生き残れない壮絶な戦国時代が、目の前まで来ていました。
光秀が、越前に逃れてきたことを、義景が、どのようにとらえていたかは、私はよくわかりません。

* * *

私は、いつも思うのですが、戦国時代の各地の戦国武将たちは、自身がどの程度の深刻さで、壮絶な戦国時代の渦中にいると理解していたのでしょうか…。
現代人は、歴史から、その深刻さや、武将たちの思惑、それぞれの軍事力の力量を理解していますが、その時代のその場にいた武将たちは、いったい どうだったのでしょうか?
武将によって、その認識には、かなりの個人差があったのだろうと、私は思っています。
まして、一乗谷では…。

* * *

ドラマの中では、光秀が座っていた板張りの床を、念入りに掃除させる、義景の姿が描かれていましたが、たしかにこのような潔癖症の持ち主であれば、あの一乗谷の整理し過ぎのような町割りの区画が想像できなくもありません。

現代の都市計画からみたら、いけない都市計画なのかもしれませんし、このままでは、これからやって来る戦国時代では役に立ちそうな山城や城下町ではありません。

* * *

ドラマの中で、もし光秀が、義景からお小遣いのお金をありがたくもらっておけば、その直後に、光秀は、義景から大きな反撃を受けることはなかったでしょう。
前述の床掃除のシーンでは、義景の、光秀とは二度と面会したくないという強い感情が見て取れます。

それに、あれだけ きれい好きな義景です。
光秀がお金を受け取っていれば、義景は、光秀に金ぴかの豪邸を与えたでしょう。

あえて、あのような人の住めないような家を、光秀一行に与えたはずはありません。
勝手に越前から出て行ってくれたら、最良ということなのでしょう。

ドラマの中で、義景は、自身の善意に応えない、喜びもしない、感謝もしない、こびも売らない、そんな光秀を一瞬で見限ります。

* * *

かなり後のことですが、「朝倉義景など、見限る…」という光秀の行動を考えると、ドラマの中の義景の対応ぶりや描き方、光秀から見た義景像も、よくわかるような気がします。

義景は、歴史的に見ても、政治的な戦術や闘争が巧みであったのは間違いないと思います。

前述したような、少し極端な正確や、強い復讐心、反発心などがあったことが影響していたのか、政治力と言う意味では、大きく能力を発揮できたのかもしれません。
ただ、政治闘争には強くても、戦争の実戦では過ちが多い武将のように、私は感じています。
何とか、先祖が残してくれた大きな軍事力で勝ててはいましたが、あの戦いの時に、もう少しこうしていたら…、ということが非常に多くあります。

義景は、後に、土岐頼芸、斎藤道三、織田信長などと同様に、家臣たちに裏切られていく武将となります。
最後も、自身の判断ミスと、見識の不足のように感じます。

勝ち残る武将は、勝てる相手しか敵に回さないというのも、あながち誤りではないかもしれません。
秀吉と家康は、完全にそのタイプでしたね。

ある意味、この義景の中途半端な存在感が、賢い光秀と、天才軍人の信長のつながりを復活させることになりますね。
ドラマでは、おそらく帰蝶がカギになりそう…?

* * *

朝倉義景の「義」の文字は、足利将軍家の名前に使われている「義」の文字なのです。
そして、あの細川藤孝とともに、足利将軍家が、越前にやって来るのです。

前述しました、光秀の幸せ?(充電中)の10年は、終わることになります。
光秀の行くところ行くところ、そこには争いがやって来ます。
争いや戦いが、光秀を追いかけてくるようにさえ感じてしまいますね。
新田義貞が、戦いのために、日本中を駆け回っていたように…・

光秀は、どのように考えていたのでしょうか?
もはや自分の人生は、戦いからは逃げられない…。
戦いが追いかけてくるからには、自分から挑まなければならない…。

私の印象では、織田家臣団の中で、もっとも責任感の強そうな武将が、光秀です。
そこまで責任を果たさなくても…、そこまで思いつめなくても…、他の家臣は結構いい加減なのに…、信長の言葉を借りれば「このキンカ頭」…、私の個人的な印象です。

それにしても、生涯、戦い続けなければならない人生とは、さぞ つらいことでしょう…。
でも、父の光綱が言うように、光秀は、馬のように走り続けなければなりません。
最期の瞬間まで、誇り高く…。


◇「値打ち」と「危機」

人間の値打ちについて、ドラマの台詞を前述しました。

ドラマの中の朝倉義景に限らず、人は、手を差し伸べた相手が、それに応じず、期待通りの態度を示さないときに、どのような気持ちや態度をとるかで、その人間のさまざまなことがわかったりしますね。

あくまで個人的な印象ですが、織田信長は、意外と何度も相手に(考え直すように)チャンスを与えるタイプだと感じます。

豊臣秀吉は、相手の反応にあわせて、もし相手が敵意を示さなければ、自身の手で何とかしようと、あの手この手で策略を巡らすタイプに感じます。
相手が敵意を示したら最後、問答無用の厳しさで対応します。

