NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。見せかけの大うつけ。松永久秀の陰謀。四人の円形劇場。壮絶な京都での争い。家臣の分析評価。明智光秀・足利義輝・細川藤孝・三渕藤英。中居正広さん・向井理さん。

 


 

麒麟(11)後悔などあろうはずがない


前回コラム「麒麟(10)本能寺門前の巌流島」では、日野富子のこと、佐々木小次郎と宮本武蔵の巌流島のこと、塚原卜伝の鹿島新當流のこと、足利将軍後継者争いのことなどについて書きました。

今回のコラムは、大河ドラマ「麒麟がくる」第六話に関連した内容で書いてみたいと思います。


◇中居正広さん

本コラムは、歴史を中心にしたコラムではありますが、今回はまず、ある男性アイドルのお話しから書きます。

先日、タレント・アイドルグループの「SMAP(スマップ)」のメンバーであった、中居正広(なかい まさひろ)さんの退所・独立のニュースを、テレビで見ました。
長時間の会見だったようですが、私はそのうち、30分あまりの一部分だけを見ました。
後は、芸能情報番組で見た程度です。

タレントというだけでなく、会社経営者として、ビジネス界に入ってくるとなれば、もはや会見を見るしかありません。
彼が、タレントとして、またビジネスマンとして、今後どのような軸足で活動されるのかは、まったく知りませんが、ビジネスマンとして、どのような会見を行うのか、非常に興味を持ってテレビを見ました。

会見は、ほぼ芸能人としての内容ではありましたが、今回ここで書く内容は、一応、いち歴史ファンの目線として書きたいと思います。
アイドルファン目線でも、主婦目線でも、学生目線でも、芸能記者目線でも、もちろんありませんので、彼について見当違いの内容もあるかもしれませんが、いち歴史ファンの戯言(たわごと)とご理解ください。


◇鮮烈デビュー

戦国時代に、織田信長が、大有力武将の今川義元を「桶狭間の戦い」で倒して、天下取りレースに、華々しく登場してきたのは、彼が27歳のときです。
今川義元は42歳でした。
信長がしむけたともいえますが、今川義元は、完全に信長をなめきっていましたね。

これにより、武田信玄や上杉謙信などの有力大武将たちは、織田信長への見方を一変させます。
斎藤道三は、その戦いの時点では、すでに亡くなっていましたが、それ以前の信長の行動で、信長がただ者ではないことは、見抜いていましたね。
もちろん明智光秀もわかっていたはずです。
信長を「大うつけ」と言っていたものたちは、皆、歴史から去っていきました。

信長が、中規模の武家の単なる「跡取り」から、一躍、戦国界の有力武将として鮮烈デビューしたのが、この27歳です。
これは、跡取りが初陣を飾ることや、親の七光りで戦に勝つのとは、まったく別の意味です。

「この人物は、あなどれない」と周囲が感じた時なのです。


◇のんびりいく中居さん…

さて、私は、中居さんの会見の語り方や姿勢、見せ方、衣装、発表のタイミングなど、その「そつ」のなさに、非常に感心しました。
内容はともかく、これは、タレントの姿ではなく、計算や思慮のできるビジネスマンという印象を強く感じました。

私は、中居さんのことを、ほぼ知りませんので、これが計算で行われたものか、彼の動物的な勘がそうさせているのかは、わかりません。
いずれにしても、その辺の有名企業のトップよりも、はるかに計算されているように感じました。
さすがに、人気商売の方で、マスコミ対応に手慣れた印象を受けました。

それに、あの会社名です。
「のんびりな会」という会社名です。

個人的には、今のビジネス的な思考から考えると、まさに、あなどってはいけない、すぐれた会社名だと感じます。
それに、この会社名には、これから先の進展の可能性を感じさせます。
早くも、人の選別を意識させます。

この会社名は、彼の直感なのか、彼の強い志向性なのか、段階的なビジネス的な措置なのか、あるいは強力なブレーンの支援者がいるのか…、私にはまったくわかりませんが、もし新しい戦国武将の登場と考えたなら、その可能性を無視できないようにも感じました。

