おりひめ と ひこぼし・七夕飾りの由来・江戸っ子・ふたつの聖堂・秋葉原と石丸電気・昌平坂・神馬のあかりちゃん

 

 

7月7日は会える日(前編) / 七夕さま

 

明日は、7月7日の「七夕さま」。
子供も、大人も、ついつい願い事を考えてしまう…そんな日ですね。

子供たちにくらべ、大人の願いの、なんと現実的なことか。
手の届く範囲から、切実な願いまで、願いをみれば、その人の不安が見えてくる気がします。

この「七夕」は、日本はもちろん、中国、韓国、東南アジア諸国にも、風習として残っています。
国によって、風習の内容は、かなり異なります。
離れていた男女のカップルが出会うという部分については、おおよそですが共通しているようです。

「織姫(おりひめ)」と、「彦星(ひこぼし)」が出会うお話し…皆さん、覚えておられますか?

◇「おりひめ」と「ひこぼし」

これは、中国の漢の時代ごろから残る「牛郎織女(ぎゅうろうしょくじょ)」のお話しが、日本にも伝わり広まったといわれていますが、さまざまな内容に変化して各地に残っており、お話しによって、内容は異なっています。

ですが、おおよそ共通している内容は、

天の神様が、機織り(はたおり)に精を出す働き者の娘さん「織姫(織女)」の、婿探しをするところから始まります。
川の近くに、働き者の牛飼いである若い男性「彦星(牛郎)」を見つけます。
神様のおかげで、二人は結婚し、仲良く暮らし始めるのですが、徐々に、二人は働くことをしなくなってしまいます。
着物の枚数は減り、牛は弱っていきます。
神様は怒って、「天の川」を挟んで両側に、二人を引き離してしまいます。
二人とも悲しみにくれて、いっそう働くどころではありません。ますます、悲しみが増していきます。
神様は思案し、一年のうちで、7月7日だけ二人を会わせることにしました。
二人は天の川を渡って、その日だけ、会うことができるようになりました。
二人は、その日のために、一年中、しっかり働くようになりました。

おおよそ、どのお話しも、このような内容で、お話しによって尾ひれがついています。

このようなカップル、近くにいるかも…。
こんな荒療治も、時にはいいかも…。
他人事ではない単身赴任のお父さんもいるかも…。
働かないお父さんも、この日くらいは、奥さん孝行を…。

大人になると、願い事よりも、こんな二人の暮らしを想像して、つい反省してしまいます。
しっかり働かなくっちゃ…。

亡き伴侶を思い出す日という方も、きっと多いでしょうね。

◇七夕飾り

あの七夕飾りなどの日本の行事は、日本独特の風習です。
この成り立ちには、歴史の不思議がたくさん隠れています。
主に、下記の四つの内容が大きな要素となっているようです。

(1)日本には、古代から、選ばれた女性が着物を織って、それを神棚にお供えして、豊作をお祈りするという行事がありました。
選ばれた女性を「棚織女(たなばたつめ)」と呼び、その着物を織る機械を「棚機(たなばた)」といいました。
この行事は、仏教伝来の後、お盆の前の7月7日に行われるようになります。
ですから「七夕」と書いて、「たなばた」と呼ぶようになります。他にも諸説あります。

(2)前述の「牛郎織女」のお話し

(3)中国には、7月7日に、「乞巧奠(きこうでん)」という行事があり、日本にも伝わりました。
前述の「織姫」にあやかって、機織りや裁縫が上達するようにとお祈りをするものです。着物だけでなく、糸や針、筆などをお供えすることもあります。

(4)中国では、火・水・木・金・土という五つの要素で、世の中のさまざまな現象が成り立っているという言われ方があります。

この四つの事柄が、日本で、見事に融合していくのです。

・棚機(たなばた)で着物を織る棚機女(たなばたつめ)
・大切なものを神棚にお供えする
・7月7日の夜
・織姫と彦星
・天の川の橋で再開
・願い事を祈る
・五つの要素

一斉にある時、融合したということではないと思います。
長い年月をかけて、少しずつ変化しながら、ひとつのかたちになっていったのだと思います。

人の心や願いとは、なんと不思議なものなのでしょう。
かけ離れていた多くの事柄が、7月7日という日に、まとまっていくのですから。

大人も、子供も、五色(白・黒・赤・緑・黄)の短冊に願い事を書いて、竹や笹に飾ります。
時に、短冊やお飾りを、小さな船にして、地上の天の川に流します。
野菜などを神棚にお供えし、7月7日の夜に、星空の天の川の両側にある二つの星、織姫はこと座の「ベガ」、彦星はわし座の「アルタイル」、を眺めて願い事をするのです。
東京でしたら、東の空の天の川の上にベガ、下にアルタイルです。

