因幡の白うさぎ。大国主神(オオクニヌシノカミ)。白兎神社と白兎海岸。和邇族と菟狹族。宇佐神宮。神無月と八つの神様。タケミナカタと諏訪。ニニギノミコトと天孫降臨。邪馬台国と卑弥呼。出雲大社と稲佐の浜。大転換点の国ゆずり。蒲の穂。

 

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神話のお話し・後編 / 因幡の白うさぎ


前回コラム「神話のお話し・前編 / 日本のはじまり」に続きまして、今回は後編です。
神話「因幡(いなば)の白うさぎ」を、非常にかんたんにご紹介いたします。
神話の目的についても考察してみたいと思います。


◇因幡の白うさぎ

出雲国(いづものくに / 今の島根県出雲市あたり)の神様のある団体御一行様が、因幡国(いなばのくに / 今の鳥取県鳥取市あたり)にいる女神「ヤカミヒメ(八上比売)」に会いに行くために出発します。

その団体の大きな荷物の袋を担がされたせいで、ひとりだけ、団体から遅れて歩いているのが、このお話しのもうひとりの主人公「だいこくさま」です。
この「だいこくさま」こそが、後の「オオクニヌシノカミ(大国主神)」です。
「オオクニヌシノミコト(大国主命)」ともいわれています。
現代でも、親しみを込めて「だいこくさま」と呼ばれていますね。
そのときのオオクニヌシノカミの名前は、オオナムチですが、ここでは「だいこくさま」と記述していきます。

* * *

その神様の団体とは、だいこくさまを含めた兄弟たちの神様の団体です。
だいこくさまは一番下の弟です。
兄たちは、だいこくさま ひとりに荷物を押しつけたということですね。

だいこくさまのいない兄たちの団体は、因幡国(いなばのくに)の「気多の岬(きたのみさき)」で、身体の毛と皮をはがされて泣いている一匹のうさぎと出会います。

兄たちは、「海水をあびて、風にあたれば治るよ」と、うさぎにウソを教えます。
うさぎは、そのとおりに行うと、ますます痛みがひどくなり、なおも泣き続けます。

兄たちの団体が行ってしまった後に、ひとり遅れて来た だいこくさまが通りかかります。
そこで、うさぎに、これまでの事情を聞きます。
ここから、皆さんご存じのストーリーが始まります。

* * *

海を渡った「淤岐之島(おきのしま)」(沖にある島・隠岐の島 等諸説あり)に住んでいたうさぎは、一度、対岸の国に行ってみたいと思い、海を渡る方法を考えます。
そこに海の中で暮らすワニ(今のサメのこと)があわらわれます。

うさぎは、ワニに、「私の仲間とどちらのほうが数が多いか、比べっこしよう」ともちかけます。
ワニは仲間を呼んで、海の上に背中を並べます。
うさぎは、ピョンピョンとその背中を飛び跳ねていきます。
数をかぞえるふりをして、対岸に渡ろうというのです。

* * *

もう少しで対岸まで渡りきるという時に、うさぎは調子に乗り、ワニたちにむかって、「君たちは、まんまと、だまされたのさ」と、ついクチをすべらせてしまいます。

怒ったワニたちは、うさぎの白い毛と皮をはぎ取り、丸裸にしてしまいます。

丸裸にされて泣いているときに、兄たちの神様の団体と出会い、ウソにだまされて、さらに痛みで泣いていたところに、だいこくさまがやって来たということです。

* * *

その話しを聞いた、だいこくさまは、「真水で身体を洗って、蒲(がま)の草の穂を敷きつめ、その上で転がりなさい」と教えます。
そのとおりにしたうさぎは、白い毛が生え始め、もとの白い身体に戻ることができ、とても喜びます。

助けてもらった うさぎは、だいこくさまに言います。
「ヤカミヒメは、だいこくさまと結婚しますよ」と。

* * *

実は、この神様の団体御一行様が、なぜヤカミヒメに会い行くのかというと、団体でヤカミヒメに求婚にいくためなのです。
自分たちの中から、ひとりを選んでもらうのが会いに行く目的だったのです。
だいこくさまは、いわばカバン持ちといったところです。

うさぎは、兄たちの団体に先回りして、ヤカミヒメに会いに行き、これまでのいきさつを話すのです。

ヤカミヒメは、やって来た兄たちの団体に、「私は、だいこくさまに嫁ぎます」と言って追い返してしまいます。
このうさぎが、二人の結婚のキューピット役になったというお話しでした。

* * *

前回コラムで、神話は、何かの事実にベールをかけて、伝説に変えているかもしれないと書きました。
もしそうであったなら、天皇家の一族の誰かを、他国の王様の娘に引き会せたのが、菟狹族(うさぞく)とも考えられます。
「菟狹族」のことは、後で書きます。


