座の歴史。金座と銀座。座頭市とザトウクジラ。信長と楽市楽座。武士は食わねど高楊枝。天正大判・慶長小判ザックザク。明治6年1月1日。

 

 

みゆきの道(11) 座頭とTheマネー


コラム「みゆきの道(10)The 浜町・後編」では、人形町や浜町の芝居小屋文化などのことを書きました。
今回は、人形町や浜町(はまちょう)にあった、もうひとつの「座」のこと、それからある人物らのことを書きます。


◇「座」って…

ここまで、浜町や人形町の、芝居小屋文化の歴史を書いてきましたが、その中で、いろいろな「座(ざ)」という用語が出てきました。

「歌舞伎座」などの劇場や芝居小屋を意味する、場所としての「座」と、「芸術座」などの演劇集団を意味する「座」とは、意味合いが少し違いますね。
近年まで、映画館などの名称についていた「〇〇座」は、もちろん場所の意味あいです。
今も、劇団の多くに「座」の文字が付いていますが、こちらはその団体組織を指していますね。
「座長」といえば、その芝居のトップの責任者ですね。

「座を盛り上げる」、「座をしらけさせる」の場合の「座」は、その会場自体や、その場の雰囲気を指しますね。
「座を立つ」の場合の「座」は、特定の席であったり、その席のある卓(テーブル)を指します。
「政権の座」、「座に就く」、「王座」の場合の「座」は、特定の地位を指します。
「座いす」の「座」は、畳などにすわっている身体の状態を示しています。
「玉座(ぎょくざ)」、「高御座(たかみくら)」の場合は、特定の地位や、その構造物や椅子自体を指します。
「星座」や「座標」の場合の「座」は、特定の点の位置を指します。
「座して〇〇」の場合は、そのまま何もしない状態や、すわった状態を指します。
「〇〇座」は、前述のとおり、演劇の集団自体や、演芸場そのもの、映画館そのものを指したりします。

現代では、このような意味あいで、この「座」という用語を使っていますが、歴史的には、各時代によって、その意味が微妙に違っており、さまざまな使い方がされていました。


◇市さん

「座頭(ざとう)」は、もともと盲目の琵琶法師をさす呼び方のひとつだったようで、江戸時代には、盲目の方々の呼称のひとつだったそうです。
あの盲目のヒーロー「座頭市(ざとういち)」は、「座頭(盲目の意味)」の「市さん」のことです。
時代劇でも、「市さん」と下だけで呼ばれていますよね。

江戸幕府は、そうした盲目や身体障害者に、排他的な独占職業を与え、その生活を成り立たせるようにしていました。
今のマッサージ業にあたる、按摩や針、灸などの仕事は、彼らに独占職業として与えられていたものです。
ですから、こうした職業自体を「座頭」とも呼んでいたようです。

* * *

平安時代は、「平家物語」を語る盲目の琵琶法師たちを「座頭」とも呼ぶ一方、そうした法師たちの互助会組織を「当道座(とうどうざ)」と呼んでいました。江戸時代まで存在していたようです。
ですから、かつては「座」を、特定の職業集団や互助会組織のような意味で使用していました。

今、劇団自体を「座」と呼ぶのも、これに近いのかもしれませんね。
芝居俳優たちの集団組織です。

* * *

前述の盲目の男性である琵琶法師の互助会の「当道座(とうどうざ)」には、身分階級が細かく分かれており、序列があったようです。
大きく分けると、最上位を「検校(けんぎょう)」、そこから順に、「別当(べっとう)」、「勾当(こうとう)」、「座頭」の四つです。
今でいえば、名誉教授、教授、准教授、講師、助教・助手などの教員階級にも似ていますね。
もちろん待遇や給料に差があり、もちろん昇格や降格もありました。
こうした話しは、古典落語にも登場してきますよね。

* * *

江戸時代までは、庶民にメガネが普及していたはずもなく、眼に異常が出ても 治療などできるはずもありません。
温泉で治るものでもありません。

先日、東京都中野区の「新井薬師」にお参りに行ってきましたが、ここは「眼」の仏様でもあります。
「目ぐすりの木」というお茶を試飲させていただきましたが、お聞きしましたら、これは、カエデの木の一種を煎じたお茶だそうです。
実際の効果は、よく知りませんが、よいお味でした。
販売もしています。