こんな壮大なドラマと、イベントに、誰が作り上げたのでしょう。
特定の誰かではありませんね。
多くの日本人の願いが、自然に結集した、ひとつのかたちなのでしょう。
これから、「縁結び」とかの他の要素も、さらに加わっていくのかもしれませんね。
日本人の願いが続くかぎり…。

* * *

ちなみに、商店街などの「七夕祭り」を8月に行う地域も多いですよね。

これは、旧暦(太陰太陽歴)の7月7日は、現在の暦(太陽暦)でいうと、おおよそ8月の中頃です。
旧暦の一年は約354日で、数年に一度、13か月の年もありました。
現在の新暦(太陽暦)は、一年が365日、うるう年が4年に一度あります。
日本は、明治時代から太陽暦ですね。
ですから、7月7日という「日にち」に重きを置けば、七夕は「7月7日」です。
二つの星がよく見える本来の「季節」に重きを置けば、七夕は「8月中頃」となります。
「8月7日」は、両者の真ん中の意味合いですね。

8月7日であれば、子供たちも夏休みです。
七夕飾りのお手伝い、短冊に願いを書く、天文のお勉強などには、もってこいです。
七夕飾りの下で、金魚すくいという風景もいいものです。

両方の日にちで、七夕のお祝いをしても、まったく問題ないと感じますね。

* * *

日本三大七夕まつり、関東三大七夕まつり、などいろいろな呼び名もありますが、
今の日本は、そこらじゅうで、七夕飾りやイベントが行われています。
規模なんて、それほど意味はありません。
地元で、どれだけ愛されているかが重要ですよね。

今の子供たちは何を願っているのだろうかと、ついつい、短冊を読んでしまいます。

子供たちの短冊だけではありません。
大人の短冊の切実なことといったら、それはそれは…。
仕事につけますように、病気が治りますように、結婚できますように。
願い事が思い浮かばないことのほうが幸せかも…なんて思ってしまいます。

 

◇東京・神田明神

毎年7月7日、東京の神田明神では、七夕の神事が行われます。
神田明神は、東京都東部の23区あたりの企業には、商売の神様として有名な神社です。

他にも、勝負事、縁結びなど、天照大神を頭に、ほぼすべての神様がいらっしゃるといっていいと思います。おそらく。
もともとは、大手町の将門塚のところにありました。ですから、平将門も神様のおひとりです。
徳川家康も、関ヶ原の前にお参りした神社で、武家にも崇敬されていた神社です。
ですので、神馬という本物の馬もいらっしゃいます。

詳しくは
神田明神のサイト


昨年、この神田明神の境内に、「文化交流館」という大きな施設ができました
地方から、東京に観光でお越しの方々には、おすすめしたい施設です。

東京、特に江戸を感じる「お土産もの」もたくさん販売しています。
もちろん神田明神に関連した品々もたくさんあります。
あまり よそで見ないようなものもありました。
イベント会場や、食事処もあります。

東京に住む方でも、気に入りそうな、そんな施設です。
私も、神田明神に行くのが、楽しみになりました。

◇神田明神周辺の、独断と偏見の「観光ガイド」

ここで、地方から、観光で神田明神辺りに来られる方に向けて、簡単な観光ガイドを書きますね。
神田明神から徒歩で行ける範囲くらいをご紹介します。

この辺りは、「お茶の水」といわれる場所です。
お茶を入れた「水」が湧き出していたところです。
二代将軍の徳川秀忠が、鷹狩の帰りに、ここで、その水でいれたお茶を飲んで、たいへん褒めことが地名の由来だそうですが、今はその高林寺(光林寺)は移転し、その湧き水の場所も見ることはできません。
「聖堂の西」と書き残されていますので、おそらく今の湯島聖堂辺りかと思います。

◇湯島聖堂

この湯島聖堂は、前述の神田明神の目の前にあります。
湯島聖堂は、1690年、五代将軍の綱吉が造ったもので、儒教をつくり上げた中国の思想家の孔子をお祀りした「孔子廟」です。
もちろん現在の建物は再建されたものですが、江戸時代の絵図と見比べると、ほとんど同じように見えます。

たしかに、坂に並ぶ壁といい、樹木がうっそうとした境内といい、江戸時代の雰囲気を残しています。
これだけの緑が残っていますから、タヌキも生活しているかもしれません。鳥の声もたくさん聞こえ、都会の真ん中とは思えません。