◇「白兎神社」と「白兎海岸」

さて、いつしか、このうさぎが神様として祀られ「白兎神社(はくとじんじゃ / 鳥取県鳥取市)」のご祭神となりました。

白兎神社は、白兎海岸のすぐ近くに現在もあります。
白兎神社には、うさぎが身体を洗った池(身洗池)があり、池のまわりには、かつて、蒲(がま)の草が群生していたそうです。

白兎海岸近くには、神様とうさぎが出会う「気多の岬」と、「淤岐之島(おきのしま)」もあります。 神社と海岸の美しい風景は、いかにも、神話の世界が目の前にあらわれたような気さえします。

社殿も、小さなうさぎのように、愛らしいかたちです。
だいこくさまと白うさぎの像も、とても素敵です。

 

「気多の岬(左)」と「淤岐之島(おきのしま)」

 

 

◇「因幡の白うさぎ」には、モデルの実話が…?

このお話しの中には、いくつもの教訓が隠れていますね。

人をだましたり、意地悪をすると、それは自分に必ず帰ってきて、大変な目に遭う。
人にやさしく接することは、いつしか良いこととなって戻ってくる。
良縁とは、普段の善い行いから生まれてくる。

などなど、現代でも通じる「教え」がきちんと盛り込まれていますね。

* * *

さらに、映像制作者風に言いますと、派手なアクションシーンあり、医療シーンあり、動物の登場あり、海の岩場のシーンあり、どんでん返しあり、ヒーローとヒロインあり、悪役あり、ラブストーリーあり、ハッピーエンドあり、スピンオフドラマありと、現代のテレビドラマに不可欠な要素が満載です。

白兎神社のサイトには、実際の古事記の記載がありますので、どうぞ御一読ください。

白兎神社の公式サイト
https://hakutojinja.jp/about

* * *

このサイトには「神話の起源」という非常に興味深い文章が載っています。
そこでは、この神話めいたお話しは、実はモデルとなった実際の出来事があったというのです。
そうであるとすれば、あたかも神話のように巧みに作りかえ、密かに、重要な内容を神話の中に残したことになります。

前回コラムの「前編」では、「因幡の白うさぎ」のお話し以前のできごとの神話を、少しだけご紹介しました。

そこでも書きましたが、 神話は架空のようにも感じますが、支配地域の拡大、一族の権力闘争、各地の有力者の関係性、戦争の記録ととらえれば、その後の日本の歴史と、そう変わりはありません。
もし、史実に基づいている、あるいはモデルになった歴史があるのであれば、まさに大河ドラマのようなものですね。


◇和邇族(わにぞく)

前述のとおり、「因幡の白うさぎ」の中には、「ワニ(サメ)」が登場してきましたね。
白うさぎにだまされてしまいますが、最後は白うさぎに反撃します。

実はその頃の日本には、「和邇族(わにぞく)」と呼ばれる集団がいたそうです。

白兎神社の公式サイトにも、「白兎海岸は、白兎神と和邇族の古戦場」と書かれています。
実は、この「和邇族」とは、海を渡ってきた渡来人だという説があります。
どこから渡ってきたのかは、はっきりわかりませんが、航海術に長けていた一族だったようです。

* * *

古代の日本各地には、鰐、和仁、王仁など(どれもワニと読みます)の、ワニにつながりのある地名があり、今も、奈良県天理市には「和爾坐赤阪比古神社」という和邇氏を祀ったといわれている神社があります。

奈良県天理市とは、まさに後のヤマト王権の中心地ですね。
「和邇」という名称と、「春日(かすが)」という名称は古代から深い関係があります。
詳細は省きますが、春日とは、あの奈良の春日山の「春日」です。

* * *

後の古墳時代には、和邇氏(わにうじ)という、将軍や遣隋使、遣唐使をたくさん輩出する有力豪族の名前も登場します。
歴史上の有名人も多数輩出する血統の一族です。

畿内を中心地として、日本各地に広く支配を拡大していった一族だったのかもしれません。
有力豪族というよりも、神話の歴史の本流の一族だったのかもしれません。

航海術に長けているということは、大陸との関係性も強かったかもしれません。

* * *

記述の「白兎海岸は、白兎神と和邇族の古戦場」とは、一体何のことなのでしょうか。
もう一点、白兎海岸を舞台にした出来事が、どうして古事記の神話に、わざわざ残されたのでしょうか?


◇菟狹族(うさぞく)

大分県の宇佐市には、日本全国の八幡宮の総本宮である宇佐神宮があります。
この宇佐神宮も、伊勢神宮と同様に、日本にとって最重要な場所のひとつですね。

「宇佐」…うさ?!
うさぎの「うさ」?
「ぎ」はどこ…?