江戸時代は、テレビも、スマホも、夜のネオンもありません。
江戸時代までの人々は、現代人よりも眼に負担はかかっていなかったかもしれませんが、今とは栄養状態がまったくちがい、治療がほとんどできなかったのです。
残っている家康のメガネ「目器」でさえ、牛乳瓶の底程度のものです。
庶民は、眼の病気の対応に、お寺へのお参りや、こうした「煎じ薬」しか、なかったでしょうね。

江戸時代の「当道座」の階級や「座頭さん」は、今 想像するよりも、庶民には ずっと身近な存在だったのかもしれませんね。
「死」よりも先に来る「老眼」への恐怖は、現代とは比べものにならなかったかもしれません。
ひょっとしたら 江戸時代は、今現代よりも、盲目の方々にあたたかい社会だったのかもしれませんね。

* * *

平安時代から戦国時代までは、芝居関連にあまり「座」という用語を使っていませんが、これはもちろん、そうした演劇職業の人たちが少なかったからです。
ですが、前述の「当道座」のように、特定の職業や、職能集団の互助会組織や、組合のような集団組織を、「座」と呼んでいたそうです。

古い時代の当初は、朝廷や、大きなお寺に奉仕するかたちで集団組織を形成し、序列をつくり、利害関係をつくっていたようです。

昭和の時代に「奉仕隊」というのがありましたね。
今の状況は知りませんが、今の皇居にもそうした集団がいますね。
当初の「座」は、そうしたものだったのでしょうか…。

* * *

お寺を中心とした「座」から、鎌倉時代あたりには、商売を中心とした互助会や組合である「座」がつくられていったようです。
織手座・綿座・錦座・油座・魚座・麹座・材木座など、名称を聞くと何となく業種が想像できそうです。
今、鎌倉には「材木座海岸」という名称の海岸もありますね。

寺や神社のチカラを借りて、その職業分野の独占力を強めたことでしょう。
おそらく部外者から、税のようなものも徴収したでしょう。

後から商売を始める新興勢力の商売人たちは、新しい「座」をつくって、古くからの大きな「座」勢力に対抗し始めます。
現代のビジネス社会も、まったく同じですね。
いつの時代も、新旧のせめぎ合いです。


◇楽市楽座

そうした中、織田信長の「楽市楽座(らくいち らくざ)」が登場します。
実際には、信長よりも前に試行されていたようですが、そこはやはり絶対的な信長のチカラが必要でした。
この「楽」とは、「楽しい」という意味ではありません。
「規制のない自由がそこにある」とう意味です。

「楽市楽座」とは、規制のない、自由な市場と座がそこに保証されているという意味です。
今の言い方でいえば、既得権を排除し、税やさまざまな縛りを受けず、自由に商売してよいということです。
寺社がいろいろ言ってきても、そこは信長が軍事力で守ってあげるということです。
まあ、自由とはいっても、信長が寺社にとってかわるだけのことですが…。

* * *

とはいえ、これで、ビジネス社会は猛烈に拡大し、商売人の数も増大します。
新商売もたくさん登場します。
商売に競争原理がはたらき、適正価格が生まれてきます。

他の武将もマネをすることで、強みを持った商業都市が、日本各地に誕生していきます。
後には、大名をしのぐ強大な商売人が何人も登場してきます。

信長が、千利休を使って、日本古来の文化を牛耳る旧勢力に、風穴を開けようとしたのも、この楽市楽座の延長上のような気がしなくもありません。
信長は、それと同時に、自らの権力と財力の強大化に、それを結び付けていったのですから、さすが「大魔王」です。
既成社会を打ち破り、新しい時代をつくろうとした信長だからこそ、強行に行えたのでしょうね。

* * *

今、古典芸能の世界は、自由な分野もあれば、特定の集団で独占されている分野もあります。
「座」に「楽」をつけるのか、つけないかは自由です。
「楽」が付こうと付きまいと、今の時代の「座」は、江戸時代までの呪縛がとかれ、一般市民は、さまざまな「座」を自由に楽しむことができています。
日本的な「座」というかたちと、呼び名が、これからも続いていってほしいと思っています。

* * *

「座頭市(ざとういち)」の「座」が、中村座の「座」や、「楽市楽座」と つながっていたとは意外な話しです。
後で、ある動物とも つながっていることを書きます。


◇破壊力 バツグン!

