久美浜陣屋を眺めていると、その背後にある久美浜城がどうしても目に入ってしまいます。これがてっぺんもはっきりしないそこそこ高い山であればとっとと諦めるのですが、どう見ても高い山ではなく、おまけに中腹にお稲荷さんがあるのが見えるので、そこまでは確実に参道が伸びていて、そこから先はちょいちょいっと山頂まで行けてしまいそう。そうなるともう吸い込まれるしかありませんよね。この日の行程は決して短くはありませんので、できるだけタイムロスはしたくないのですが・・・あ、もう鳥居が目の前に(笑)。

 

わー吸い込まれる(笑)


地元では「松倉城」と呼称される久美浜城は、戦国時代に松倉氏の居城として設けられましたが、天正年間に細川藤孝勢の攻勢を受けて落城し、落城の功として松井康之にこのお城が与えられました。松井康之と言えば細川氏の豊前移封に伴って杵築城を預かり、細川氏が熊本に移った後には最重要支城となる八代城を任されることとなる、あの松井氏です。細川氏の第一の家臣とも言える松井康之が丹後国の国境地帯を任せられたのは納得感のある人選なのですが、そうだとすれば久美浜城には相当な手が入れられて然るべきで、いわゆる織豊系のお城としての大改修が施されそうなものですが、現在残る久美浜城に織豊系の面影はありません。あるのは平たい本丸と、稲荷神社に向けて段々に設けられた曲輪群くらいでしょうか。

 

 

薮化しているエリアに何かしらの遺構が残されている可能性があるのと、本丸に礎石らしい石がごろごろしているのとを除けば、ごくごく普通の「地方の小さな山城」です。久美浜城は関ヶ原の戦いにおいて細川氏が国内の全兵力を田辺城に集中させた際に火がかけられ、そのまま廃城になったと伝わります。逆に言えば関ヶ原直前まで機能していた近世城郭ですが、それにしては地味なイメージが拭えません。

 

 

山頂には「松倉城跡」の石碑が立ち、そこから見る日本海はなかなかの絶景です。久しく美しいという、これ以上なさそうな美しい名を授けられた久美浜湾を見ていると、軍事色満載のお城なんぞ野暮にしか見えなかったかもしれませんね。久美浜を統治するに際しては、織豊系のお城が纏う威圧感みたいなものを必要としなかったということなのかも・・・と、このあたりは想像というか、妄想の世界に突入しています。