信長、信玄、秀吉なら、「この名称は誰がつけた」と注目したでしょう。
戦国時代の場合、「どうして」に意味はありません。
「誰か」がもっとも重要なのです。

私は、今の芸能界と、戦国時代の武将の世界に、共通するものを見つけることはしませんが、芸能界の有能なライバルの武将たちから見たら、中居さんの能力は、脅威に感じるかもしれませんね。

* * *

私のような中高年の年齢では、アイドルを、もはやファン心理で眺めることはありません。
ビジネス社会において、タレントの、人気ランキングと、ビジネス的価値評価の順位はまったく別のものです。

アイドル界の大御所が亡くなった今、その地位にもっとも近いのは誰か、それを目指す人物は誰か…、また、広告宣伝の視点から見た芸能界は今後どうなるのか、テレビ放送とタレントの関係は今後どうなるのか、そもそもテレビ放送はビジネス社会の中でどうなるのか…など、ビジネスマンの目線でしか見ることができません。
個人的には、俳優さんやスポーツ選手は別の視点ですが…。

実は、のんびりしている暇など、まったくないのが、今のビジネス社会ですね。
でも、「のんびり」の姿勢も、絶対に必要なのです。


◇後悔などあろうはずがない

ひょっとしたら、中居さんの人生の成功物語は、まだまだ途中なのかもしれませんね。
「後悔する決断があってもいい」と彼は語っていましたが、たいがい、そういう言葉を表に出す人は、準備に怠りはないものです。
周到な準備、考え抜いた上での行動、責任はすべて自分がとる…、きっとそうに違いないと思います。
他人と相談しなかったという言葉の意味は、そのことだと私は受けとめました。
情報収集や知識教養の蓄積と、相談は、まったく別次元の話しですね。

イチローさんも語っていたとおり、こうしたトップを走り続ける方々には、「後悔などあろうはずがない」のです。
「後悔」などしていたら、走りが止まってしまいます。

どこかの首相の答弁ではありませんが、若干の「悔い」はあるかもしれませんが、それは「後悔」ではないのです。


言葉や映像を生業(なりわい)としている者には、この両者の言葉の間にある距離は非常にを大事なものです。

時に詭弁に利用されることもありますが、この幅こそが人間の想像力ですね。

 

イチローさんの「後悔などあろうはずがない」という言葉は、深い奥行きのある意味が込められていますね。

* * *

さて、信長や光秀は、最期の瞬間、どのように思ったでしょうか。

あなたは、「後悔など残るはずがない」生き方をされていますか…。

今、後悔していても、最期は後悔を残していきたくない気がします。
「後悔」は、「欲」といっしょに現世に捨てていきたいものです。


◇見せかけの「大うつけ」

信長も、秀吉も、家康も、時に「大うつけ」を意図的に演じました。
戦国時代の実力ある武将たちは、自分の実力を敵に見抜かれた時点で、半分は負けです。
戦に勝ってから、敵に実力を知られればいいのです。
勝ったら勝ったで、勝ったのは、時の運とか、優秀な家臣、敵の落ち度を、ことさら強調しました。

「あの人には、かなわない」と、秀吉や家康が周囲に強く思わせるのは、天下取りレースの最終局面でのお話しです。
その時は、もはや問答無用の天下人です。
信長はそこまではたどりつけませんでしたが、秀吉と家康は、意図的にそうしていました。

* * *

戦国時代、大将が、幾人かの重要家臣の実力を見抜くのに使う手法として、家臣たちに、ある事柄を分析評価させるのです。
たいてい、家臣それぞれに、分析や評価は異なります。