実は、私ごとですが、もう数十年も前のことです。
若いサラリーマンの頃に、この境内は、外回りの途中でよく休憩する場所でした。休憩というより、昼寝です。
今はセキュリティもあって、そんなことはもちろん許されません。だいいち、寝れる場所などありません。大昔の話しです。
ここには、大きな孔子様の像が立っています。昼寝後は、頭をさげて門を出たものです。
今でも、静かで荘厳な雰囲気はそのままです。
ほとんど観光客が来ない場所ですが、すばらしい聖堂ですよ。

◇昌平坂

この聖堂を含め、この辺りの敷地は、綱吉の後、江戸幕府直轄の「昌平坂学問所(しょうへいざか がくもんじょ)」となります。
「昌平」とは、孔子の生まれた村の名前です。
この辺りには坂がたくさんあり、この辺りを「昌平坂」といいます。
数年前に、ここの坂で、女性アイドルが不運な事故にあいましたが、今はタレント復帰されたようです。ころからも、強く生きてほしいと思います。

昌平坂学問所の建物は、今 残っていませんが、湯島聖堂の西側辺り、今の東京医科歯科大学病院や順天堂大学病院がある辺りにありました。

何年か前に、テレビ放送で「Jin 仁」というタイムトリップする時代もののドラマがありました。
医療に従事する若者が江戸時代と現代を行ったり来たりするドラマで、綾瀬はるかさんや大沢たかおさんが出演し、大ヒットしましたね。
歴史ファンもたくさん見ていました。このドラマの現代の舞台は、順天堂大学病院でしたね。
歴史的にも、なかなか いい場所を選んだものです。

実は、この場所は、明治の頃は、東京師範学校(今の筑波大学)、東京女子師範学校(今のお茶の水女子大学)があったところです。
今でも、この辺りには、多くの大学などの学校があります。ここは、東京の文教地区、文京区です。

◇ニコライ堂

神田明神から徒歩で行ける範囲には、もうひとつの「聖堂」があります。
キリスト教のニコライ堂です。正式名は、東京復活大聖堂です。湯島聖堂からも徒歩でわずかです。
大きな建築物で、明治時代には、ここから東京を一望する写真も撮られていました。
高台に建つ、当時としてはかなりの高層建築だったと思います。

戦前戦中派の方々でしたら、歌手 藤山一郎さんの「東京ラプソディ」の歌詞の中に登場する、あのニコライ堂です。

今も、それほどかたちは変わっていないと思います。
ビル群に囲まれてはいますが、トルコのモスクのようなビザンチン建築物に似た、すばらしい姿をぜひ一度見てください。
見学の際は、調べてから行ってください。
日曜日には、有名な「鐘の乱れ打ち」を聞くこともできます。
ユーチューブでも聞けますよ。

◇神田川と聖橋

この二つの聖堂のあいだには、大きく地形がえぐられた場所があります。
かなり深い渓谷のような形状です。ここには神田川が流れ、JRなどの鉄道が通っています。

この神田川は、江戸城の外濠の一部として利用されていましたので、お城のお濠の役割も持っていました。
だから、こんなに深いのです。今、江戸城(皇居)の外濠の大半は埋められてしまっていますが、この辺りは、江戸時代とそれほど変わっていません。
これだけ深ければ、お城の濠のように見えます。
ですが、江戸時代のやぐらや門などが建っていた、「見付け」の石垣の大半は残っていません。
お城ファンには残念ですが、この外濠の風景は一度は見てほしい気がします。

二つの聖堂のあいだを流れる神田川には、大きな橋がかけられています。これが「聖橋」です。
何か、ローマの水道橋を思い起こさせるような雰囲気のある橋です。
今は、ライトアップは行われていないようですが、なかなかいい橋ですので、横からも見てみてください。

実は、この聖橋のある場所は、鉄道ファンにも、よく知られた場所です。
JRは、はじめから地上を通っていますが、地下鉄の二つの路線が、この場所のこの神田川の土手の辺りから地上に出てくるのです。
それも交差するようなかたちで。
こんな風景があるのは、ここに外濠としての神田川が残っているからです。
よく、写真を撮っている人を見かけますね。

◇駿河台

先ほど、この辺りは文教地区ですと書きました。
明治大学の駿河台本館もありました。
いかにも明治時代の荘厳な雰囲気の名建築物でしたが、残念ながら、ビルに建て替えられました。