それにしても、この「座頭市(ざとういち)」という名前とタイトル…、ものすごいインパクトですね。
この「座頭市」の名称を考えた方は、すごい発想力と歴史力だと感じます。
「市」という文字と組み合わせたところは、さすがです。
明治から昭和にかけての小説家「子母澤 寛(しもざわ かん)」が名付け親なのかもしれませんが、よくわかりません。
千葉県にいた「座頭」の伝説をもとに、つくりあげられたキャラクターです。

それにしても、昭和の時代の、時代劇ヒーローたちの名前や作品タイトルの、その「破壊力」には脱帽です。
座頭市、眠狂四郎、木枯らし紋次郎、子連れ狼、水戸黄門、銭形平次、旗本退屈男、早乙女主水之介、怪傑黒頭巾、鞍馬天狗、椿三十郎、白馬童子、暴れん坊将軍、破れ傘刀舟、大江戸捜査網、雲霧仁左衛門、鬼平犯科帳、必殺仕事人…、みな、なかなかの破壊力です。
だいたい、読むのもたいへん…。

近年ですと、刀を振り下ろすような正統派の破壊力というより、ちょっとニヤッとするコミカルな破壊力のタイトルが多いですね。
信長協奏曲、武士の家計簿、たそがれ清兵衛、のぼうの城、超高速 参勤交代、決算 忠臣蔵…。

時代もの作品となると、制作者の、タイトルへの思い入れを相当に感じますね。
時代劇は古そうで、実は新しい想像力でいっぱいかも…。

昭和の時代劇俳優さんのお名前も、これまた破壊力バツグン!
「丹下左膳の大河内傳次郎」…、若い世代の方々は、どちらが俳優名か わかりますか。
京都の名所「大河内山荘(おおこうち さんそう)」のあの方です。
おじいちゃんに尋ねてみてください。
モノマネをしてくれるかも…。

ひさしぶりに、「勝新(かつしん)」こと、勝 新太郎(かつ しんたろう)さんの「座頭市」を見ようかな…。
パパやお父さんが、モノマネをしてくれますよ。
「ああ、いやな渡世(とせい)だなぁ…」

先日、本コラムを通じて、じぃじやパパと孫の会話が増えたという感想をいただき、喜んでおります。


◇お金にまつわる「The(座)マネー」

さて、東京には「銀座」という街がありますね。
日本各地にも、同じように「銀座」という地名が残っていたりします。
まったく関係のない「〇〇銀座」という名称の商店街もたくさんありますね。

「銀座」と聞くと、何か 非常に栄えた繁華街をイメージさせますが、頭の片隅で、「ちゃりん」という音が響たりします。
「お高いんでしょ…」というママの言葉も聞こえてきそうですね。
夜の街をイメージするパパも多いかも…。
不動産屋さんも、目の色が変わったりします。

* * *

さて、「金座」は、江戸時代に、金を仕入れて銀貨を鋳造、流通させる役所施設のことです。
これが銀なら「銀座」。
銅なら「銅座」。
さらに銅や真ちゅう、鉄なら「銭座」です。

ですから、この場合の「座」は、施設建物であり、お金の鋳造という専門職能集団を意味しています。
今は地名の意味だけですね。

「金座」や「銀座」という名称が、江戸時代のいつ頃から使用されてきたかは、はっきりしていません。
ですが、江戸時代の前半にはすでに、その名称が使われています。

もちろん紙幣である、藩札や旗本札、寺社札などもありましたが、この話しは割愛します。


◇金座と大判小判

1595年、家康は、江戸幕府開府前に、すでに江戸で、金貨の「小判」を、豊臣家に内緒で極秘裏に作り始めます。
京都の有名な金匠である後藤庄三郎光次を江戸に連れてくるのです。
1614~5年の「大坂の陣」の前に、すでに経済戦争が始まっていたのです。