* * *

宇佐という地名は、古くは「菟狹(うさ)」と書くそうです。
「菟」とは、うさぎそのものですね。

「うさぎ」と「わに」には何か深い関係がありそうですね。

現代では、「菟狹族(うさぞく)」とか、「宇佐族」などと表現されることがありますが、「和邇族」とあわせて、古代の日本で、重要な役割を果たしていた一族であることは間違いなさそうです。

そもそも、大分県宇佐市とは、あの高千穂のある九州の地です。

* * *

前回コラムの中に、アマテラスの弟であるツキヨミノミコトという神様が登場しましたが、夜をおさめる神様で、月の神様でもあります。
ツキヨミは、「月読」、「月夜見」、「月読宮」などと書きます。

もうひとりの弟のスサノオと同様に、アマテラスの怒りをかい絶縁状態となりますが、現在でも、もちろん伊勢神宮で御祀りされています。

菟狹族は、月齢(月の満ち欠けをもとに計算する)、いわゆる暦を管理し、祭事をつかさどる一族であったという話しもあります。
航海術にも長けていたともいわれています。

さて皆さん、あなたの近くにいる うさぎ…。
どこにいますか。
そうです。夜の満月に住んでいますね…。

「月」と「暦」と「うさぎ」と、そして九州の「菟狹族」…、架空のお話しなどとは思えません。


◇宇佐神宮

宇佐神宮について、もう少しだけ書きます。

宇佐神宮の御祭神は八幡大神です。
軍神とされ、戦国武将たちからも崇拝された存在ですね。
弓術とも切り離せない神社です。
その後、歴史上の天皇家の一大事に登場する重要な神社です。

* * *

この宇佐神宮には、別に、「ヒメノオオカミ(比売大神)」という女神様が祀られています。
この女神様も、後述するニニギノミコトと同様に、天上界からこの宇佐の地に降臨された神様とされています。

実は、この御名前は日本各地に登場し、存在も内容もはっきりわかっていません。
詳細は割愛しますが、この「ヒメノオオカミ」という名前だけ覚えておいてください。
このコラムで、後でまた登場します。

宇佐神宮の公式サイト
http://www.usajinguu.com/


◇白兎海岸は古戦場?

航海術に長けていたといわれる「和邇族」が、山陰地域の内陸にもいたといわれる「うさぎ」の一族の「菟狹族(うさぞく)」と、山陰のこの地域で争ったのかもしれません。

それが白兎海岸の古戦場という意味なのでしょうか。
神話「因幡の白うさぎ」の中に登場する、海に並ぶたくさんのワニ(サメ)のように、和邇族が船団を率いてこの地にやってきたのかもしれません。

* * *

「因幡の白うさぎ」のお話しを、少し解釈すると、菟狹族が、知略をもって和邇族と交渉している最中に、その謀略が和邇族に漏れ、最終的に戦争となり、最終的に菟狹族が負けたと考えられなくもないです。

そして負けた一族に、手を貸して助けたのがオオクニヌシとも想像できます。
オオクニヌシは、アマテラスから追放されたスサノオの子孫です。
あくまで想像です。


◇「オオクニヌシノカミ」と「国ゆずり」

ここからは、「因幡の白うさぎ」のお話しから後の、オオクニヌシに関連した神話を書きます。

オオクニヌシは、この「因幡の白うさぎ」のお話しの後、兄たちの神様とのあいだで、激しい戦いになります。
このきっかけこそが、ヤカミヒメとの結婚なのです。

* * *

兄たちの嫉妬なのか、権力闘争なのか…。

その闘争のお話しは割愛しますが、オオクニヌシはやがて兄たちとの戦いに勝ち、日本という地上の国をつくりあげていきます。
日本と書きましたが、古事記では、「出雲の国」をあえて「日本全体」と表現している可能性もあります。

前回コラムで、アマテラスと、その弟のスサノオの話を書きました。
スサノオの子孫がオオクニヌシです。
ですからアマテラスとオオクニヌシは同じ一族です。

天上界にいるアマテラスは、このオオクニヌシに告げます。
「本来は、天上の神様がこの地上の国をおさめるべきものであるから、この国をゆずりなさい」と。

* * *

オオクニヌシは、二人の息子に相談します。
息子のうちの、兄のコトシロヌシは、すぐに「はい」と受け入れますが、弟のタケミナカタは、拒否します。

そこにアマテラス側の神様たちの最強軍団がやってくるのです。

* * *

この軍団こそが、タケミカヅチノカミ、フツヌシノオオカミ、の神様たちです。

タケミカヅチは、雷の神様で、茨城県の鹿島神宮の御祭神です。
フツヌシノオオカミは、千葉県の香取神宮の御祭神です。
「フツ」は、刀剣につながる言葉のようです。
両者とも武勇の神様で、どうもライバル関係にあったようです。
今、この二つの神宮は、利根川をはさんで建っています。

今現代でも、アマテラス、タケミカヅチ、フツヌシの三神様を祀っている武道関連の道場が多くありますね。

* * *

オオクニヌシ側と、この軍団の交渉場所が、「伊那佐の小濱(今の、島根県 稲佐の浜 / いなさのはま)」です。

神話では、この浜で、アマテラス側のタケミカヅチと、オオクニヌシ側のタケミナカタが「チカラ比べ」を行って、タケミカヅチが勝利します。
弟のタケミナカタと、父のオオクニヌシ・兄のコトシロヌシの両神様は、一枚岩ではなかったと思われます。