家臣からすれば、自身で何かを分析評価しているのでしょうが、実は大将が家臣を分析評価しているのです。
分析させた事柄など、どうでもいいのです。

それに気が付かない家臣は、そこまでの人物です。

こうしたことは、現代のさまざまな組織でも、まったく同じですね。

大企業であれば、皆さんどうぞお越しくださいといいながら、しっかりお客を選別しています。
行列を作らせるのは、集客ばかりが目的ではありません。
「ビッグデータ」とは、使う人間次第で、その価値が変わっていきますね。

* * *

大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公の明智光秀は、おそらく人間の分析力に非常に優れた人物であっただろうという気がします。
彼には、主君を選ぶ自由度が、ある程度あったと思います。
多くの戦国武将の中から、ある時点で、織田信長を選んだのは、間違いではなかったはずです。

ただ、光秀が、自分自身を俯瞰で分析評価できていたかは、少し疑問です。
周囲の相手ばかりを見過ぎて、自分自身を見ることを、少し怠ってしまったのでしょうか…。

* * *

秀吉や家康がそうであったように、主君をしっかり分析評価できる家臣を、常にそばに置いておくこと…、これは非常に大切なのかもしれません。
これは、一般の家庭でも、そうかもしれませんね。
ご主人のことは、本人より奥さんのほうが、よくわかっていたりします。
その逆もありますね。
よく、わからず屋の病人が、「自分のことは自分がよくわかっている」などと言いますが、わかっているのは本人の気持ちの部分だけです。

* * *

戦国武将がもっとも注意を払ったのは、分析力のある人物と相対したときです。
「あの人には、何をやってもかなわない」、「あの人には、何をやっても通じない」と相手に思わせてしまったら、苦言や助言が、自分自身に届かなくなるばかりか、交渉や情報戦にもなりません。

戦国武将にとって、「大うつけ」は、意図的に作り出すものであって、本当にそうであってはならないのです。

また、「あの地位に、獲(取)ってかわろう」とする人物たちは、そうそう簡単に実力を見せようとはしません。
「偽り」の姿を、偽りと見抜くのは、そうそう簡単ではありませんね。

戦国時代に乱れていたのは、社会だけでなく、人の「心」も同じでした。
その分、「眼力」は研ぎ澄まされていたはずです。

さて、そろそろ「麒麟がくる」第六話の、乱世のお話しに移りたいと思います。


◇「麒麟がくる」第六話

「麒麟がくる」第六話は、京都での将軍家周辺の武将たちの争いについて描かれました。

第六話の戦闘シーンは、「1548年」と表記されていましたが、私が調べた範囲では、史実のどこにあたるのかがよくわかりません。
ひょっとしたら、今回の大河ドラマのためにつくられた架空のお話しなのかもしれません。
もし、どこかに史実がありましたら、ご勘弁ください。

光秀が、この場にいるのも、歴史的には不自然な気もしますが、ドラマの物語としては、光秀、足利義輝、三淵藤英、細川藤孝、細川晴元、三好長慶、松永久秀の関係性を示すには、とてもわかりやすいエピソードのような気がします。

この第六話では、光秀・義輝・藤英・藤孝・長慶・久秀が何か連携しているかたちになり、細川晴元と敵対関係となって対峙している…、こういうかたちで、いったん京都でのお話しは中断となりそうです。

「ドラマで、もう京都組の俳優陣がいなくなるの…」と、さみしい気持ちになりますが、次回放送からは美濃国周辺に話しが戻るようです。

* * *

「麒麟がくる」では、京都のお話しと、美濃国や尾張国のお話しが、行ったり来たりするのかもしれません。
両方の地への、光秀と駒の移動とともに、お話しは展開するのでしょうが、上手いこと舞台転換させていますね。
とはいえ、歴史が苦手な視聴者であったなら、少し内容や登場人物が混乱するかもしれませんね。
現段階では、別の話しだと区別しましょう。