「金座」は江戸の後藤家の邸宅内にあり、この場所こそ、今の日本銀行本店がある場所です。
貨幣博物館もあります。

この後藤家を「大判座」と呼び、小判を作っていた小判師たち職人集団を「小判座」と呼びました。
「後藤庄三郎」は名跡で、小判の鋳造業は世襲制でした。
ですが、実力者を外部から養子としていたようです。
国の根幹を担うお金の鋳造ですから、天下の覇者を見極める一隻眼や、自分の家を律する厳格さは、必要だったのかもしれませんね。

* * *

「大判、小判がザックザク…」とか、時代劇ドラマではよく聞きますが、「大判」は金の大きな塊のようなもので、貨幣とはいえないような形状と大きさです。

秀吉時代の大判金をつくっていたのも、前述の後藤家です。
豊臣秀吉の「天正大判」も、徳川家康の「慶長大判」も、すべて後藤家がつくっていたのです。

「天正菱大判」の金含有率は72%(今の価値で7000万~1億5000万円くらい)。
「天正長大判」は76%(今の価値で2500万~5000万円くらい)。
当然、今の価値は、含有率だけでは決まりません。

江戸時代初期の大判は 71~73%。
今の価値は、鋳造時代によってさまざまです。
とはいえ、相当な含有率ですね。

豊臣秀吉の「天正大判」のサイズは、縦の長さが約17センチ、厚さが10センチくらいです。
徳川の「慶長大判」は、縦の長さが14センチ、厚さが8センチくらいです。
もはや、金塊ですね。

家康は、もっと実用的なサイズで、もう少し市場でも流通できるような「小判」を、引き抜いた後藤家の人間に、その後の幕府開府を見越して、早くから造らせていたのです。

どこの国でも、経済界からの後押しがなければ、その国を、なかなか おさめられませんね。
「黄金」をコントロールできる者が、その国の覇者になるのは、いつの時代も同じです。
今なら、株価をおさめられる政権でなければ、政権交代になるということですね。

家康の小判鋳造は、豊臣家にばれて 大きな問題になりますが、すでに「大坂の陣」への序章は始まっていました。
豊臣家は、もはや小判どころではありませんでしたね。

* * *

時代劇ドラマで、よく小判を歯で噛んで、本物かどうか確かめるという仕草がありますが、大店(おおだな)の主人ならともかく、庶民や武士が、それで判別できたとは到底 思えません。
とはいえ、定番の小芝居ですから、なかなか時代劇から はずせませんね。

含有量の低すぎる、偽の小判や硬貨が、市井(しせい)に出回らないはずはありませんね。
江戸時代までの、日本の通貨は、金・銀・銅が基本でしたが、とにかく、それぞれの通貨供給量が地域ごとに大きく異なり、安定していません。
江戸は金貨、大坂は銀貨というのも、困った日本市場です。
日本には米という基本になる価値基準も、別にありましたね。

戦国の匂いがただよう時代までは、武士の武力で何とかなったかもしれませんが、江戸中期以降は、大名家よりもチカラを持つ豪商などが次々誕生し、武士と商人の、経済や身分のチカラのバランスが相当に狂ってきて、一揆や反乱、借金踏み倒しなど、めちゃくちゃな騒動が頻発してきます。
信用社会を守るということは、大事でむずかしいことだと思ってしまいますね。
守るには、貨幣経済なのか、身分制度なのか、武力なのか、法なのか、文化なのか、思想なのか…、道徳なのか…。


◇高楊枝なんか…

ちなみに、昭和の世代は、子供の頃に「江戸時代は、士農工商という身分制度が…」という教育を受けたと思いますが、今は、そう教えていないはずです。
まず、その用語も消滅しています。
江戸時代は、もちろん身分の区分けはありましたが、統一された基準や、細かな序列があったとは思えません。
江戸後期は、もはや、ぐちゃぐちゃです。

「武士は食わねど高楊枝」という言い方がありますね。
現代の今の、この言葉の使い方は、何か やせがまんして、見栄を張っているような姿を意味していますね。
ですが、よくよく考えてみますと、江戸時代の理想と現実、整合性と矛盾が交錯した、二面性を持つ上手い表現だと思います。
庶民からしたら、「ああご立派…、武士は高楊枝でも食っとけ。こっちは武士じゃねえから、茶漬けじゃ、高楊枝なんかいらねぇ」ですね。

