江戸で飼われていたゾウ・マンモス展・徳川吉宗・足利義満・足利義持・新井白石・聖火トーチ

 

 

ダンボみたいに…【前編】 / 東京都 中野区(3)


コラム「お盆に思い出す / 東京都中野区(1)」と、「おいぬさま / 東京都中野区(2)」で、今の東京都中野区で飼われていた犬のことを書きました。
実は、江戸時代、中野区で飼われていたのは、犬だけではありません。
なんと、ゾウも飼われていたのです。

JR中野駅から、クルマで15分ほどのところに、「中野坂上(なかのさかうえ)」という場所があります。
新宿駅から歩けるほどの距離です。
江戸時代、ここでゾウさんが飼われていました。


◇日本のゾウさん

さて、今、日本の自然界にゾウはいませんね。
でも、大昔はたくさんのゾウがいました。

2500万年程前から日本海ができはじめ、1500万年程前には、現在の日本列島に近いものができたそうです。
2300万年程前に、アフリカ大陸とユーラシア大陸がつながって、アフリカにいたゾウの種類が、世界中に広がったそうです。
1800万年程前の岐阜県の地層からは、そのゾウの化石が見つかっているそうです。

ゾウとはいっても、現在のゾウの姿とは、鼻が長いということでは似ていますが、だいぶ顔つきはちがいます。
進化の過程では、特に牙の形状が違います。
ゾウの進化の歴史の長さと多様性は、それはすごいものですね。
重量級で四つん這いですから、もう一本、便利な手がほしいですよね。
進化とはすごいものです。

そういえば、今のゾウの前の両足は、人間が着ぐるみを着用しているようにも見えますね。
まるで、おっくうな人間のおじさんの足つきのようです。
動物園で一度よくご覧ください。
まるで、太めのズボンをはいた、おじさんの足の動きです。

* * *

日本列島にやってきた古代のゾウたちは、その後、ミエゾウ、ハチオウジゾウ、アケボノゾウなどに進化したようです。
埼玉県狭山市立博物館に、アケボノゾウの全身骨格化石があるそうです。
アケボノゾウは、250万年から100万年程前に生きていたそうです。
全身骨格を写真で見ると、かなり立派なものです。

どうしても、今の日本の風景と、アフリカの草原やアジアにいるゾウの風景が、むすびつきません。
でも、日本に、ゾウはしっかりいたのです。

先日、コラム「B級とは言わせない / 栃木県佐野市」で、佐野市の「葛生(くずう)化石館」のサイの化石の話しを書きました。
この時代の日本にいた大型哺乳類の全身骨格は、結構、日本各地にあるようです。
私は、特に化石ファンというわけではありませんが、古代動物めぐりの旅も、悪くない気がしてきました。
恐竜も悪くはないですが、ゾウ、サイ、シカなどの、よく知っている動物たちのほうが何か身近で、現実味を感じますね。


◇サウルス

それにしても、私のような中高年が子供の頃に覚えた、恐竜の立ち姿や色、名前、行動パターンが、今は変わりすぎて、少しついていけません。
今は、「ザウルス」ではなくて「サウルス」です。
「ブロントザウルス」は、今は「アパトサウルス」だそうです。

「ティラノサウルス」は、さすがに世界中に浸透しすぎて、学者さんたちは、変更できなかったようです。
「T(ティー)レックス」とか「ティラノ」とか呼んでいますよね。
昔のおじいちゃんたちは、「ちらっと、チラノサウルス」などと、よくわからないことを言っていました…。

この名前を変えられたら、私は、もう恐竜館には行きません。
恐竜名を、「ティラノサウルス」しか知らない人たちだって、世の中には、たくさんいるはずです。
映画「ジュラシックパーク」は、いったい どうしたらいいのでしょうか。

恐竜名を、新しく覚えなおすなんて、もう無理です。
私は、名前を知らない恐竜は、何でも、「ヘロヘロサウルス」で通しています。
本当は、自分が「ヘロヘロサウルス」です。
くだらないことを書きました。


◇「マンモス」と「ナウマンゾウ」

さて、地球には、400万年程前から数千年程前まで、マンモスが生きていました。
地球には、周期的に氷河期がやってきます。
マンモスは、寒さに適応して、身体に毛がたくさんはえています。
氷河期になると海面がさがり、日本列島とユーラシア大陸が陸つづきになります。
北海道にも、マンモスがやってきます。