後で、第六話に出てきました細川と三好の争いの話しを書きます。


◇甘くて苦いワナ

前述のとおり、私は、第六話の戦闘シーンが、史実かどうかわかりませんので、ドラマを見た範囲での印象と想像で書きます。

この「三好長慶襲撃計画」は、細川晴元だけの計画ではなく、初めから松永久秀の計画であったと推察します。
今回の大河ドラマは、視聴者を上手にだまそうという気配が感じられます。
だまされても、それはそれで、ドラマが楽しくなるので満足できますが…。
戦国武将になったつもりで、その作戦を考えてみたいと思います。

* * *

吉田鋼太郎さんが演じる松永久秀は、最初から、この計画で細川晴元と三好長慶(みよし ながよし)の両方を同時に始末しようとしたのかもしれません。

ドラマの冒頭で、三好長慶が、連歌会への晴元の招待を断ったため、三好長慶の家臣の松永久秀は、すぐに計画変更したのではないでしょうか。
連歌会場で、晴元を討てないとなれば、ここで三好長慶だけを討つのは得策ではないと…。

伊平次とかいう人物は、おそらく久秀の重要な隠密だと思います。
伊平次の台詞の中に、「それ(鉄砲の銃心)を見て、美しいとおっしゃったのは、十兵衛(光秀)様と松永様だけです。…松永様はおっしゃっています。人がくふうを凝らしたものは、皆 美しいと。」
この場合、ち密な陰謀を、美しいと表現するのは久秀しかいないと思われます。

伊平次を通じて、あえて光秀に情報を流しますが、これは、この襲撃計画を三淵藤英と細川藤孝に伝えさせるためだと思われます。
伊平次は、三淵の屋敷まで行き、光秀が伝えるのを見届けてから帰ります。

久秀は、光秀と藤孝が行動を起こすことは予測していたはずです。
とにかく、久秀は、連歌会の会場に、光秀と藤孝を来させることが目的だったと思います。

三好長慶を襲撃した兵たちはみな、久秀の家臣と想像させるような、台詞も散りばめられていました。
久秀の家臣が、重要な武将たちを、本当に殺してしまっては、元も子もありませんから、そんなことはしないはずです。
台詞の中には、細川晴元だけがこの計画の首謀者であると、三淵藤英が思い込むような部分までありました。

もしこれが史実であれば、三淵藤英の台詞のとおり、将軍家が関わってはいけない事柄です。
このシーンでは、兄の三淵藤英と、弟の細川藤孝の、立場の違いも描かれていましたね。

ドラマの人間関係の設定上、将軍 足利義輝にもその話しを聞かせ、藤英も藤孝も他の家臣も、義輝の命令で、連歌会の会場に向かうことになります。
ようするに、将軍家と細川藤孝、それに明智光秀も加えて、三好長慶と松永久秀を救出に向かうのです。
台詞上では、三淵藤英は、計画の首謀者は細川晴元だけだと思い込んでいます。

ドラマの最後は、久秀が狙ったとおりの、「細川晴元 vs足利将軍家・細川藤孝・三好長慶」という構図が出来上がります。
視聴者の頭の中にも、その構図が描かれたことでしょう。

* * *

以前のコラム「麒麟(8)最期のむかえ方」の中で、戦国時代の「三梟雄(さんきょうゆう)」のことを書きましたが、松永久秀という武将は、斎藤道三、宇喜多直家と並んで、戦国の三悪党「三梟雄(さんきょうゆう)」と呼ばれた陰謀の名手です。
この程度の陰謀は、朝飯前だったとしても不思議はありません。

実際の歴史上の戦国時代には、こうした陰謀は数えきれないほどあります。

ドラマの中では、明確に、そうした久秀のち密な計画のようには描かれていませんが、何となく、そんな雰囲気が漂っています。
結構、複雑ですばらしい脚本だと感じます。
歴史ファンや、古くからの大河ファンは、おおいに楽しめますね。

* * *

松永久秀という武将…、自分だけでは、細川も、三好も、足利将軍家も倒せません。
上手に、周囲の人間を駒として使おうとした、典型的な武将です。
ドラマの中では、細川藤孝も明智光秀も手玉に取ろうとしていましたね。

久秀殿、甘~い「みずあめ」など、使いおって…。
光秀は、その意味を理解したのか、そうでないのか…?