「士農工商」は、むしろ明治政府がつくったのかもしれません。


◇はじき飛ぶよな「銭」と「生活」

「銭座(ぜにざ)」は、銅や真ちゅう、鉄で硬貨をつくっていた役所で、江戸なら亀戸、本所(スカイツリーのすぐ近く)でした。
日本各地の都市に、銀座や銅座、銭座の跡や地名が残っていますね。
日本各地にある商店街の「○○銀座」とはまったく別のものです。

銀や銭の硬貨についての詳細は割愛しますが、いずれにせよ、金貨である大判も小判も、庶民がそうそう手にできるものではありませんでした。
大名家や、役人、大店(おおだな)の商人などしか、実際には使わなかったはずです。

そのかわり、庶民には、非常に小さな、他の鉱物の硬貨がありました。
常に帯刀が許されている侍でしか、高価な小判は、怖くて持てなかったかもしれませんね。

時代劇ドラマにも、四角い小さな硬貨や、真ん中に穴が開いた丸型の銭が、よく登場しますよね。
時代劇の必殺シリーズでも、庶民からの依頼はそうした小さな銭、大店や武家からの依頼は小判などと、変えていたような気がします。
仕事人たちの「仕事料」は、内容や人の身分で価格が決まっていたわけではなかったのです。
依頼者の身分や境遇に左右されていたのです。

この必殺シリーズ…、個人的には、人の命に相場が設定されていなかったことにも、とても好感を持っていました。
実は、仕事に対する対価ではなかったのかもしれません。

* * *

だいたい庶民は、金貨などではなく、銭が生活の主流です。
時代劇の銭形平次は、硬貨の穴に紐を通して、たくさんの銭をぶら下げていて、いざという時に、その銭を指で、はじき飛ばすのです。
子供たちは、マネをしたら、いつか数倍になって罰があたりますよ。

庶民は、小判なんかもらっても、釣りが返せませんし、そんな小判をどこで使うというのでしょうか。
小判で高級な着物や小物を買うくらいなら、庶民は食べ物を買ったり、風呂に入ったり、鍋や釜を買ったり、安い芝居を見たり、奥さんに花や安い小物でも買ったことでしょう。
街の八百屋に小判を渡しても、どうすりゃいいいのさ…、店主は釣りの金額がわかりません…。
両替屋に、いちいち走るわけにもいきませんね。

とはいえ、この銭がまた、どんな鉄なのか真ちゅうなのか、よくわかりません。
すぐに錆びるし、変形するし、今の時代からすると、よくこんなもので経済が回っていたものです。
でも、今の硬貨も似たようなものか…。
信用するって、大事ですね。

おそらく小判を使う人は、「釣りはとっとけ…」という人たちだったことでしょう。
まして、大判なんて、街に流通させるものではなく、悪代官が千両箱に、うっしっし…と言って、ため込むようなもの…。
戦時、賄賂、非常用、隠し財産などの黄金資産です。

この時代、両替屋が豪商になるはずですね。

* * *

江戸時代の貨幣価値や物価、相場、生活水準のお話しは、ここでは割愛しますが、今の大量生産・大量消費・多様な商品サービス・複雑な社会構造と比較するのは非常にむずかしいと思います。

江戸時代は封建社会ですので、現代の今とはくらべものにならないほどの格差社会です。
身分によって、生活が違いすぎだったはずですね。
社会保障やセイフティネット、大した医療もありませんから、富裕層でなければ、身体を壊した場合に、もう生きていけなくなる可能性も高かったでしょう。
庶民は、生命の危機と、いつも隣り合わせで生きていたのかもしれませんね。
だからこそ、別の価値観も大事にしたかったのかもしれません。


◇銀座

さて、「座」に話しを戻します。
「銀座」とは、江戸時代に、銀を仕入れて銀貨を鋳造、流通させる役所施設のことで、江戸時代の江戸でしたら、今の東京銀座に1612年から約190年間、その後1800年に、人形町の隣の「蛎殻(かきがら)町」に移転し、70年ほど、「蛎殻銀座(かきがら ぎんざ)」がありました。
移転のきっかけは、案の定、不正鋳造、横流しのようです。
もともと各地の鋳造専門業者への外部委託ですから、いろいろ起こって当たり前ですね。