実は、タケミナカタは、オオクニヌシの息子ではなく、アマテラスらの神様の天上界とは、まったく関係のない、信州(長野県)の諏訪地方に古くからいた神様だという説もあります。
どうも、オオクニヌシ親子の関係性がはっきりしません。

* * *

実は、日本には、古事記に出てくる神話ではない、別の神話もたくさんあります。
「ダイダラボッチ」という巨人の神話(民話)も そのひとつで、私も子供のころに大好きなお話しでした。

ちなみに、東京の「世田谷代田(せたがやだいた)」の地名は、これに由来するそうです。
日本中に、巨人「ダイダラボッチ」の足跡といわれる湖沼はたくさんありますね。
ようするに、どうしてそこに水が溜まっているのかわからない湖沼や池は、みな彼の足跡です。
日本中、彼の足跡だらけ…。
この島国を踏み固めたということ…?
タケミナカタも、それに似た存在なのかどうか、まったくわかりません。

* * *

一応、タケミナカタは、オオクニヌシの息子として話しを進めます。

タケミナカタは、「チカラ比べ」の末、最終的につかまり、今でいう幽閉の身となります。
この「チカラ比べ」とは、武力衝突とも考えられます。

タケミナカタが幽閉された場所が、今の長野県の諏訪湖畔にある「諏訪大社(すわたいしゃ)」です。
タケミナカタは、諏訪大社の御祭神なのです。

天上界から来たタケミカヅチには敗れましたが、タケミナカタは地上の国の最強の武勇の神様といわれています。
有名な戦国武将の多くが、タケミナカタを軍神として崇拝していましたね。
もちろん、諏訪ゆかりの武田信玄も。


◇神無月

さて、今でも、10月を「神無月(かんなづき)」と呼びますよね。
これは、日本中の神様が出雲に集まるため、日本各地に神様がいなくなることからきています。

今でも、10月に、前述の島根県出雲市の「稲佐の浜」では、「神迎え」の神事が行われています。
「稲佐の浜」には、アマテラス側とオオクニヌシ側が交渉した場所といわれる「屏風岩」もあります。

* * *

実は、諏訪におられる神様タケミナカタだけは、出雲には出向きません。
というより、行ってはいけない立場です。
理由は、お察しのとおりです。
ですから今でも、出雲と諏訪だけは、10月は「神在月(かみありづき)」です。

この話し、どうも出来過ぎのように感じます。
「神無月」のお話しは、中世以降に生まれたともいわれています。

タケミナカタは、オオクニヌシの息子ではないという説もありますが、その親子の関係性ははっきりしません。
ですが、少なくとも同じ側で、アマテラス側と交渉、あるいは戦争をした可能性は考えられます。


◇「タケミナカタ」と「諏訪」

タケミナカタは、アマテラスやオオクニヌシとは同じ一族ではない、まったく関係のない信州方面の有力豪族の者であったとも考えられます。
あるいは、オオクニヌシの配下の者とも考えられます。

配下でなくとも、西日本の勢力と争っていた東日本の有力豪族として、出雲勢力に加勢した者たちであったのかもしれません。

* * *

実は、この頃、九州には「宗像(ムナカタ)」と呼ばれる有力豪族もいたそうで、「タケミナカタ」の「ミナカタ」とは、この「ムナカタ」だという説もあります。
菟狹族と同じように、出雲の地にも勢力を拡げていた、別の一族だったのかもしれません。

「タケミナカタ」は、ひょっとしたら、オオクニヌシ一族に加勢した、アマテラス側の抵抗勢力と、とらえることもできるかもしれません。
白兎海岸の戦争のように、「稲佐の浜」で小規模の戦闘があったと考えれられないこともないです。

* * *

タケミカヅチ と タケミナカタの「チカラ比べ」とは、一体何を意味しているのでしょうか。
「国」の運命を、何かのゲームで決したとは考えられません。
いずれにしても、タケミナカタは最後まで抵抗勢力であった可能性が高いように思います。

日本各地の大勢の有力豪族が、「稲佐の浜」に集結し、二大勢力が大戦争を起こしたとは少し考えにくい気もします。
やはり、何か大人数による、大きな話し合いが行われたのかもしれません。
今でも残る「日本中から神様が集まる」という話しは、それを意味しているのかもしれません。

「天の岩戸」といい、この「稲佐の浜」といい、各地から大人数が集まる合議制は、何か日本人的なものなのかもしれません。
現代の日本でしたら、10月に集まった神様方は、何を話しあっているのでしょう?