そんな久秀でしたが、最後に、信長だけはワナにはめることはできませんでしたね。

今回の戦闘エピソードは、仮に架空だったとしても、よく練られた計画だったような気がします。
本物の戦国武将並み…。

戦国時代の武将たちは、このようなかたちで、敵をワナにはめていったのです。
現代の今は…。


◇四人の円形劇場

それにしても、第六話前半の戦闘シーンは、迫力がありましたね。

緊迫感といい、各武将の姿といい、実にカッコいい内容でした。
私は、ちょっと息詰まりました。
私は、ここまでの放送回の中では、もっとも、カッコいい戦闘シーンだったと思っています。

* * *

特に、光秀、藤孝、久秀、長慶が、車座の円形になって、周囲の敵に対峙する光景は、なんとも、懐かしい時代劇の光景でした。
結構 昔の時代劇では、こうした光景が多かったようにも感じます。
この円形の光景を、もっとじっくり見せてほしかった気もしますが、それでも、この四人の連帯感は十分、伝わってきました。

女性の視聴者は、どのように感じるかはわかりませんが、男性からすると、円形になって、各自の目の前にいる敵と戦うという光景は、男性の感覚からすると、何か言い知れぬ「共感」を感じるものです。

実際に人間が円形の状況や行動を行うことはまずありませんが、仕事でも、スポーツでも、これに似た役割分担と連帯感の状況は多くあります。

私は年齢的にも、実生活の中で、こうした連帯感の場面は、まずおきません。
若い頃には、このような場面があったような気がします。

時代劇のアクションシーンとしての、緊迫感の中に、なにか懐かしい「連帯感」を思い出すことができ、とてもうれしかったです。
ちょっと、ニヤっとして、何度かこの部分の録画映像を見返してしまいました。

* * *

実際の武士の戦いの中では、まずおきない円形ですが、ドラマとしては、効果絶大の演出に感じます。
かつての時代劇には、よく見られたシーンですね。

前回までのコラムで「黒澤映画」のことを書きましたが、今回の戦闘シーンは、まさに黒澤映画のようでした。
戦闘場所まで駆けつける序章から、各ヒーローたちそれぞれのカッコいい登場場面、足元に敷き詰められた真っ赤な紅葉、刀を投げつけてからの光秀の顔(ちょっと笑ってしまったが抜群のカッコよさ)、真上からの映像など、黒澤映画のような迫力でしたね。
これこそ、全盛期の時代劇ドラマの戦闘シーンですね。

これがもし屋外のセットで、黒澤明 監督でしたら、おそらく雷鳴と大雨でも降らせたかもしれませんね。

真上からのカメラがあったのなら、前述の円形も、ぜひ見てみたかったです。
とはいえ、私は、この数分のシーンだけで、第六話は十分満足できました。

* * *

この円形の四人(光秀・藤孝・久秀・長慶)のほか、義輝、藤英も加えた六人のうち、まともに寿命をまっとうできた武将は、たった一人だけです。
それ以外は、皆、無念の最期です。
戦国時代の武将たちは、そのほとんどが、まっとうな最期をむかえられなかったということですね。


◇細川家の抗争

前回コラム「麒麟(10)本能寺門前の巌流島」の中で、細川家の内部抗争のことを書きましたが、その中の重要な部分だけを、もう一度、簡潔に書きます。

日野富子とともに、室町幕府の実権を握っていた細川政元が、細川澄之(すみゆき)の家臣に暗殺され、細川澄元(すみもと)が澄之を討ちます。
澄元の重臣が三好之長(みよし ゆきなが)です。
その後、細川高国が細川澄元を倒します。

細川澄元の子の細川晴元が、三好元長とともに、細川高国を倒します。
細川晴元は、三好元長を裏切って、12代将軍足利義晴と手を組みます。
三好元長は、晴元によって自刃に追い込まれます。
三好元長の子が、三好長慶です。