この周辺は、80年代のスキーの大ブームの頃は、スキーを中心とした大型スポーツ店が、そこらじゅうにありました。
今は、ほんのわずかです。

また、今は、ギターなどの楽器もあまり売れず、あれだけあった楽器店もすっかり減ってしまいました。
神田の古書店街も、最盛期から比べたらさみしいものです。

高層ビルは増えていますが、何か人波が減って、かつてのようなダイナミックで、若者のエネルギーが充満していた駿河台や神田の雰囲気はなくなってしまった感じがあります。

神田明神の西側や南側はこんなところでしょうか。
「湯島聖堂」と、湯島の白梅や受験祈願の「湯島天神」とは違いますので、ご注意ください。
「湯島天神」は、健脚でなければ、徒歩では少し大変かもしれません。

◇秋葉原

さて、神田明神の東側には、あの「秋葉原」があります。
徒歩でわずかの場所です。
昭和生まれの方でしたら、電気街の秋葉原、青果市場の秋葉原で覚えておられる方も多いと思います。
青果市場はもうありません。
一応、「電気街」とは呼んでもいいかもしれませんが、今は、「サブカルチャーの街」、「オタクの街」といったほうがいいと思います。
近年は「爆買いの街」でもあります。

秋葉原の主だった「石丸電気」は「エディオン」にかわり、「ラオックス」は名前は残っていますが中国企業傘下です。
照明といえば「ヤマギワ」でしたが、一部の部門だけにその名が残っています、
「九十九電機」は「tukumo」として、何か別の会社のようです。

そのかわり、今は、地方にあった大型家電量販店や、サブカルチャー系のお店などで埋め尽くされています。
後は、マニアック向けのパソコン部品屋さん、組み立て屋さんあたりでしょうか。
道路には、メイドさんも相変わらず立っています。もちろん「AKB劇場」、「ドンキホーテ」もあります。
外国人ツアーの観光バスもどんどんやって来ます。
ほそぼそと、昔ながらの電気パーツ屋さんは残っていますが、何か、昔の歴史遺産を見ているような気になってしまいます。

家電量販店が、まだ東京にそれほど進出してきていなかった80年代頃までは、東京で家電を買いに行くとなると、ほぼみんな、秋葉原を目指しました。
なかなか、自分のところに店員さんの順番がまわってこないで、イライラしたものです。
私も、毎週のように、音楽レコードを探しに秋葉原に通いました。

「石丸、石丸、五重丸… でっかいわ~」のテレビCMがなつかしく、愛しく思います。
どこの地方都市でも、同じような現象が80年代から2000年代にかけて起きました。
時代のうつろいと言われれば、その通り…今、江戸時代のお店がまったく残っていないのと同じですね。

* * *

残っていないといえば、かつて大迷路だった秋葉原駅も、今はすっきりとした近代的な駅ビルにさま変わり。
戦前戦中派の方でしたら、旧・万世橋駅の近くにあった、広瀬中佐と杉野兵曹の大きな銅像はもちろん、東京駅のようなレンガ造りの駅舎も、もちろん残っていません。かろうじてホームのレンガの一部をきれいにして残してあります。

戦後、GHQは、上野の西郷さんは、あの恰好ですから許されましたが、軍人そのものの姿の、このお二人は、それは無理ですね。
当時の大きな駅と広場の壮大さや、80年代の電気街のネオン街の壮大さとは異なりますが、別の意味の壮大さを、今の秋葉原にも感じることができます。

この街は、とにかく時代の先端を走り続けていないと、つぶれてしまうのだと思います。
変化を恐れている時間が許されない街なのかもしれません。
そんなダイナミックさは、今でも感じますね。

* * *

健脚でしたら、神田明神から、前述の湯島天神や、上野方面にも、歩いて行けるとは思います。
でも、地下鉄もすぐに来ますから、無理をする必要はないと思いますよ。

この神田・お茶の水辺り、個人的には、肉系のおいしいお店も多く、好きです。
とんかつ屋さんや、焼き肉屋さんなど、いろいろな種類があります。
昔ながらの洋食屋さんも残っています。
秋葉原の「肉の万世」の本店は秋葉原です。
「肉」目当ての方もどうぞ。

◇てやんで~

今回、書きましたお茶の水から神田にかけての辺りは、上野や浅草、隅田川周辺と同様に、江戸時代から残る、いわゆる昔からの東京です。
下町情緒がたくさん残っているところです。
東京都東部の23区辺りに住む人々は、7~8割が地方出身者といわれていますが、この下町あたりには、いわゆる「江戸っ子」の人たちがたくさん住んでいます。