* * *

さて、九州にせよ、信州にせよ、タケミナカタが、軍神として後世でも信仰されていることを考えると、別の地域のどこかに、何か強い別の勢力があり、ひょっとしたら別の神様の信仰がしっかり存在していて、アマテラス側が、彼らを武力で負かして支配するだけでなく、他の信仰の神様そのものを抱き込もうとしたとも考えられます。

タケミナカタが、オオクニヌシの息子本人であったとしても、なかったとしても、最終的に諏訪の地に幽閉されます。
アマテラス側は、抵抗勢力の一部と、他の信仰の神様を、あえて、ひとつのかたまりの勢力に見立てて、諏訪の地におさえこんだとは考えられないでしょうか…。

こうして、アマテラスを中心とした日本各地の神様一族と、タケミナカタという諏訪の神様一族の地位は歴然としました。


◇八つの神様

実は、オオクニヌシの息子の兄のほうのコトシロヌシは、「国ゆずり」の際の大功労者となるのです。
もちろん、父親のオオクニヌシもいっしょです。

今でも、天皇家は「八つの神様」に守護されているとされ、神殿に祀られているそうです。
・神産日神(かみむすびのかみ)
・高御産日神(たかみむすびのかみ)
・玉積産日神(たまつめむすびのかみ)
・生産日神(いくむすびのかみ)
・足産日神(たるむすびのかみ)
・大宮売神(おおみやのめのかみ)
・御食津神(みけつかみ)
・事代主神(ことしろぬしのかみ)

この中の、「事代主神(ことしろぬしのかみ)」こそが、この「コトシロヌシ」なのです。
日本という ひとつの国にまとまる過程において、いかに重要な役割の御方だったかが よくわかります。


◇出雲と諏訪こそ、全国支配の足がかり?

「タケミナカタは、信州の諏訪の地から出雲に来ることができない」という非情な冷遇の裏には、こうした事情があります。

弟のタケミナカタひとりだったら、別の処遇もあったのかもしれませんが、もし抵抗勢力の大集団(大武力勢力)だったとしたら、そうはいきませんね。
後世の歴史の中でも、武人たちは皆、朝廷側につくのに必死になります。
朝廷への反逆者たちには皆、非情な運命が待っていましたね。
大義名分や官軍の思想は、この頃からあったのかもしれません。

* * *

いずれにしても、なぜ、遠く離れた信州の諏訪の地名が、いきなり登場してくるのか不思議です。
その後の、ヤマト王朝の東日本征伐と関係ないとは思えません。
東日本征伐の前に、諏訪の地を支配下においた、あるいは監視下においたという意味は、たいへん大きいと思います。

信州の諏訪の地が、東日本を攻撃制圧するのに いかに重要な場所であるか、さらに、諏訪にいる神様や地元勢力を支配下におくことがいかに重要なことかは、日本の長い歴史が証明していますね。
特に、武田信玄や織田信長らのいた戦国時代や、江戸時代の徳川による全国支配で実感できます。

* * *

「出雲国」の地域を支配下におくということは、想像する以上に、その他の東日本や西日本にいる有力豪族たちに与える影響が大きいということを、強く意味しているのかもしれません。

「国ゆずり」における「国」とは、ひとつの「出雲の国」ではなく、言葉どおり「地上にある日本の国」をはっきり示しているのかもしれません。

「神存月」と「神無月」の地域の違いは、それを物語っているのかもしれませんね。
「稲佐の浜」での交渉結果である「国ゆずり」とは、日本の歴史の大転換だったことは間違いなさそうです。


◇ニニギノミコト

さて、神話に戻ります。

「国ゆずり」の際、最終的に、オオクニヌシは、歴史風にいう「蟄居隠遁(ちっきょいんとん)」の身となります。
その場所こそが、後の出雲大社です。

もとは、オオクニヌシの住まいです。
さらにさかのぼると、ここはアマテラスの弟のスサノオが追放されて暮らした住まいです。
オオクニヌシは、スサノオの子孫です。

こうして、オオクニヌシの国は、アマテラス側に譲渡されます。

* * *

そして、その国を受け取りにきた神様が、アマテラスの孫の、ニニギノミコト(邇邇芸命)です。

ニニギノミコトこそが、天上界の高天原から、地上に降りてくる「天孫降臨」の、その神様です。
その案内役がサルタヒコノカミ(猿田毘古神)です。
この名前、街で最近、目にすることが増えましたね。

これが、いわゆる「国ゆずり」として伝えられているお話しです。

* * *

アマテラスに命じられて地上の世界に降りてきたニニギノミコトに「国をゆずる」と表現されていますが、現代風にいうと屈服かもしれません。
とはいえ、オオクニヌシは、アマテラスの弟スサノオの子孫で、アマテラスとオオクニヌシは同じ一族の神様です。

アマテラスは、オオクニヌシのこれまでの大きな功績を称えます。
一定程度、平和的に、国が譲渡されたのかしれません。

「国をゆずる」という言葉表現は、戦いで奪い取るというイメージがまったくわきませんね。
二つの勢力の、あくまで平和的な合流のようにも感じます。
さらに、そこには同じ神様の一族どうしが関わっています。

ただ、前述したタケミナカタの勢力は、排除されたのだろうと思います。

* * *

ここからは、私の勝手な想像です。

国をゆずられた神様の御名前「ニニギノミコト」…なんとも不思議な御名前ですね。
もしかして、畿内の「ワニ」と、九州の「うさぎ」の合体?