三好長慶は、細川晴元と和睦し、その家臣となります。
三淵家は、将軍 足利義晴の重要側近で、細川藤孝の養父の細川元常は、細川澄元の家臣です。

三淵藤英は足利将軍家大事、細川藤孝にとって長慶は宿敵で細川晴元も大嫌い、三好長慶にとって細川晴元は親の仇、松永久秀は長慶の家臣ですが野心いっぱい。
こうした状況は、第六話の中でも語られていましたね。

ここまでの内容は、前回コラムで書きましたので、第六話の冒頭に出てきました1548年までのことを、簡単に書きます。


◇美濃や尾張に負けない、壮絶な京都

細川晴元が政治の実権を握る中、前述の細川高国の養子の細川氏綱が、晴元打倒で奈良で挙兵します。
それを、晴元の家臣の、三好長慶と三好政長が制圧します。

細川氏綱は、再び兵庫で、畠山政国らとともに挙兵し、三好長慶をおさえこみます。
細川晴元は丹波(京都中央部)に逃亡、将軍 足利義晴は細川晴元を見限って細川氏綱を支持します。

細川晴元は三好長慶とともに、氏綱軍を敗走させます。
将軍 足利義晴とその子の義輝(その時の名は義藤)は近江国(滋賀県)の坂本に逃亡します。

第六話の1548年は、足利義晴と13代将軍となっていた義輝の親子が、細川晴元と和睦し、京都に戻ったばかりの頃です。

細川晴元が、いかに、前述した足利義輝、三淵藤英、細川藤孝と微妙な関係か、ご理解いただけると思います。

第六話の京都のお話しはここまでです。
次に、京都に話しが戻ってくるときには、歴史のどの時点の京都になるのかわかりませんが、第六話のように、大きな戦闘シーンが絡んでくるのだと思います。

* * *

実は、第六話のエピソードの直後と思われますが、三好長慶は、前述の細川氏綱と手を組み、細川晴元と戦うことになります。
それは、細川晴元が、同じ三好一族の三好政長と手を組んだことにも起因します。

ですから、第六話の晴元による三好長慶襲撃計画は、その直前の出来事ということになります。
細川晴元は、三好長慶や松永久秀と、いずれ戦うことになるのです。

今後、「麒麟がくる」には、長慶の後の「三好三人衆」は登場してくるのでしょうか。
谷原章介さんが演じる三淵藤英は、どうなってしまうのでしょうか。
向井理さんが演じる足利義輝は、どうなってしまうのでしょうか。

ドラマの中で、次に京都が舞台になる時は、壮絶な戦闘シーンが多いと思います。
特に、私は、向井理さんの壮絶な立ち回りを見たことがありませんので、向井理さんが演じる足利義輝の壮絶なシーンをたいへん期待しています。
相当にカッコいいのだろうな…。


◇その瞬間の自覚

第六話の中で、細川藤孝は、光秀に、京にもう少し滞在しないかと誘いますが、光秀は美濃国に帰ると伝えます。
これも架空のシーンでしょうが、もし、この時に、光秀が細川家や松永家の家臣となっていたら、光秀の人生はどうなったでしょうか。
まさに、人生の分かれ道、決断の時でしたね。
ドラマの中の光秀の言葉には、迷いはありませんでした。

そこで正しい判断が成されたかどうかは、それほど問題ではないかもしれません。
それは周囲や後世の人が決めること…。
その瞬間を、本人が自覚していたかどうかのほうが、重要なのかもしれません。

前述のアイドルの彼も、しっかり自覚し、迷いはないように見えました。
「新しい道」を、柔軟な姿勢で歩いて行くのかもしれませんね。

光秀の「本能寺の変」の際の自覚と判断は、はたして…。
そして周囲の反応や評価は…。

彼に限って…、「後悔などあろうはずがない」。

* * *

 

コラム「麒麟(12)織田入り様のお蝶様」につづく。

 

 

2020.2.24 天乃 みそ汁

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