65万年程前から、1万5千年程前までは、日本各地にナウマンゾウがいました。
長野県北部の野尻湖には、ナウマンゾウがたくさんいましたね。
このゾウも、マンモスと同様に、体毛がはえた象でした。

「ナウマン」とは、明治初期に、ドイツからやってきた、東京大学の地質学の教授の先生のお名前です。

最後の氷河期は、7万年に始まり、1万年前に終わったそうです。
氷河期が終わる頃になると、ゾウの食糧である植物の分布がかわり、マンモスも、ナウマンゾウもいなくなっていきます。

* * *

1976年に、東京都中央区の都営新宿線の浜町駅の工事現場から、三体のナウマンゾウのほぼ全身の骨が出てきました。
都心も都心、ど真ん中です。その三体が今、どこにあるのかは知りません。

素人目には、「マンモス」と「ナウマンゾウ」の違いは、よくわかりません。
姿は結構、似ています。体毛の量とか、牙の形状とかが、少し違うようですね。

ナウマンゾウの声を聞きたい方は、電話 026-258-2323 です。
電話口の向こうから、ナウマンゾウの声が聞こえます。
この電話、古代につながっている?

* * *

さて、人間は、ジャワ原人や北京原人などの原人の後、50万年から30万年前あたりに、ネアンデルタール人が生まれ、その後20万年前ごろに、クロマニヨン人が生まれてきます。

スペインのアルタミラ遺跡、フランスのラスコー遺跡などの洞窟に絵を描いたのは、クロマニヨン人です。
あの絵の上手さには驚かされますね。
現代人でも、あの絵より下手な人のほうが圧倒的に多いです。

あの絵を描いたのは、当時の画家の人たちだったのでしょうか?
「あなた、絵が上手だから、この壁に描いてみなさいよ」とかいう会話があったのでしょうか。
それとも、手振りと「オェー」とか叫んだだけで、それを伝えたのでしょうか。
絵の具は、どこで手に入れたのでしょうか。
不思議なことが多すぎます。

* * *

知的生物としての人間は、たかだか50万年から20万年あまりの歴史しかありません。
最初のゾウの仲間は、4000万年前のアフリカだというから、いかに象の進化の歴史が長いか、わかりますね。
ゾウは、生き物として、人間よりもはるかに大先輩なのです。

かつては何百種類もゾウがいたそうですが、今は、3種類(アフリカゾウ・アジアゾウ・マルミミゾウ)だけしか残っていません。
アジアゾウの中に、インドゾウ、マレーゾウ、スマトラゾウ、セイロンゾウがいます。
私たちは、奇跡的に、絶滅寸前の生き物を見ているということなのかもしれません。

今は、地球に周期的にやってくる「氷河期」と「氷河期」の間の期間です。
マンモスも、ナウマンゾウも、その寒さに適応した姿でした。
ゾウは、氷河期よりも厳しい、人間という敵と、どう戦っていくのでしょうね。


◇マンモス展

今、東京お台場の「日本科学未来館」では、2019年11月4日まで、「マンモス展」を行っています。
相当に、すごそうな内容です。
私も、期間内に絶対行くつもりでいます。

ロシアさん、よくぞ貸し出してくれたものです。
中国にはパンダ、ロシアにはマンモスなのかもしれませんね。
冷凍保存されていた毛のはえたマンモスのミイラなどを見れるチャンスが、次にあるのかとも思ってしまいます。
もちろん世界初公開展示です。
マンモスの他にも、冷凍保存されていた動物があるようです。

この冷凍保存は、もちろん自然のチカラによるものですが、これほど すごいものなのかと思ってしまいますね。
本当に地球にいたのですね…マンモス。

マンモス展 公式サイト
https://www.mammothten.jp/

それにしても、展覧会のイメージキャラクターが、タレントの「マツコ・デラックス」さんとは…。
完全に、やられました。

マツコさんが横たわるなどの、あのポスター写真2枚は、本当にすばらしいです。
「蘇(よみがえ)るのですか。蘇(よみがえ)ったのですね。」というキャッチ…、すばらしすぎます。
この発想は、まさにマンモス級です。
このポスター欲しいです。
冷凍保存します。