ライバルどうしの有力勢力である、和邇族(わにぞく)と菟狹族(うさぞく)も、何かの和解や合流・融合が行われたのかもしれませんね。


◇「因幡の白うさぎ」は、重要な序章

弥生時代の後期は、日本各地に有力な豪族がおり、群雄割拠する時代だったようです。
東北や関東、中部地方にも、一大勢力が確実にいましたね。

この頃は、古墳時代にさしかかる頃でもあり、各地の実力者の大型の古墳が日本各地で造られました。

* * *

山陰のこの地域にも一大勢力が存在しており、この「国ゆずり」という出来事は、いずれ畿内を中心とした西日本の大きな一大勢力となっていく過程での、もっとも重要な出来事だったのかもしれません。

さらに、この「国ゆずり」は、西日本だけでなく、東日本も含めた全国制覇への第一歩だったのかもしれません。

神話「因幡の白うさぎ」の舞台である白兎海岸のお話しは、そんな「国ゆずり」の出来事の序章であったのかもしれません。
こんな重要な序章です。
古事記に残さないはずはありませんね。


◇出雲王朝

神話を読むにつれ、弥生時代と古墳時代の間に栄えた、まさに「出雲王朝」といえるような一大勢力が、山陰を中心にあったのだろうと思います。
ひょっとしたら「出雲時代」といえるほどの文明をもっていたのかもしれませんね。
オオクニヌシに助けられたかもしれない菟狹族は、どのように関わっていたのでしょうか。

ここまでの神話は、まさに、後の畿内のヤマト王朝と、山陰の出雲王朝の交渉や争いを描いているのかもしれません。
そこには、九州の菟狹族も大きく関与したのかもしれません。

さらに和邇族と菟狹族の合流がヤマト王朝に進化し、日本全体に支配が拡大していったのかもしれませんね。

* * *

さまざまな神話は、神様の世界と、人間のいる現実世界が、しっかりつなげてあるお話しでもあります。
すばらしい想像力と、見事な構成力には、驚かされますね。

ここまでの神話の説明には、私の勝手な想像も含まれてはいますが、日本が、強い「ワニ」さんと、かわいい「うさぎ」ちゃんによって造られていったというのも、まんざら悪くない話しだと、少しだけ笑みが出ました。


◇天上界から地上へ

神話「因幡の白うさぎ」の中では、ワニ(サメ)は途中までは登場しますが、あるところからは登場しません。
ワニは、決して悪者としての登場ではありませんね。
うさぎにだまされた後に、うさぎに反撃して、その場を立ち去っています。

オオクニヌシの先祖のスサノオは、天上界から追放された乱暴者の神様ではありますが、オオクニヌシは、兄たちよりも、ずっと優しく、温和な性格のように表現されています。
兄たちの荷物運びをさせられていることも、何か同情したくなります。

しかし悪者の兄たちを屈服させ、しっかりとした国をつくりあげていきます。
そして、息子コトシロヌシとともに、戦争することなく、平和的に、アマテラスの孫のニニギノミコトに国をゆずるという行動をとります。
幕末の西郷隆盛と勝海舟の話し合いによる「江戸無血開城」を思いおこさせますね。

* * *

神話は、ある意味、天上界と地上の世界をつなげる話しでもあります。
アマテラスの意向で、天から地上に降臨したニニギノミコトは、地上の国との話し合いの末、平和的に国をゆずり受けるのです。

初代天皇とされている神武天皇は、天から地上に降臨したニニギノミコトの子孫ですが、神武天皇が実在したかは、はっきり確かめられていません。
ですが、神武天皇の頃には、アマテラスの直系がしっかり確立し、その正統性もはっきりし、日本を統治するチカラも確立した、そんな時代であったとも考えられます。
そして歴史は古墳時代へとつながっていきます。


◇神話の目的

天上界のアマテラスと地上のオオクニヌシの関係性、平和的に国がゆずられたこと、血筋の正当性、これらの事柄は、奈良時代はもちろん、古代から現代まで伝わる「大切なこと」であることは間違いないと思います。

それは、日本というひとつの国をまとめるためにも、必要なものだとも感じます。

* * *

「因幡の白うさぎ」のお話しからは、オオクニヌシの優しさや正義感を感じとることもできます。
さすがに立派な神様としての存在感ですね。

そして、ワニも、うさぎも、まるで人間のように見えてきます。
だますし、だまされるし、やさしいかと思えば、凶暴にもなります。
弱い者いじめもします。
夢をかなえようともしますし、恩返しだってします。