観光客の方々には、もし機会があれば、彼らの言葉も楽しんでほしいですね。

東京にだって、方言はたくさんあります。
東京に住む方は、千葉、神奈川、埼玉の違いもわかったりします。
関西の方も、大阪、兵庫、京都、奈良、和歌山、みんな違いがわかりますよね。

* * *

江戸っ子を評した言い方に
「江戸っ子は、五月(さつき)の鯉の吹き流し、クチ先ばかりで、はらわた はなし」というのがあります。

これは、もちろん、5月の「こいのぼり」のように、クチを開けっ放しで、中身はまったくないということです。
意味は、クチ先ばかり、はったりを言っているわりには、本当のところは、それほどでもない。大した悪気はないというようなことです。
ほかにも、クチでは荒っぽいことを言うが、言うだけいったら、きれいさっぱり忘れちまうという意味もあります。
「チャキチャキの江戸っ子」という表現もありますが、この「チャキチャキ」と相通じるものがあります。

近年は、そうした表現を、テレビの中で聞くことはまずありません。
昭和の頃は、落語家のくだりや、フーテンの寅さんのようなドラマの中の登場人物の台詞の中で、よく耳にしました。

でも、この表現は、みんながみんな、当たっているとはいいませんが、遠からずとも感じます。
早口でまくしたて、つんのめる(前のめりになる)ような口調でしゃべります。時には、本当につんのめる人もいます。
地方の方々、初めて聞く方々は、こんな落語みたいな、時代劇みたいな言葉、ほんとにあるんだ!と、びっくりして、笑いをこらえるのに必死になることでしょう。

* * *

てやんで~、べらぼうめ!
この、すっとこどっこい!
こんちきしょうめ、何見てやがんで~!
てめえっちの来るところじゃねえ。すっこんでろ!
この、とうへんぼく! にぶちん野郎!
てめえの顔、まっつぁお通り過ぎて、まっちろじゃねえか。
うでた卵でも食って、ひおしがり にでも行って、あすんできやがれ!

もし、こんなことを言われても、それほど気にすことはありません。
何せ、ポカンとクチを開けた「こいのぼり」なのですから…。

* * *

昔、子供の頃、よく聞いたものです。

けっこう毛だらけ、猫 灰だらけ。
お尻のまわりはクソだらけ。ありがた山のホトトギス。
…色が黒くて、もらい手なけりゃ、山のカラスは後家ばかり。
色が黒くて喰いつきたいが、あたしゃ入れ歯で歯が立たないよときやがった。
…四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水臭い。
豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえ。
…四谷・赤坂・麹町、ちゃらちゃら流れるお茶の水。
粋な姉ちゃん 立ちションベン、ってなもんだ。

昔の大人は、何かを超越していましたね。

せっかくの七夕なのに、なんてこと…。

◇あかり ちゃん

気持ちを入れ替えて、最後はかわいいお話しです。
神田明神の「神馬」のことを書きます。

「七夕」の神事を行っている神田明神ですが、ここには「牛郎の牛」ならぬ、神様の馬が飼われています。
実際には小型の馬、かわいいポニーです。

名前は「あかり」ちゃんです。
私は、年に一度か二度、神田明神にお参りに行く程度ですが、その際は、必ず「あかり」ちゃんに会いに行きます。

昨年、行ったときには、本殿に向かって右側の隅の小屋にいました。
もちろん静かに、ひとり たたずんでいました。
もし、場所が変わっていましたら、神田明神の方に、「あかりちゃんは、どこにいますか」と聞けば、すぐに教えてくれると思います。
私は、そうでした。

ですが、この「あかり」ちゃん、数年前に、なんと脱走を図ります。
今は、スマホの時代です。しっかり証拠写真を街の人に撮られていました。

前述の聖橋の上を、大暴走しています。
よく事故にあいませんでしたね。よかったです。
ネットでも、その写真を見れますよ。

観念したのか、自分で戻ってきたそうですが、すっきりできたでしょうか。

そんな、「あかり」ちゃんにも、ぜひ会ってみてください。
時折、散歩しているそうですが、待っていれば、すぐに戻ってくるでしょう。

私にとって、「あかり」ちゃんは、七夕の「出会い」と同じなのです。
いつまでも、元気でいてほしいです。

* * *

そうです。今年の七夕は、ちょうど日曜日。

神田明神にも、さまざまなご縁を願う善男善女がたくさん集まることでしょうね。
東京駅の最終の新幹線のホーム…、きっと、ラブラブに包まれることでしょう。

私は家で、「五色豆」でも食べるとしますか…。

てやんで~。

【後編】に続く


2019.7.6 jiho

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