ポスター
https://www.mammothten.jp/#ImageVisual

このマンモス展は、東京の後、福岡、名古屋、大阪でも開催する予定のようです。
あなたの近くにも、マンモスがいよいよ、やってくるかもしれませんよ。


◇ゾウのかたち

こんなに大きく不思議な姿をしたゾウたちです。
世界中で、宗教、戦争、農業などに深く関係してきましたね。
ゾウの背に乗った神様仏様もたくさんいますね。
かつては、サーカスのスターでした。

* * *

「象」という漢字は、このゾウの姿を文字にしたものです。

ゾウが四つん這いで立っている姿を横から想像してみてください。
頭は左側、そんな象の姿を想像してみてください。
それを、頭を上にして縦にしてください。
4本の足は左側にあります。
その形をもとに、「象」という漢字が生まれたそうです。

ちゃんと、鼻も耳もある気がしますね。
何か、ゾウの全身骨格のように見えなくもありません。

見た目の姿から生まれた文字を、「象形文字(しょうけいもじ)」といいます。


◇きさ

ここから、内容は急に、本コラム「映像&史跡 fun」らしくなりますよ。
歴史好きでない方も、ちょっと、おつきあいくださいね。
最後に、ゾウさんにつながります。

日本の古事記、日本書紀、万葉集などでは、「象」と書いて、「きさ」と読むそうです。
その頃は、ゾウのキバである「象牙(ぞうげ)」を、「きさのき」といったそうです。

江戸時代の旗本で、ある時期の政治の実権を握っていた新井白石(あらい はくせき)は、学者でもありました。
こんなことを残しています。

「き」とは牙のこと、「さ」は朝鮮では「牛」を意味する、「きさ」とは「牙を持つ牛」という意味ではないか。

コラム「お盆に思い出す / 東京都中野区(1)」で、五代将軍 綱吉(つなよし)の死後の、「手のひら返し」のことを書きましたが、この先ぽうこそが新井白石(あらい はくせき)です。
彼は六代将軍 家宣(いえのぶ)のときに、政治の実権を握った人物です。


◇暴れん坊将軍の前では…

徳川家前期の教養部門のブレーンのひとつに、儒学者の林家(はやしけ)の存在がありました。
落語家の林家(はやしや)とは違います。
林羅山(はやし らざん)から始まる学問の家柄です。

五代将軍の綱吉がつくった湯島聖堂、昌平坂学問所では、林家の存在は欠かせません。
この裏で、やはり儒学者の新井白石は、煮え湯を飲まされていたのです。

綱吉に世継ぎが生まれないことから、甲府徳川家の徳川綱豊(つなとよ)は、綱吉の養子となり、家宣(いえのぶ)と改名します。
綱吉の不審死の後、家宣は六代将軍となります。

この流れを作ったひとりが新井白石です。
甲府徳川家はここで廃絶となります。
綱豊(家宣)は、五代将軍選びのときに候補者のひとりでしたが、綱吉に負けました。

六代将軍の別の有力候補が死んだ後、その直後に綱吉が不審死します。
そして、六代将軍 家宣が誕生します。

コラム「お盆に思い出す / 東京都中野区(1)」でも書きましたが、個人的には、この綱吉の不審死は、白石の一派が絡んでいると思っています。
この頃までに、いろいろな重要人物たちが、こんなに都合よく、順番に亡くなっていくものでしょうか。
こうした死はまだ終わっていません。

綱吉夫妻も、林家も、将軍候補者たちもいなくなって、一番うれしいのは誰でしょうか。
学者としても、トップに立ちます。
おまけに六代将軍は高齢で、その跡継ぎもまだ幼少です。

そのとおり、家宣は、六代将軍になってから、わずか三年で亡くなります。

幼い息子の家継(いえつぐ)は、七代将軍になりますが、やはり三年後、満七歳で亡くなります。
その間、新井白石らの側近が政治の実権を握っていました。
何か、それは恐ろしい陰謀を想像してしまいます。