古事記や日本書紀に残る神話は、前述のような、国づくりにおける政治的な歴史だけでなく、この国に生きる人間の生き方や姿勢、その国がめざす方向性をも示そうとしたとも考えられます。

* * *

「因幡の白うさぎ」の中のオオクニヌシや白うさぎ、ワニたちに共感を覚える現代人も多いはずです。

古代の人々が、神話の中に残したかったものが、しっかり現代人にも引き継がれているのかもしれませんね。

こうした日本古代の神話は、700年代の奈良時代に、天武天皇や持統天皇によって編纂が始められ、対外的な歴史書の「日本書紀」、国内向けの歴史書の「古事記」にまとめられていきます。

両者の書物の存在は、想像する以上に、当時の人々や社会にとって、大切で絶大なものだったのかもしれませんね。
そして現代でも…。


◇「邪馬台国」と「卑弥呼」

実は、この時代には、あの女王、「卑弥呼(ヒミコ)」の邪馬台国(やまたいこく)もありました。

でも日本の古代の歴史書には卑弥呼の名は登場してきません。
中国の歴史書にしか登場しないのです。

アマテラスは神話に登場するのに、中国の書物に記録された、強大な邪馬台国の卑弥呼が神話に登場しないのは、なんとも解せません。
もはや別の名前で神話に登場していると考えても不思議ではない気もします。

邪馬台国は、出雲王朝のように屈服した一つの国だったのかもしれません。

* * *

一方、卑弥呼こそがアマテラス…、その人だったという説さえあります。

アマテラスは女性であったといわれていますし、「やまとのくに」と「やまたいこく」の発音の類似性は偶然とも思えない気もします。
それなら、邪馬台国は和邇族の畿内なのか?

* * *

「ヒミコ」という呼称にとらわれるのも危険です。
当時の中国に、そういう呼称で伝えられただけで、日本での本当の名前は別なのかもしれません。
単に女性の王様がいるという程度の意味なのかもしれません。

ですが一方で、前述しました宇佐神宮の「ヒメノオオカミ」…。

呼称が、すごく似ていますね。おまけに女神様です。
それに九州の菟狹族の土地です。

ひょっとしたら、古代には、この「ヒメノオオカミ」に関する、別の神話が存在していたのかもしれません。
古事記や日本書紀に、あえて残さなかったのかもしれません。
誰かが、後に意図的に消したのかもしれません。

まさに、神話です。
不思議だらけで、霞(かすみ)がかっていますね。

いずれにしても、神話の中では、女性が大活躍です。
男性以上に、神話の世界を左右する 大きな存在ですね。


◇蒲の穂

興味はつきませんが、ここで、ちょっとだけ脱線して、頭を休ませたいと思います。
「蒲(がま)の穂」について書きます。

「因幡の白うさぎ」の中で、白うさぎが、蒲(がま)の穂(ほ)を敷きつめて、その上で転がって、身体を治療するというくだりが出てきます。
白兎神社の身洗池のまわりには、かつて蒲の草が群生していたそうです。

* * *

自然豊かな地域の方には信じられないかもしれませんが、都会の子供たちの中には、蒲の穂というものを実際に見たことがない子がたくさんいます。

郊外の河原で見られることも多い「蒲の穂」ですが、うなぎの「蒲焼き(かばやき)」のあの文字「蒲」のことです。
植物の名称では、「かば」ではなく「がま」です。

今は「うなぎの蒲焼き」は腹開きか背開きのどちらかに開いて、平らにして、たれを付けて焼きますが、江戸時代までは、ソーセージのような筒状のあの姿のままで焼いていました。
ですから、焼きあがりが、まるで河原で見かける茶色の蒲の穂にそっくりに見えていたそうです。
それで「蒲焼き(かばやき)」と呼んだそうです。

神話のとおり、蒲の花粉は、ほかの植物の生薬と合わせて、火傷(やけど)などの皮膚の治療に効果がるようです。
神話に偽りはありませんでしたね。
実際の効果はよくわかりませんので、興味のある方は、よくお調べください。

 

 

写真の通り、蒲の穂は、いずれ白い綿毛のような種を飛ばします。
見かけたら、あの茶色のかたまりを、つまんでみてください。
ものすごいことが起きますよ。

蒲の穂、白うさぎ、医療を結び付けるあたり…、オオクニヌシは、さすがにすごい神様ですね。


◇この風景…知ってる

人は、自分の故郷でもない、初めて見た風景に、なつかしさを感じることがあります。どうして、そんなことが起きるのでしょう。

デジャブとは、一般的に「既視感」とも呼ばれ、今あるその瞬間の体験を、「この体験を、確かに行った覚えがあるが、いつ、どこで体験したのか思い出せない」とか、「今、目の前にしている風景を、どこかで見た覚えがある。この風景のことを、よく知っている」というような感覚のことです。
もの忘れや思い込みとは別のものです。心理的な要因も作用しているのかもしれません。