江戸時代の最後のほうに、日本各地の銀座や銅座、銭座を、この蛎殻町に集約させたのです。

でも、このおかげで、日本各地に、転身した、さまざまな金物製造業や鋳物業者などの金属加工業が成長していったと思います。
70年後、富国強兵の明治時代がやってきます…。
江戸幕府は、明治時代の準備をしてくれていたのですね。

* * *

1809年の江戸古地図を見ると、「蛎殻銀座(かきがらぎんざ)」の隣には、姫路藩酒井家の広大な敷地の大名屋敷がありますが、この敷地は、1871年(明治3年)に西郷隆盛の屋敷となります。
この屋敷のことは、コラム「みゆきの道(8)花とお人形」で書きました。

「蛎殻銀座」の施設が蛎殻町にあったのは1868年(明治元年)までですから、西郷とは、ほぼ入れ替わりです。
とはいえ、西郷のことです。偶然とは、到底 思えませんね。

幕末に行方不明になった幕府のお金は山ほどあります…。
蛎殻町はザックザクの元締め…。
明るみに出ない歴史があるのかも…。

1868年(明治元年)に、江戸時代までの金座、銀座、銅座、銭座が消滅します。
1871年(明治3年)、明治政府により、大阪に造幣局の前身ができました。

【ちょっと補足】
日本は明治5年に、旧暦から新暦に変わります。
明治6年1月1日が、西暦のスタートで、元号の1月1日と西暦の1月1日が一致します。
明治5年は12月2日で終了し、その翌日が明治6年1月1日となります。
明治6年(1873年)から、元号と西暦が一致しますので、それまではひとつの元号に西暦がふたつありますので、ご注意ください。
ですから、前述の明治3年は、1870年と1871年の両方が存在します。
明治5年までは、西暦の日付は、日本の元号年の月日と、1~2カ月くらいのズレが発生します。
年間日数もちがいますから、一定の法則もありません。
大阪造幣局の前身ができた明治3年11月27日は、1870年ではなく、1871年なのはそのためです。
明治5年までの日本史は、西暦との関係で、こうした現象がありますよ。

* * *

下の写真は、「蛎殻銀座」があったあたりの、今の風景です。
左側の白色の建物は、以前に書きましたが、西郷隆盛が暮らしていた屋敷の跡です。

* * *

それにしても、この地域には、多くの芝居小屋の「座」だけでなく、「銀座」というお金の元締めの「座」まであったのです。
明治時代初期には、人気と商売上手の有馬家が所有していた「水天宮」もやってきました。
とことん、お金にご縁のある、まさに「The(座)マネー」の地域でしたね。





◇From ningyocho with love(人形町より愛をこめて)

ちなみに、上の写真に、不思議なクジラの像がありますね。
なかなかの「海洋感」です。
これは、クジラたちに感謝や愛を込めて、設置されているものです。

人形町が、人形芝居の小屋や職人たちが、たくさん集まっていた地域であったことは、すでに書いてきました。

実は、江戸の「からくり人形」たちが、どうして、あのように なめらかで細かな動きができるのかというと、それは職人の腕だけではありません。
クジラのヒゲこそが、その微妙な動きをコントロールする神経そのものだったからです。
クジラは、無駄にする部位がないとも言われますが、なんと「ヒゲ」を人形の仕掛けの中に使っていたのです。

* * *

昭和の戦後、世の中にクジラという生き物がいなかったら、日本人の栄養を保つことができませんでしたね。
多くの子供たちを生き延びさせてくれたのも、クジラのおかげです。
また感謝する日がくるかもしれません。

このクジラ…、「ザトウクジラ」でしょうか?
実は、この「ザトウ」とは、前述の「座頭」のことです。

盲目という意味ではなく、平安時代の「琵琶法師の姿」を意味しています。
「座頭市」と「ザトウクジラ」…、まさか間接的に つながっていたとは…。
市さんは、ご存じだったでしょうか…。

いずれにしても、クジラをはじめ、動物たちへの「感謝の気持ち」を、ずっと忘れたくないと思います。
さて、クジラの次は…。

* * *

次回のコラムでは、クジラにつづき、浜町の別の動物をご紹介します。
これがまた、すばしっこい…。


「みゆきの道(12)」に続く

 

 

2020.1.20 天乃みそ汁

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