そこに、八代将軍の座をめぐる激烈な抗争を勝ち残って、吉宗(よしむね)がやってくるのです。

五代から八代までの、この政争は相当に激烈です。
各将軍についていた勢力がまるごと一掃されたりします。
大奥で、ゴタゴタがおきないはずがありません。
学問の派閥や学者どうしの戦いもありました。

この抗争には、水戸黄門でおなじみの水戸光圀公も絡んできます。
名古屋人の「堅実なのに派手好き」気質をつくったといわれる徳川宗春(むねはる)も登場してきます。

吉宗は、そんな人間関係のゴタゴタのスキを上手についてくるのです。

新井白石は、六代将軍、七代将軍の時に実権を握っていましたが、八代将軍 吉宗にはじきとばされます。
「おごれるもの、久(ひさ)しからず」とは、このことですね。

* * *

大筋しか書きませんでしたが、このあたりのことは、非常に面白い歴史です。
学校の教科書にも出てきません。
こんなに、有名な人たちが登場するのに、あまりドラマ化もされません。

「大奥」だけに焦点を絞って、女性の戦いを描いた民放ドラマは大ヒットしましたね。
でも、男の政争を描いた部分はあまり入っていません。
この時代の男たちの政争ドラマは、記憶にありませんね。

たしかに、このドロドロさは、日曜夜8時の大河ドラマには、ちょっと不向きですね。
特に勇ましい戦闘シーンもありません。
暗躍、暗殺、陰謀、怨念、嫉妬、復讐…、そんな内容ばかりです。
男の政治闘争は、あまり子供たちにも見せたくないかもしれませんね。
「半沢直樹」のような存在も、見受けられません。

そんな時に、八代将軍 吉宗が、もろもろを一掃してくれたのですから、それはテレビドラマの主人公になりますよね。

桜や桃のお花見の会場も、江戸に、たくさんつくってくれました。
実は後で書きます、ゾウさんを日本に呼んだのも、吉宗です。

テレビドラマの中で、吉宗がゾウと対面するシーンを思い出せませんが、たしかに吉宗はゾウを見ています。
記述では、「江戸城の大広間から見た」とあります。

ゾウさんが暴れなくて、ひと安心といったところだったでしょうね。
でも相手は、「暴れん坊将軍」、「マツケンサンバ?」ですから、大丈夫だったでしょう。

「暴れん坊将軍の前では、暴れんゾウ!」
また、くだらないことを書いてしまいました。

でも、江戸にゾウがやってきたのは、そんな暗躍の二転三転の時代から、一時的に解放されたすっきりとした時代だったのです。
マツケンサンバの吉宗さん、さすが、やることが派手です。
もう、この話は、いらないですね。

すっきりした時代とは書きましたが、実はケチケチ倹約、増税など、改革真っ最中の時代でもありました。
吉宗さん、このまま庶民を放っておいたら、マズいかもしれません…。

さて、江戸時代にゾウが日本にやってくるお話しの前に、それまでに、日本にやってきたゾウのお話しを簡単にご紹介します。


◇ゾウと権力者

(1)初来日


ゾウの初来日は、1408年です。
室町時代で、四代将軍の足利義持(あしかが よしもち)の時代です。
このゾウは、室町幕府の将軍への献上品だったのです。
クジャクやオームも運ばれたようです。

マレーシアの富豪の所有物だったようです。
最初から献上する目的だったのかどうかはわかりません。
どうも、アラブの商人や中国の華僑が、アジア経由で動物を売りにきたようなふしもあります。
今の福井県の若狭湾(わかさわん)にやってきました。
近海で船が難破して、たどり着いたという説もあるようです。
はっきりとは、わかっていません。

当時は室町幕府の絶頂期で、お金も潤沢です。
金ピカの金閣寺ができてから、それほど経っていません。
江戸時代の、徳川政権が盤石な吉宗時代とも似ています。

義持は、京都のあの「金閣寺」をつくった三代将軍 足利義満(あしかが よしみつ)の息子です。
義満は、今でいう突然死に近いものだったようです。
脳梗塞とか、心筋梗塞のたぐいだったかもしれません。
政治的な野心に満ちあふれていたときの突然死でした。
ゾウがやってきた年、義満はゾウを見ることなく亡くなりました。