徳川家康は、言葉や行動だけでは判断しません。
じっくりと相手の真意を探りまくります。
弱みが見つかれば、そこを巧みに徹底的につきます。
そして、真意をコントロールしようとします。

三人とも、その対応には大きな差があるように感じますね。

* * *

第十八回のドラマの中では、尾野真千子さんが演じる、旅芸人一座の女座長で、今回越前入りを手引きした太夫は、光秀にこう言います。
「(義景が金を)くれるというものを、もらっておけばいいのに…」と。

当時でも、現代でも、たいていの人は、金を受け取るでしょう。
その場しのぎ…、命あっての…、明日のおまんまの…、困ったときの…何とやら、私だけでも…、は確かに誰もが思うものだと思います。

光秀は、太夫に言います。
受け取らなかったのは、自身のためではなく、周囲から自身を助けてくれた人に迷惑をかけないためだと…。
そう言って、太夫にきちんと御礼の言葉を言います。

今、世界はコロナ騒動の最中です。
ひょっとしたら、本当に危機に強いとはこうしたことなのかもしれません。
むしろ、こういう人間が危機を乗り越えられるのかもしれません。
凡人の私には、判断できないような課題です。


◇二人の「望」

先ほど、個人的な印象ですが、織田信長は、意外と何度も相手に(考え直すように)チャンスを与えるタイプだと感じますと書きました。

第十八回では、信長が、弟の信勝を暗殺するシーンが登場してきました。
ここでも、信長は、弟の信勝に、最後のチャンスを与えていますね。

弟に、幾つかのハードルを用意してあげますが、弟の信勝は、そのハードルを自らまったく越えようとしません。
最後に謝罪の言葉を述べますが、時すでに遅しです。

貧困だが、希望と誇りに満ちあふれているような明智家と、暗雲の中の織田家は、非常に対照的に見えてきます。

織田信長には、希望ではなく、失望の連続です。
たいへんな量の「失望」の中から、大いなる「信長の野望」が生まれてきたのかもしれませんね。

光秀の「望」と、信長の「望」は、いずれ共にする時をむかえますが、合い入れるものなのかどうか…。


◇壮絶なシナリオ

「麒麟がくる」の中の戦国時代は、いよいよ織田信長が中心になって動き出す直前をむかえそうですね。

上杉も、武田も、北条も、毛利も、三好も、松永も、朝倉も、浅井も、細川も、比叡山も、本願寺も、日本中が、信長から目を離せなくなります。
日本全体を巻き込んで、幾度となく繰り返される、織田信長軍団をおさえこむ「信長包囲網」が、どこまで詳しく、今回の大河ドラマで描かれるのかわかりませんが、時代は、戦国時代最大の激闘期間に入っていきます。

世界各地のいわゆる最初の「皇帝」たちは、みなこうした敵の「大規模包囲網」を突破して、絶対的な地位まで駆け上がっていきますが、日本の戦国時代の場合は、信長がそれを行います。
秀吉と家康は、ある意味、その土台を、さらに大きく固く、築いていくことになります。

* * *

ここからの戦国時代の戦いの構図や、人間模様は、まさに「事実は小説より奇なり」です。

こんな、壮絶なシナリオは、世界中のどの小説家にも書けないでしょう。
人間の想像力からは、こんなシナリオは生まれてきません。

今のコロナ騒動の動きも、筋書きのないシナリオの上を歩いている、まるで、その場しのぎの非力な人類のようです。

この二つのシナリオは、人間の手が届かない場所にありそうです。

書けるとしたら、「麒麟さま」しかいませんね。


◇「かまど」の道三

第十八回の中で、私が一番、気に入った台詞は、駒ちゃんの何気ない台詞です。

光秀一行が、越前の新しい家に初めてやって来た時に、その家の中で、駒ちゃんは悲鳴を上げます。
「ひゃ、竈(かまど)から、へびが…」。

私の頭の中に、「本木道三」の顔が、瞬間的にあらわれました。
マムシの「道三さま」は、しっかり光秀一行について来たのでしょうか…。
どこかで見守っているのでしょうか…。

「麒麟がくる」の中で、「道三さま」が消えていないことがわかって、私は、少しうれしい気持ちになりました。
「麒麟がくる」の中に、本木道三は、たいへんな遺産を残していきましたが、またいつか、復活再登場は、やはりありそうな気がしてなりません。

それにしても、「麒麟がくる」のドラマは、最終回まで、誇り高く、しっかり作ってほしいものです。
希望が失望に変わらないことを願うばかりです。

「麒麟がくる」の値打ちは、誇り高い大河自身の制作サイドと、常勤(?)の視聴者たちが決めるのでしょう…。

 

* * *

コラム「麒麟(18)命を使いきる」につづく。

 

 

2020.5.24 天乃 みそ汁
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