皆さんの中にも、「初めてのこの仕事を、前に行ったことがあるような気がする」、「目の前の会議中の風景、どこかで見たような気がする」、「この人との、この会話を、過去にも行ったような気がする」、「初めてここに来たのに、前に見たことがあるような気がする」などの体験をした方も多いと思います。

このデジャブ感覚は、ひょっとしたら、「なつかしさ」という感覚も生みだすのかもしれません。
自分の故郷でもない、初めて見た風景に、「なつかしさ」を感じるとは、そういう現象なのかとも思ってしまいます。

たとえば江戸時代の宿場町の風景を目の前にしても、なつかしいという感覚は生まれません。
ですが、山あいの田畑に囲まれた田園風景とか、下町情緒のある木造の家並みとか、山あいの谷にかかる鉄橋を渡る古びた鉄道車両とか、夕暮れに遠くから梵鐘が聞こえるとか、初めて接したのにもかかわらず、何となくなつかしさを感じてしまいます。

似た風景を過去に実際にどこかで見たというようなこととは異なるものです。
すでに、その風景を頭の中で見ていて、デジャブを感じているのかもしれません。
科学的にはっきり解明されていない不思議な現象ではあります。
でも、「なつかしい感覚」は、確かに存在します。

* * *

白兎海岸の風景は、皆さんにどのような感覚を抱かせるでしょう。

「因幡の白うさぎ」のお話しを、幼少期に聞いた方、読んだ方は、きっと頭の中に、特定の風景を思い浮かべていたことでしょう。
だいこくさまや、白うさぎは、どんな姿をしていましたか。

頭の中ではこんな風景だった、こんな風景であってほしい…どちらでもかまいませんが、実際に自身の目で見た白兎海岸の風景と見比べて、さて いかがでしょうか。

* * *

人間の記憶装置は、脳みそだけではないことは、少しずつわかってきましたね。
歳をとっても自転車に乗れる、スキーができるなど、私たちにも身に覚えがあると思います。
肉体だけでなく、ひょっとしたら人間の遺伝子の中にも、視覚的な何かを記憶する機能があるのかもしれませんね。

白兎海岸の風景は、私にとっては、なつかしさを感じる、ほっと安心できる、そんな風景でした。
この なつかしさは、古代から受け継がれている日本人の遺伝子のせいなのかもしれませんね。

いずれにしても、古代の人々が、神話の中に残したかったものが、しっかり現代人にも引き継がれているのかもしれません。
現代の世界も、神話とつながっていて、さらにそのストーリーは継続中…。
なんとも、ありがたい、うれしいお話しです。

* * *

今回は、日本の神話のお話しを「前編」と「後編」に分けて、それから、因幡の白うさぎのこと、白兎海岸と白兎神社のこと、などをご紹介しました。

外国人観光客が、日本の古い神社や、神話のふるさとを訪ねることも、ますます増えてくるでしょう。
そんなときに、彼らに、こんな神話のお話しも少し教えてあげたら、きっと喜んでくれることと思います。


◇出雲の白うさぎ

「因幡の白うさぎ」のお話しをしてきましたが、最後に「出雲(いづも)の白うさぎ」をご紹介します。
島根県松江市の宍道湖(しんじこ)の湖畔に、写真のような、うさぎたちがいますよ。

 

 

島根県立美術館の前です。 12匹のうさぎたちです。
一匹の連続写真ととらえても、12匹ととらえても、どちらでもかまいません。

今は、うさぎが跳ねる姿を肉眼で見ることは少なくなりましたね。
弱い動物ですので、自然の山の中でも、かなりむずかしいです。

せいぜい、動物園の狭いオリの中、学校のうさぎ小屋、ペットショップのガラス越しで、モグモグしている姿です。
イキイキとしたうさぎの姿を、肉眼で見ることは、むずかしくなりました。
宍道湖畔のうさぎたちにも、機会があったら、どうぞ会いに行ってみてください。

♪うさぎ、うさぎ、何見て跳ねる…
何を見ているかは、皆さんで確かめてみてください。
感動の風景がそこにあります。

* * *

山陰好き、歴史好きの私としては、鳥取城や米子城のこと、松江城のこと、石見銀山のこと、大山や蒜山のこと、ゲゲゲの鬼太郎のこと、小泉八雲のこと、出雲大社のことなど、鳥取県や島根県に関連した書きたいお話しは、まだまだたくさんあります。
鉄道ファンにも見逃せないスポットもたくさんありますね。
また、機会をみて、少しずつ書いていきたいと思います。

それでは、神話の長い読み物におつきあいいただきまして、
「だんだん」。

* * *

下記の映像(低画質)は、20年程前の白兎海岸と鳥取砂丘です。今でも、あまり変わっていないと思います。

 

 

2019.6.1 天乃みそ汁

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