(2)足利義満

少しだけ、足利義満のことを書きます。
当時の中国の考えは、日本のトップは天皇で、次が日本国王、その次が将軍でした。
天皇は宗教的な意味あいだけで、日本国王が実際の最高権力者だと認識していたようです。
おそらく中国がそうですので、世界がそのとおりだったと思います。

義満は、自分が日本国王であって、自分が最高権力者だと外国にも大きく伝えていましたので、外国もそのように対応していたようです。
そのとおり、ほとんどの権力は、彼に集中していました。

ですから、日本にゾウを運んでこいくらいの命令は出した可能性も考えられます。
ほんとうに、たまたまアラブや中国の商人が動物を売りにやってきた可能性もあります。

* * *

さて、「貧乏人は麦を食え」という有名なフレーズが、世の中にありますよね。
現代でも、時折しっかり使われます。

これは昭和の時代に失言の多かった、ある首相の言葉からきています。
「所得の少ない方は麦、所得の多い方は米をというような経済原則にそったほうへ持っていきたい」という彼の発言がそのフレーズのもとです。
真意はともかく、国民から大反発を買いました。

この「貧乏人は麦を食え」こそ、義満の政治姿勢だったと考えられます。
貧乏人にはより厳しく、権力者や富豪には手厚く優しく…、これが義満の政治で、世の中から不満続出でした。
あの金閣寺は、豪勢な金ピカ大御殿のごく一部です。
あの隣にも、大御殿が建っていました。

息子の義持も、そんな父の横暴な振る舞いには、よく思っていなかったといわれています。

金閣寺を、美しいという方もいれば、美しくないという方もいます。
どのように見えるか、どのように見るかは、もちろん自由です。
豊臣秀吉がつくった「黄金の茶室」も同じですね。
私は、少なくとも、この茶室でお茶をいただきたくはありません。

息子の義持は、福井県から京都に運ばれたゾウと対面したそうですが、三年後の1411年に、朝鮮からの贈り物の返礼に、このゾウを朝鮮に送ります。
朝鮮でも初めてのゾウだったそうで、大歓迎だったようです。
わずか三年ではありましたが、日本で飼われていました。


(2)宗麟とゾウ

次に、来日したのは、1575年です。
なんと戦国時代です。
今の大分県の武将、大友宗麟(おおとも そうりん)のもとへ、カンボジア国王から、ゾウ、トラ、クジャクが献上されました。
宗麟は、キリシタン大名で、中国、ポルトガル、カンボジア、琉球などと盛んに貿易を行っていました。
せっかくやってきた動物たちでしたが、時は戦国時代で、大友宗麟は、同じ九州の島津勢と激しい戦闘の真っ最中です。
この船は島津軍に抑留されます。
その時の詳細はわかりませんが、動物たちは、すぐに死んでしまったようです。


(3)秀吉とゾウ

次の来日は、1597年です。
豊臣秀吉は天下統一を果たし、絶大な権力を手にし、朝鮮出兵を行っていた頃です。
スペイン領のフィリピンからやってきたマニラ総督の使節が、豊臣秀吉にゾウを献上しました。

大坂の街の大通りにゾウがあらわれて、街は大騒ぎになり、見物客が殺到し、死者も出たそうです。
ゾウは、秀吉の前で芸を見せ、秀吉も大喜びだったそうです。
どうして、その時の絵が残っていないのか、非常に不思議です。
かつては存在していたのかもしれません。
秀吉が自慢しないはずがないと思いますが…。


(4)家康とゾウ

次の来日は、1602年です。
徳川家康の「関ヶ原の戦い」の2年後です。
江戸幕府が開くのは1603年です。
実質的に、日本の最高権力者は豊臣家ではなく、徳川家康です。

1602年は、スペイン領のフィリピンのマニラ総督と家康のあいだで、朱印船貿易が始まった年です。
この頃のスペインは、本物の「無敵艦隊」がいた時代です。
さすがに最高の軍隊です。その国の権力者を見極めるチカラは見事ですね。
ゾウが、家康に献上されます。

ですが、おそらく、史料としてエピソードが見つかっていません。
江戸幕府を開く前の年ですから、それどころではなかったかもしれませんね。
テレビドラマでも、この話は、まず登場しません。


◇ゾウさんに願いをこめて…

戦国時代のゾウたちが、どのような運命をたどったかは、よくわかっていません。

いよいよ、次の来日が、1728年、八代将軍 吉宗が呼び寄せたゾウです。
これについては、最後まで、ある程度の状況がわかっています。

長崎に船で二頭のゾウが到着し、そこから京都を経て、江戸に歩いて向かいます。
日本各地で大騒ぎだったようで、空前のゾウの大ブームがおきます。
最後に、今の東京都中野区にやってきます。

今でいえば、大人気のパンダの子供が、日本各地で道を練り歩くようなものです。
東京オリンピックの聖火リレーにも似ているのかもしれませんね。

* * *

私のふるさとの信州(長野県)には、善光寺という有名なお寺があります。
数えでは7年、満では6年に一度、「御開帳(ごかいちょう)」という大行事が行われます。
これは秘仏である御本尊の代わりに、同じ姿といわれる「前立本尊(まえだちほんぞん)」を、人々に見えるように本堂に安置し、盛大に行われる儀式です。
次回は2021年の4月と5月の約2か月間です。
毎回、日本中から、かなり多くの方々が長野市を訪れます。

私は、あと何回、御開帳に行ける機会があるだろうかと気になる年齢になってきました。
その期間に、東京から、善光寺になかなか訪れることもできません。

「牛に引かれて 善光寺参り」という有名なお話しがありますが、もし自分の家の近くを、「善光寺に向かう牛」が歩いて通ってくれたら、どれほどうれしいことかと思ってしまいます。
その牛を眺めて手をあわせることで、行くことができない自分の代わりに、善光寺に無事にたどり着いてほしいと願うのです。

江戸時代に、庶民は、どんな気持ちでゾウを眺めていたのでしょう。
多くの庶民が、江戸に無事に到着してほしいと願っていたでしょうか。
ものめずらしさの驚嘆の声ばかりでは、なかったかもしれません。
手をあわせて拝んだり、応援の声もあったかもしれません。

鼻を高くあげたり、耳をパタパタしたりしたら、それはもう歓喜の渦だったかもしれません。
鳴き声が聞こえようものなら、大歓声だったことでしょう。
沿道は笑顔であふれていたと思います。
今の、動物園のパンダ舎の光景よりも数段すごかったかもしれませんね。

絵も図鑑も見たことがない、話しでしか聞いたことがない、そんな庶民がほとんどだったでしょう。
ゾウは、神様 仏様が、その背に乗る神聖な生き物です。
そんな生き物を、将軍様が目の前につれてきてくれたのです。

まじめで、愛情深く、動物好きの日本人です。
案のじょう、やりすぎなほどの「おもてなし」を行います。
もちろん将軍様の御命令ですから従ったのは当然でしょうが、それにしても、ここまで…。

* * *

吉宗は、江戸城のすみで、ホコリをかぶっていた、ある「動物図鑑」を見つけます。
そして、その内容にくぎ付けになるのです。
この話しの真偽はわかりません。

でも、自分がゾウを見たいという理由だけで、これだけの時間と費用と労力をかけるはずはありません。

そんなお話しや、江戸への旅のお話しは、次回、写真を盛り込みながら、ご紹介いたします。

 

 

* * *

先日、中野区のゾウが飼われていた場所の写真を撮ってきました。
上の写真は、その場所の近くですが、別の場所から新宿方面を撮ったものです。
公園の遊具の後ろに建つ、二本のツインタワーのような建物が、東京都庁の庁舎です。

撮影のついでに、新宿の東京都庁の庁舎まで歩いて行き、来年の東京オリンピックの聖火に使用されるトーチを見てきました。

これは、日本各地でリレーでも使用される本物の「聖火トーチ」です。
今、それを手に記念写真を撮影できます。
もちろん火は着けられません。

今年(2019年)8月25日までだそうです。
時間は 9:30~18:00です。
場所は「東京都庁第一本庁舎2階」です。

 

 

ゾウさんでも、聖火トーチでも、日本全国が何かの道でつながることは、夢や希望、感動がつながる気がしますね。

それでは次回に。

コラム「ダンボみたいに…(後編)/ 東京都中野区(4)」よりのつづき
 

 

2019.8.20 jiho
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